フェノメノン ガールズ
「選択の物語」
わたしだけが識っている一日。
まだ冬の名残を感じる涼しい風と、目には暖かい薄桃色の花たち。
朝の登校、この学校で二度目の季節が巡ってきた。
(月曜日)
「もう、ハナちゃんのせいで遅刻ギリギリじゃん」
背丈と顔はまったく同じ、見た目は全然異なる、もう一人の私に悪態をつく。
「仕方ないじゃん!今日は父さんが朝ごはん作るって言ったのに全然起きないんだもん」
二人で小走りになりながらも口を止めない。
「でも私がやるって言って黒焦げボマーをさあ、お食べ。なんて言われたらお腹も壊すよ!」
「サクが寝坊するから悪い!」
「なんでよ!」
いつも通りのやり取り。そう思い込んでいるが、脳裏をよぎる昨日の言葉。
「あなたたちは普通じゃないけれど自分の人生、あなたたちで導くことが大切よ」
母はそう言った。
朝のチャイムと同時に教室に入った。いつもならギリギリなんてことないのに、あれもこれも全部父さんのせいよ。昨日は散々、明日は母さんがいないから朝ごはんよろしくね!今日は夜更かししないで早く寝るのよ!って言ったのに。
「たまに家にいると思ったらこれだよ」
頭の中でチクチク刺しているつもりが漏れていた。なんなら今朝はサクも寝坊するし。
「……」
昨日のことサクはどう思っていたのだろう。
私自身正直よくわからない。普通じゃない……。
「悪口かな?」
なんて思ったけど母は真剣にただ、淡々と伝えていた。
今まで不自由なく生きてこれた。そもそも普通ってなんだ、特別ならラッキーなんだけどな。楽観的かなとか思うけど次の日学校だったし、考え出したら止まらないし、眠れなくなるから前向きに捉えてみた……。というわけで思考を後回しにしていた。
「サクのクラスでも行ってみるか」
席を立ちあがろうとした瞬間。
「ハナー購買いこー」
いつメンのユウカとカナに声をかけられた。だけど今は……。
「ごめーん、野暮用であとでいくわー」
「……」
「……」
「なに野暮用って?」
「さぁ?」
二人の会話を背に教室を出ていく。
サクのクラスは2ーEだから一番奥。私の2ーBから結構離れてるんだけど、多分サクはクラスにいない。やつの居場所は3択、1に屋上、2に図書室、3に3階の空き教室だ。おそらく屋上はないだろう、今日は風もあってまだ肌寒い。私以上に寒いのが苦手だし、冬は芋虫みたいなやつが耐えられるはずがない。2の可能性もなくはないけどいない気がする。図書室は比較的静かだがやはり人通りはある、なんとなく今日は一人で静かに考え事をしたいと思う。よって向かうのは3階の空き教室、2ーAの隣にも階段はあるが今日は奥の階段を使おう。2ーE側の階段、大体D,Eの生徒はこちらの階段を使って移動するので行き違いにもならないだろうと思ったから。階段を上がり二つ目の教室のドアを開ける。
「ほらね、やっぱりここにいた」
机に突っ伏しているサクを見つけた。
「ここまだ肌寒くない……って寝てんの?」
のそっと半目を開けて答える。
「どうしたのハナちゃん」
「うん、ちょっとね……話そうかなって」
私たちは結構仲がいい。割と相談なんかもするし、迷ったら友達よりもサクに話すくらいに親しい間柄だ。
「ねえサク、普通ってなんだろ」
「うーんわかんないけど、多数決で多い方じゃない?」
「なにそれ、全員悪人だったらどうなるのよ」
「だからそれが悪人の普通なんだよ」
なるほど理解はできる、ていうか今の会話だけでわかった気がする。人それぞれに普通という在り方があって、それが重なった人と共有できる部分があるということかな。要は気が合うとか考え方が似ているとかそういうことなんだろう。
サクの考えを聞いて私は、私が思う普通はなんだ?
「ハナちゃん今日バイト?」
「……休みだけど、なんか用事?」
「まじ!?じゃあカラオケいこうよ!」
「へ?別にいいけど」
「最近新しいアルバムが発売されて新曲歌ってみたいんだよぅ!」
いいや楽観家なのはこの娘だった。
「そういえばあんた夜遅くにうるさいよ」
「音楽聴くにしてもイヤホンで聴きなよ、イヤホンで」
「チッチッチ、わかってないね全然わかってない」
「耳は音を聴くだけに過ぎない、音楽は身体で感じるんだよ、魂で聴くんだよ!」
キーーーーーーン
「わかったわかった」
途中からマイクを入れて訴えてきた。耳を抑えながら次の曲を入れる。
「わかったから早く次の曲いきなよ、20時までには帰るよ」
「ハナちゃん歌わないの?」
「もう十分、私はここのフードメニューをがっつり楽しんどく」
数曲歌ってお腹が減ったのでポテト、唐揚げ、ピザを注文して携帯をいじる。趣味の一つである映画を探し回る、携帯でいつでもどこでも見られるのはいいけどやっぱりあの巨大なスクリーンと音響で感動を味わいたい。この近辺に映画館はない、二駅分電車に乗らないといけないので気軽には行けない。画面をスワイプして良さげな映画を見つけネタバレなしのレビューとあらすじをみる。これだ、と。
「サク、来週映画いこ」
「家で見れるじゃん」
こいつ。
「私はあの大きなスクリーンと圧倒的な音響で現地の人たちと感動を分かち合いたいんだ!」
さっきは魂云々言ってたくせに。てか、家で観れんわ。公開してないやろが。
「わかってるよ、私も映画嫌いじゃないし観に行こ」
私たちは結構趣味にご執心だったりするらしい。
程なく歌い疲れて店を出た私たち、レジでお会計のときサクが急に
「あ、お金足りないや」
なんて吐かして「今日奢ってハナちゃんさま〜」っていうからまぁまぁ痛い出費に涙を飲んだ。私はもう一つの趣味としてバイトがあるのでそれなりに懐は温かい。が、痛いものは痛い。
「ったく計画的に使わないからこうなるのよ」
「ありがとう新作CDも買ってカツカツだったの忘れてた」
嘘べそをかきながら帰りの駅に向かう。
「でもこれで目一杯新作を浴びれたよ〜、あとはライブに行くだけだね!」
楽しそうににガッツポーズしている様子を見ると呆れながらも嬉しくなる。
最寄駅に着いて次の電車まで20分程時間が空いた。
駅のホームで待っているとサクは隣でうとうとしている。それを見つめて昼のこと昨日の夜のことを思い出す。あの話の意味ってなんなんだろう。内面的……だと思うけど、外見的ではないだろう。私たち姉妹はそれなりに可愛げあるし。私は普段考え過ぎて答えがでないことが多く、だから直感で難しいことは考えないようにしている。サクはお淑やかであり、なるようになるさって感じで楽天家ではある。対して私は自分の中で得た答えは声を大にして唄える。でもわからないものは分からない。そんなことを考えながらこの地をあとにする。いつか識ることができるのだろうか。
帰宅した私たちは順番に入浴を終えて、わたしは灯のない自室に戻りベッドに沈み込む。充実した一日の満足感に浸っていると思わず口角が緩んでいた。真っ暗な部屋の天井を凝視して、今日一日と自分自身を振り返る。
「……」
あと一時間足らずで私含めみんなの一日が終わる。
誰にでも与えられる有限なもの、なら一つでも多く覚えておきたい忘れたくないと思うのは当然だよね。
2日目(火曜日)
「ほら、もう起きなよ」
時間ギリギリになっても起きてこないサクを叩き起こす。時間ギリギリといえ登校時間までではない。
今日の朝食当番は私たちになっているんだけど、未だにサクが起きてこなかった。朝食に限っての話だが我が家では母、父、私たちという順番で食事の準備をしている。それでもあってないようなもので基本的に母は毎回作ってくれるが父はほぼ寝坊である。その時は母の作り置きがおればラッキーだし、なければ自分たちで作るか朝コンビニで買って食べる。まぁそれはいいとして、私たちの場合にはほとんどサク中心で作られる。サク自身料理するのは楽しいとのこと。私は完全にフォローに回って副菜の調理をやったりサラダを作ったり、なんなら朝早めに起きて先に作ってくれていることもある。私は別に料理が好きというか得意というわけではないので正直ありがたい。
「……」
だからサクを起こしてるんだけど、本当だったら私だって美味しい料理を作りたいって思うんだけどね。でもやっぱりわたし一人で作るには荷が重い。そしてサクが遅起きなのも珍しかった。
「今日も美味しくなかったね」
「そりゃそうでしょ」
私だもんと自虐気味に乾いた笑いが出る。
結局朝は私が失敗作を出してサクは無言のまま完食していた。心意気だけは買うとそうこと?
人には得意不得意があるしさ、器用不器用があるしさ、向き不向きがあるとおもうんだよ。
学校に登校、今日は昨日より余裕を持って登校できた。
「ねぇ今朝の話聞いた?隣町の事件だって」
登校して早々ある話題が上がった。
ある一家族の話で特に特出すべきものでもなかった。
年若い三人の家族が自殺したという話だった。家族は古いボロアパートに住んでおり自宅には男の遺体、近隣の河川に女と子供の遺体があったという事件。クラス内でも家が近い人やよく通る人がいると話題に上がるには十分な出来事だった。少ない情報でも理解できることがあった。薄汚れた未来を想像してこの世から消えることを選んだ。わからない、私はまだそんな状況に陥ったことはない。だからその気持ちはわからなかった。けれどそうなったとき、私はどんな選択をするんだろう。
そんな話を聞いても変わらず時間は進む。朝礼を終えて小休憩、トイレに向かう途中なんとなく視線が捕まった。すれ違った同じクラスメイト、水原ミサキだった。最近あまり授業にも顔を出さず、保健室登校をしていると聞いたことがある。元々口数が少ない彼女だったが近頃はさらに覇気がなくなったような気がした。仲が良かったほどではないが去年も同じクラスであり、もちろん何度か会話をしたことがある。印象は自分の意見ははっきりと口できるお淑やかで優しい雰囲気だった。そんな彼女が今は視線も下がり静かに歩いている。それだけで十分に違和感があった。
ただ見ているだけ。彼女は何人かのクラスメイトともすれ違っているが、話をすることはなかった。
昼休憩前の最後の授業。集中しているようで久しぶりに見た彼女を時より思い出していた。ただ気になっているだけ、どうしようとかなにをしようとかは考えていないけど。彼女の顔を見て何を気になっているのだろう。
普通ってなんだっけ。
毎日学校に行って授業を受けるのが普通、授業に出なくても学校に行けば普通。学校に行かなくても生きていれば普通なのか。普通ってお手本がないから厄介だよなあ、時代によっても変わるだろうしさ。私は今が続けば普通でなくてもいいかな、いつも通り穏やかな日常が続けばいいと思っている。
昼休憩私はユウカ、カナと一緒に購買に行ってパンを2つとパックのジュースを買った。
「え、パン2つで足りんの?」
カナは私の席の隣に座って、どさっとパンを4つとデザートのプリンを置いて覗き込んできた。
「これがちょうどいいの、お腹いっぱいになったら午後眠くなるでしょ」
「真面目だ」
別に真面目じゃないしテスト落として補修の方がめんどくさいでしょ。
前の椅子をこちらに向けて座ったユウカはコンビニで買ったおにぎりとサラダを食べていた。
「おにぎりとサラダって合わなくない?」
「うん、栄養取れればいいのさ」
なんていうか私たち三者三様だな、だから仲良いのかも。
「ハナは今日バイト?」
「うん、明日も明後日もね」
「働くな〜、そんな働いてどうするのさ」
「別に家でだらだらするよりいいかなって」
若干引いている二人を無視して二つ目のパンを開けた。
「私は家でだらだらするほうがいーよ」
「同意同意」
「私は映画見るくらいしか趣味ないからダラダラしすぎるんだよ」
映画って見るのに時間かかるし、集中してみたいからその合間に何かやろうとも思えないんだよね。
そう結構拘束時間あるよねこの趣味。
「私最近腹筋してる!やっぱり運動はいいよ!」
腹筋を叩きながらガッツポーズしてるカナ。
「部屋でできるし、なんといっても効いてる感じがたまらない!こうお腹が熱くなっていくんだよ」
「私もストレッチはしてるけど腹筋かぁ、やってみようかな」
割と美意識が高いユウカだった。
昼休憩も終わり午後の授業に向かう。
授業中なんだか集中できていない、脳が休みたがっていた。ここのところ無意識にも考えることが多くて頭が追いついていない。今回は考えるのを止めることができなかった。考え出したら止まらない、気になることは調べよう。今日のバイトの時間まで少し時間があるし動こう。
バイトもやりきって店の裏口から出る。室内の籠った暖気と疲れ切った体の湯気を一気に塗り替える。ふぅ、労働頭だったものがリサイクルされる。今日のバイトはカラオケ、ちなみにサクと行ったカラオケとは別だ。何も考えず夜空を見上げながらゆっくりと帰り道を行く。全て終わった帰り道は何も考えなくていいというマイルールがあった。けど、今は少し考えたいものがあった。バイトまでの時間に得た情報、水原ミサキについて。まず彼女は今一人暮らしをしている、母と二人暮らしをしていたが三月上旬に母は亡くなったそうだ。そして父親は彼女が小さい頃に離婚したということ。
去年彼女と仲の良かった友人に話を聞いてまわったらあっさり教えてくれたが、私が野次馬のように聞いてまわるのは罪悪感を感じた。勝手に詮索された側は迷惑極まりないと思うに違いない。でも、あの彼女の足取りには見覚えがあった。考えることをやめて下を向くことしかできなくなった人のシルエット、まるで見てきたかのような思考をしていた。
「そもそも勝手に首を突っ込むのはどうかと思うんだけど」
私はなんでこんなこと……。
3日目(水曜日)
私は一日一日を大切にしたい。それを日々意識しながら生きている。後悔したくないというよりは起こった出来事を噛み締めたい。それに出来れば全て覚えておきたい、大切だった記憶を忘れてしまって、まぁそれまでの記憶だよねって割り切ることは残酷だと思う。だからみんなにも覚えていてほしい。
「んん……」
記憶か夢かわからないものを見て目覚める。あまり目覚めの良いものではなかったが、体に鞭打ってとにかく起き上がる。居間に向かうと誰もいない、といっても基本的に両親は仕事上家にいることが少ない。だから一昨日父がいたのはレアであり、朝ごはん作らないのはノーマルだった。
頭をかきながらハナちゃんの部屋に向かった。
「ハナちゃーん、もう起きなよー」
ドアノックしながら声をかけると呻き声が聞こえてきた。やっぱりまだ寝ていたのか、中に入って体を揺すると
「むー〜ん…だっこして〜」
そんな甘えられても無理だよ。運べないと判断して足を持って、だと危ないので両腕を持ってひっぱりだす。ベッドから引きずり下ろして足が落ちる。
「あだっ!」
「もう普通に起こしてよ」
「やったよ!ていうか目の隈できてるよ、年取って見える」
「てめえ、言っていい事と悪い事があるでしょ」
「言っとくけどあんたも隈できたらこうなるんだから一緒でしょ」
「……確かに」
同じ顔の利点なのか欠点なのか、知る人ぞ知る。いつも通り二人で登校する。何気ない会話は日常の一部、会話の相手は私を形作るもので欠かせない人。毎日冗談まじりでからかい合いながら笑い合う。サクの笑顔、笑うとオレンジ色の風が頬をかすめるような温かい表情。同じ顔だけどこの娘の笑った顔が大好きだ。ずっと笑っていてほしい。だからこそ一際脳裏に焼き付いている出来事を思い出してしまった。
私たちが14歳の春、突然彼女は俯いて目を伏せがちに過ごしている瞬間があった。たったの数日2、3日話しかけても空返事で心ここにあらずって感じだった。しかし日が経つと今までとなんら変わりのない、昨日のことが嘘のような普段通りのサクになっていた。話を聞こうか迷っていたが、いくら家族とはいえ踏み入るべき問題の区別は慎重に思案しなければならない。当時私はその日以降の様子をみて、触れないことを選んだ。今もこうして笑い合えている、たくさんの相談もしてされてきた。この娘の動向も見守りつつ今は彼女についてもう少し考えよう。
朝の朝礼、水原さんはクラスにいない。保健室登校だと出席かどうかはわからない。
「うーん、どうしよう…」
今日は本人と話をしてみようと思っていた。今まで話したことはあったけれど内面を知ることはできていないので、何気ない会話でもしてあわよくば友達になれればいいなと思っていた。そうだ、仮病で保健室行くか。一瞬で決断して1階までの階段を降りていると彼女とすれ違った。
「あれどしたの?」
「サクこそ、もう予鈴鳴ってるよ」
「私はジュース買いに行ってたんだけど」
パックのジュースにストロー通して飲んでる、行儀悪いなぁ。
「ハナちゃんどっか行くの?」
「あー、ちょっと体調悪くて保健室」
「大丈夫?あとで差し入れ持っていこうか?」
「平気平気、少し寝たらすぐ治るから」
ジト目で足先から顔まで見つめてくる。
「わかった、なんかあったら言ってねー」
手をひらひらなんかさせて通り過ぎていく。それを見つめながら、はぁーとため息が溢れた。基本的にサクには嘘を吐きたくない、誤魔化しや綺麗な嘘でもサクと自分、二人を騙してる気がしてやるせない気持ちになる。とはいえ今は保健室へ行こう。会ったら何を話そうかな、まず自己紹介はしたほうがいいよね。お互いほとんど何も知らないわけだし、なんて考えていると保健室前についた。ドアを開けて消毒の匂いに包まれながら、4つほどあるベッドを見渡す。ここは全部空いていると、奥に部屋があるのを確認する。保健室登校というぐらいだから部屋のほうで勉強をしているんだろうか。
「あの、体調悪いの?」
中に入って立ちほうけていると急に声をかけられた。
「あ、いやその……」
保険の先生は首を傾げるが、彼女がいるのかいないのか確認くらいはしても大丈夫だよね。
「水原さんいますか?」
「ミサキちゃん?今日は休みだってさっき連絡があったの」
「そうですか」
「すみません彼女のこと気になって。確認だけでした、失礼します」
なんだ今日は休みなのか、さっそく出鼻をくじかれてしまった。昨日あったし今日もいるものだと思ったけど休みだったか。どうしようかなぁ、さすがに家に行くことはしないけど様子だけでも聞いておくべきだったかな。
1限目を適当にサボったあとは普段通り学生を再開する。特に意識を削がれることもなく無事に午前の授業が終わった。昼食もいつも通り三人で各々用意したものを食べ終えて、私は屋上に向かった。
「はぁーーーーーー」
近くのフェンスに腕をかけて空を見上げる。無心の空白の時間、一瞬頭の中をからっぽにする。昼間の気温はとても心地良い、まるで私に気候を合わせてくれたかのような勘違い。外の空気はなんでおいしく感じるのだろう。あれかな、そうめんばっか食べてたまにお米を食べるみたいな。
「……」
適当すぎるしあんまり上手くない例えだな。ほらお米って色々なアレンジできるじゃない?考え方次第で選択肢が広がるみたいな。
「はぁー、結局なにか考えてないと落ち着かないのか私は」
「……」
水原さん、今何してるんだろう。そういえばなんでここまで彼女が気になるんだろう。私はそこまでおせっかいではない、むしろ他人にはあまり関心がなかった。でも理由はなんとなく自分で分かっていた。あの廊下ですれ違った彼女と昔のサクがダブって見えたんだ。あの日理由を聞かなかったことを後悔はしていないが気にしていないわけではない。だから今度は話してみたくなったのかもしれない。
「明日も保健室行ってみようかな」
予鈴が鳴っているので教室に戻る。
午後の授業も滞りなく終えて、帰りの支度をしているとユウカに話しかけられた。
「そういえば最近サクちゃんは元気?」
「元気には見えないかもしれないけど元気だと思うよ?」
「意味わからんて」
サク外では大人しいからな、でも誰にでも同じような態度だから結構友達いるんだよな。浅く広くって感じ、私は人によって態度が変わってるらしいので真逆だ。
「で、なんかあったの?」
「なんか最近お昼とか休憩時間に教室にいないんだって」
多分図書室か空き教室にでも行ってるんだろうけど、一人になりたいってことだと思う。私だって今日みたいに屋上行って考え事したくなるし。
「一人で音楽でも聞いてるんじゃない?最近CD買ったーって言ってたし」
「そう?ならいいんだけどさ」
「そーいえばその情報誰から聞いたの?」
サクのこと気にするクラスメイトいたのか、いやこれは流石に失礼すぎる。あとでプリン買ってあげようっと。
「川口くんかな、昼休みハナに用があるってきたから」
「あー、川口アキラだっけ?男に気にされるなんて、とうとうサクにも春が来たのかな」
「春もなにも冬くらいから付き合ってるじゃん」
「そうか、まだ肌寒い日あるもんね」
「…………」
「…………」
なにそれ、サクって彼氏いたの?え、今も?さっき付き合ってるって言ってたし。そんな素振り今までなかったじゃん。だって朝は一緒に登校してるし休憩時間は一人でどっか行ってるし。帰る時は…そうか私バイトでほとんど別だよね。でも休みの日は……基本私が家にいないしな。
「おいおいなにぼうっとして、もしかして知らなかったとか?」
「うん、なんで教えてくれなかったのよ」
「いやいやハナが話題に出さないから触れない方がいいのかなってさ」
そうか、まぁそういうこともあるよね。それはともかくサクはなんで言ってくれなかったんだ、私たち双子の仲じゃないか。「だって聞かれてないし話題にしないほうがいいのかなって」
……あぁ、言いそうだ。身近な人のこういうすれ違いもあるんだなって今学んだよ。プリン二個買ってくかー。
最近始めた居酒屋のバイトも慣れたものでミスなく今日も労働終了。帰り道コンビニに寄って適当なおやつとプリンを買って自動ドアを出ると救急車が横切る。なんだかあのサイレンは嫌でも同居人の安否が気になってしまう。街ゆく中でサイレンを聴くと自宅の方に向かっていないかとか、知り合いじゃないかとか不安になる。そしてみんなちゃんと家にいるのを確認すると安心してしまうんだ。安心……それでも他の誰かに不幸があったことは変わらない。心の余白は少ない、有限だから、せめて手の届く範囲で誰かの力になれればいいと思っている。
4日目(木曜日)
翌朝彼女が亡くなったことを知った。
昨日の夜、交通事故で水原ミサキは亡くなったそうだ。本当に事故なのか、間違いじゃなくて?詳細は詳しいことは教えてくれないのか。今は誰かが話している今は朝礼中だ、詳しいことが聞けるんじゃないかと耳に集中するともうその話題は終わっていた。先生は今日一日のスケジュールを確認していた。彼女の話は終わっていた。そうだよね、あんまりたくさん話すような話題ではないか。
「……」
頭の中は真っ白で目の前は真っ黒になっていた。あぁ、今日話でもしようと思ってたのにな。何を今更、おそらく認知もされていない私が彼女に何をするというのだろう。出会いも別れも予見できるものじゃない、平等なんだ。いつ雨が降るかわからない、明日傘を持っていこうじゃないよね。
(水曜日)
暗闇から白い世界へ。あれ、目は閉じているのに白い、白く見える。夢でも見ているのか、それにしては意識ははっきりとしていて。
パチン
「……」
学校、自分の席に座っている。周りを見渡してみんな席に座っているので授業中だと思った。でも先生の話を聞いているとまだ朝礼中のようだった。なんか変な寝起きのような感覚で頭が正常に働かない。朝礼が終わり、とにかく顔を洗おうとトイレに向かった。人通りのある廊下を歩いていると目を疑うものを見た。
「え……」
いつかの焼き直しのような映像に思考が止まってしまった。水原ミサキが歩いていてこちらを通り過ぎる。恐怖すら感じて体が金縛りにあったかのように静止する。思考停止、その場を動けなくていつの間にかチャイムが鳴っていた。
あれ、夢?どっちかが夢なのか。なにも考えられなくてぼうーっと授業を受けていた。小休憩になりようやく思考を始めた。まずは友達に水原ミサキの生死を確認する。
「カナ、朝礼の話どう思った?」
この聞き方で探ってみる、あの話題が出なければ彼女は生きていることになる。
「どうって……」
長い長い余白にも感じる沈黙が破られた。
「授業変更のこと?」
なんてことだ、水原ミサキは生きている。
「そうそう、それで今日って何曜日だっけ?」
「水曜日?」
「だよね、ありがとう」
急いで教室を出てサクにメッセージを送る。屋上に来て、と。
授業をすっぽかして屋上で待っていると、意外と早くサクが現れた。
「もう、授業サボってまでなんの用?」
まじめでもないくせに嫌そうな態度で私の隣に座った。
「……」
しばらくの沈黙の後。
「サク、やり直せる一日があるとしたらどうする?」
二度目の沈黙、視界が空に私たち二人を俯瞰している感覚。気になってサクの表情を窺ってみると予想外の顔をしていた。目を見開き唖然とする様子、その後穏やかな表情で私に言った。
「それは羨ましい、でも辛いと思う」
「?」
なんだか会話がすれ違ったような。
「やり直すか、人間やり直したいって思うことはよくあるじゃん?でも結果的にやり直さなくて良かったってこともあるじゃない?だから私はその時の気持ち次第かな」
そうだよね、サクはそういうと思った。
「さすがはケセラセラ」
「褒めてるんだよね?」
「当たり前じゃん」
やっぱりサクと話して良かった、歪んでいた道がはっきりする。あとは行動あるのみなんだけど一つ確認したいことがあった。
「ねえ今日ってさ、私とサクどっちが先に起きたっけ?」
「今日はハナちゃんじゃない?」
そうか本当は今日私が遅起きでサクに起こされてるハズなんだけど。そして水原さんは今日学校に来ていないハズなんだ。ということは一日前に戻ってはいるけど状況は全然違う、私にとっても初めての日ってこと。はぁ、なんだかすんなり受け入れてあっさり呑み込めた。確かにこんなのは普通じゃないね。
サクと別れて保健室に向かった。これからどうしようとか、彼女と何を話そうとか何も考えていないかった。ただ、今日やりたかったことを今の気持ちで行動しようと思った。昨日、いや今日を思い返すと色々考えて選択してたんだなって改めて思う。今日はこの話しようかなとかこっちを食べようかなとか、そんなくだらない選択を。絶対後悔しない方を選ぶなんて不可能だから、せめて私の成長の糧になるように進んでいきたい。
保健室のドアを開けて先生にあいさつをする。今彼女と話していいかと尋ねると一瞬困った顔をしてどうぞと言ってくれた。奥のドアをノックして中に入る。そこには今朝すれ違った驚いた顔をした彼女がいた。
「久しぶり、私同じクラスのハナって言うんだけど」
「知ってる、去年も同じくクラスだったし」
覚えててくれたんだ。暗い表情ではあるがしっかりと話してくれた。
「それより何か用事?ここに誰か来るなんて初めてだよ」
「そっか、来た理由はあなたと話したいって思ったから」
「何を?」
「最近の趣味ってあるの?」
「何それ、元々趣味なんかないけど最近は空を見るのが好きだけど」
「いいよね、澄み渡った空とか見ると私のための天気だってなる」
「ならないよ、空はみんなのものだし」
「じゃあ、どこが好きなの?」
「気分に左右されず勝手に変わっていくところ、うれしいのに雨が降って悲しいのに雲ひとつない晴天になるところ」
「それってちょっと嫌じゃない?自分の思い通りにならないというか」
「そこがいいんだよ、人生みたいでしょ」
少し悲しそうに目を逸らして言った。そうか、彼女は今一人なんだ…。
「私は嫌だよ、そもそも人生思い通りにいかないのに天気まで自分勝手なのは」
「そ、考えが合わないね」
彼女はどうでもいいように言い切って窓の外を眺めている。
「そういえばさ、授業には出ないの?」
「ここでもなんとかなるからね」
外を眺めたまま答える。
「そっか、なんか相談とかあったら声かけてよ」
「……遠慮するよ、気は合いそうにないから」
だよね、正直私自身もそう思っているけど。でも相談できる人はいた方がいい、心の底からそう思う。
「そういえば、去年仲良い娘いたよね今は隣のクラスだけど」
「いたけど、もう話してないよ」
「そうなんだ、けどその娘が心配してたってことだけは伝えとくね」
「……」
水原さんと仲の良かった娘は私に家の事情を教えてくれた娘だった。話しながらで伝わってきた、去年まで仲が良くて急にクラスに来なくなって心配している様子だった。
「それでさ、もし彼女にも先生にも話しづらいことがあったら私に話してよ、付き合うことくらいはできるから」
「……考えとくよ」
結局最後まで目を合わせてくれなかったけど、これで良かったかなって思った。
その日以降、私は彼女と話していない。授業にも参加はしていない、けれど保健室には通っているようだ。あの日から私に変わったことがあるとすれば、朝と帰りは校内一番端の階段を使って一階玄関の靴入れの確認をすることだった。保健室奥の照明の確認をすることもあった。そして卒業の日まで保健室には灯りが灯っていた。
3日目(水曜日)
ハナが屋上から出ていく。それを何度目かの感情で見送っている。
「ハナちゃんはこれをどう思う?」
私は識っている。私たちの体質はおかしい、普通じゃない。昔、母にそう伝えられたことがある。訳が分からずハナちゃんと話したことがあったっけ。
あれは14歳の春だった。
「普通じゃないってー、どうする?」
「どうもしないよ、今のところ不便はないでしょ?」
「それはそうだけど、やっぱり身構えちゃうよ」
「まぁなんかあったらいつでも言ってよ、一緒に考えることは出来るんだしさ」
「うん!そうだよね」
そして次の日、ハナちゃんに昨日の話の続きをすると思いがけない返答が返ってきた。
「ん?なにそれ」
「だから普通じゃないってやつ、なにがどう普通じゃないのか教えてくれてもいいよねー」
「誰がそんなこと言ったのよ」
「もう、お母さんが私たち二人に言ってたでしょ!昨日の夜!」
「はい?」
ふざけているわけではなかった、本当に知らない今日初めて聞いたような顔でそう言った。
「ねえ昨日夜なに食べた?」
「夜?一緒にファミレス行ったじゃん」
違う、それは一昨日のことだ。寒気がした、背中には冷や汗をかいていた。固唾を呑んで続けた。
……。
「そ、そうだ見てよこの傷まだ治んないよ」
昨日の朝できた擦り傷、ハナちゃんと一緒に手当した。
「なにそれ大丈夫?いつできたの?」
ふわっと、彼女とは別世界にいる感覚、昨日一緒にいた人とは別人に見えてしまった。ハナちゃんはハナちゃんなのに。
学校に行ってもみんな同じ反応だった。私が生きた昨日はどこへ行ってしまったのか。日付は確実に変わっている、それなのに誰一人昨日を覚えてはいなかった。学校を早退して近くの公園に来た。近くのベンチに腰を下ろして、そのまま力無く横に倒れ込んだ。何も考えたくない、こんな嘘みたいな話信じたくなかった。せめて夢ならまだ笑えたのに。いつの間にか本能のままに意識を沈めていた。
「サク、なにやってんの?急に早退して、連絡ぐらいしてよね」
んむ……?あれ?夢?
「ハナちゃん……。ねえ、昨日の夜なに食べたっけ」
「だからファミレスでしょって、もう早く帰るよ」
夢じゃないのか、現実なんだ。昨日お母さんに大切な話をされたのに、ハナちゃんが忘れていたということはお母さんも忘れているんだろう。結局次に大切な話をされたのは三年後だった。
あの日以来、特異な現象が起こることはなかった。
「サク、同じ日が2回目だったらどうする?」
16歳の夏、もう何度目かの似たような質問だった。ハナちゃんは状況が変わった一日をもう一度やり直している、何度も相談に乗っている内に理解した。きっと良かったことや辛かったことがたくさんあったはず。私だけが識っているあの日から度々ハナちゃんに相談を持ちかけられる。私は今日が2度目なんだって、あなたならどうするって?毎回似たような返事になってしまって申し訳ないけど、それが本心だから。そして何故かハナちゃんはやり直した一日の記憶はあるものの、やり直した事実は忘れている。正確にいえば時間経過で記憶が薄れていって、次の日にはやり直したという事実を完全に忘れていた。けれど私は覚えている、相談されたこともあの消えた一日のことも。
そろそろ教室に戻って授業の準備しないと……。ハナちゃんと話して悪夢を思い出していた。微熱風邪を引いたような、頭と身体火照る感覚。実際にそんなことはなくむしろ寒気がして冷や汗をかいている。みんなが忘れた一日、みんなが忘れてしまったことを私が知った日。今はどうしようもなくそれらを忘れて楽になりたがっている。次はいつ消えてしまうんだろうと考えるだけで上を向けなくなる。目を逸らしても頭の中で古時計の秒針が鳴っている。
「……っ」
ゆっくりと階段を下りながら、一際深いため息を吐く。
教室に戻っていつも通り授業を受ける。数式や歴史の年表、それ以外を考えないように無理矢理にでも頭に詰め込む。昼休憩、イヤホンを挿した携帯端末を操作しながら適当に買ったパンを食べる。うん、やっぱりいいなこの曲。机に突っ伏していた顔を窓際に向ける。今日は天気がいい、ここからではあの広大で綺麗空は一部しか見えない。それなのに私の気分は高揚していた。より一層広い世界観がある曲を選択してさらにボリュームを上げた。
学校が終わり帰宅。今日もハナちゃんはバイトなので一人で帰り道を行く。静かな街だ。明かりの灯った一軒家を眺めていると、これから夕飯の準備でもして家族を待っているのかな、それか足りない材料の買い出しに行ったりするのかなと勝手に妄想していた。この街だけでも一人一人の人生と経験、未来があるなんて……。いつの間にか心が温かく前向きになり、早く家に帰って家族に会いたいと思っていた。
5日目(金曜日)
もうなんなんだこれ……。
2度目の消失に私は昨日を見限る。
今日の朝、久しぶりに母が休みで三人で朝食をとった。久しぶりにお母さんがいて会話が弾み、昨日の話題が出ると私と二人ですれ違っていることに気がついた。地面に穴が空いて浮いている感覚になり失神しそうになる。さすがに正気を保てず、何も言わず静かに家を出てしまった。
住んでる街の端にある路上街に遺っている廃病院の屋上。
「晴れれば雨が降ることもある、得られれば失うこともある」
それはもちろん承知の上で吐露する。
「でもわたしだけが蚊帳の外なんて寂しいよ……」
私雨にうたれている気分、なんで私だけ。どうせなら私も一緒に忘れたい、大切な人たちの輪の中にいたい。そんな子供みたいに駄々をこねて誰かが助けてくれることを心のどこかで待っている。冷たい雨に打たれながら、目から温かな水が零れ落ちた。泣いたのは久しぶりだ、それこそ前回の現象では泣かなかった。当時は落ち込んでいたに近いのかもしれない。でも今は違う、ただ悲しかった。2回もこんなことになってこれからあと何回、こんな気持ちにならなければいけないんだろうと思った。冷たい雨も今は心地いい、嫌なこと全てを洗い流してくそうで。どうして私だけ、どうして私ばっかり……。
「サク」
誰がそこにいるのか一瞬でわかる、聞き馴染みのある声だった。
サクが家を出て行った直後、私は母さんに聞きたいことがあった。
「前に言ってた私たちは普通じゃないって、今のサクに関係あるの?」
「……」
一瞬沈黙の後、静かに懐かしむように続けた。
「そうね、正直家のことはもう少し後で話そうかと思っていたんだけど今はそんな状況じゃないわね」
「前に普通じゃないと言ったのはあなたちだけじゃない、うちの家系みんなそうなの」
そんな話を聞かされてなぜか、安心してしまった。私たちだけじゃない、母さんも父さんもみんな一緒なんだと勝手に思ってしまった。
「私たちは特別な現象に巻き込まれやすい体質なの、例えば神隠しに遭いやすい人や突然故人の声が聞こえてしまうといった感じにね」
「それを特異体質と言っているんだけど」
驚きはしたものの落ち込むと言った負の感情はなかった。それよりも何か別に悲しくなるようなことがあったような気がする……。出来るはずだったものができなかったような、やるせない気持ちになったことがあるような……。
「特異現象にあった場合、その記憶は時間と共に消えていくのよ」
「それでも稀にね忘れづらい、記憶し続けてしまう人間もいるのよ」
「もしかしてサクがそうなのかな?」
「それは分からないわ、けれどなにか悩んでいるのなら話を聞いてあげてね」
「あなたたちはせっかく双子なの、何が起ころうと二人なら乗り越えられるわ」
いつも通りのやさしい笑顔、一歩引いて私たちを見守ってくれる。時には助言をしてくれるけど私たちに考えさせる言葉が多かったかもしれない。言葉足らずとも言うけれど、成長の経験値を手に入れるチャンスをくれるのだからとてもよくできた母親だと思っている。母さんの言うとおりだ、どんな悩みも受け止めて二人で乗り越えてみせる。
「サク」
雨の中傘をささずに立ち尽くしているハナ。
「ハナちゃん」
……しばらくの沈黙。正直今はハナちゃんの声よりも雨音を聞いていたい気分だった。
「サク……私はあんたの気持ちがわからない、でも共有することはできるんじゃないかな」
雨音がだけが響いている、ほのかに感じる鉄と土の匂い。不釣り合いな環境の向こうに彼女は立っている。ハナちゃんにこんな湿った場所は似合わない、温かな日差しと新鮮な草花の匂いがする場所にいないと。
「……人がそれぞれ異なる人格と思考性を持っているのは自分に課せられた試練を乗り越えるためなんだって、今実感しているところだったんだ」
「確かにそうやって人は成長していくんだよね、でもさ……」
差し伸べられた手を振り払うような返答に納得するように続けた。
「私たちは家族であり姉妹であり、そして双子なんーーーー」
「いくら双子でもやっぱり別の人間なんだよ。私は14歳の頃から普通じゃないって知ってた、私以外みんなが忘れている中ずっと一人で……。」
悲しく苦しそうな顔、もうこの顔は見たくないとずっと前に思っていたのに。確かにサクにはサクの日常があったはずそれは誰にも理解できない、けれどまだ言えることがあるはずだ。
「さっき母さんの話を聞いて思い出したことがあるの。相談の内容は覚えてないんだけど、私悩んでいる時は絶対サクに話聞いてもらうようにしてるの」
「……」
確かにハナちゃん、やり直しが来た時には毎回相談しに来てるかも。
「それでさ多分、自分におかしな現象が起きた時毎回サクに相談してるんだとしたら、私に起きた現象のことも知ってるんでしょ?」
一瞬の停止、目を瞑ることも忘れて視界がぼやけた。そう、なんでハナちゃんは忘れられて私は覚えているんだろうとずっと疑問に思っていた。ハナちゃんは自分に起きたことも私の一日も忘れてしまう、私はずっと覚えているのに……。それが辛かった悲しかった、今の今までそう思っていた。でももうそんなことはどうでも良かった、彼女とこの現象について分かち合うことができた。
「うん知ってた」
歩み、走り寄ってくるハナちゃんは私を抱き寄せた。
「ごめんね、忘れちゃってごめんね……」
冷たいのに温かな体温を感じて目を閉じてしまった。一言、たった一言話すだけでも変わったのかなと思ったけど、そんなことは一瞬思っただけ。だって今確かに新しい一歩を踏み出せたんだから。
エピローグ
あれから半年が経った今でも私たちの関係はあまり変わらない。割と頻度が高く現象に遭う私と今のところ現象に遭っていないサク。私は今まで通りサクを頼るし、サクもこれからは私を頼っていく。せっかく双子なんだ、二人でやれば大抵のことは解決できるはず。
「ハナちゃん、これやっぱりおいしくないよ」
今回見た目はうまくいった朝食をサクは突ついている。よくできたと思ったのにな…ていうか。
「寝坊したのはあんたでしょ」
「今日はハナちゃんのご飯が食べたかったのー」
まだ起きてもない顔でよく言うよ、結局私一人で作る羽目になったし。
「それにトータルでみたら私の方が作ってると思うよ」
「くっ……」
家を出ると見慣れた風景も一層変わって見える。半年前とは気温も花の色も変化している、感じ方は人それぞれ違うはず。相変わらずの通学路を歩いていく、この道を歩くのもだんだん終わりに近づいている。
「そういえば、この前見た映画おもしろかったね!」
「でしょー、時間かけてリサーチした甲斐があったよ」
「また行こうね!」
「そうだね!」
分かり合えるかもしれない、分かり合えないかもしれない、結果は分からないけどそれでもほんの少しの隙間を埋めることはできるかもしれない。双子の姉妹でさえすれ違うことがあるんだ、すれ違いも分からないこともこの世には無限にある。だからせめて人の心に近づく気持ちだけは忘れてはいけない。




