輪廻
由夏は時代の寵児と呼ばれる若きカリスマ社長の晴輝と1年ほど前から交際していた。
由夏は高校を卒業後、家庭の事情で進学ができずに、昼間はカフェで夜は居酒屋でとバイトを掛け持ちして家計を助けていた。
そんな由夏が働いているカフェを晴輝が客として訪れたのが二人の初めての出会いだった。
晴輝は店に来ると積極的に由夏に声をかけた。次第に打ち解けていった二人は店の外でも会うようになる。そして二人の交際が始まった。由夏にとって、高収入で社会的ステータスもある晴輝のような自分とは住む世界が違う男性と出会い、そして今その男性と交際しているという事実に、これ以上ない幸せを感じていた。
付き合い始めてから1年が経ったある日、由夏は晴輝から結婚を申し込まれた。それは由夏にとって待ち望んでいたものだった。そしてこれは運命なのだとも思った。喜んでプロポーズを受ける由夏。
晴輝からは、急だが翌日に仕事の関係者を集めたバーティーで君を婚約者として紹介したいと告げられる。
由夏に断る理由はなかった。
翌日、由夏は人生で一番というくらいにドレスアップをして、友人の彩と美咲とともにパーティーへ来ていた。晴輝からは友人も是非誘ってくるといいと言われていたからだった。急な誘いにも友人たちは、由夏の婚約を心から喜びそしてお祝いしたいと、パーティーへと来てくれたのだった。
バーティーでは当然自分が婚約者として紹介されるものと思っている由夏。だが、いざ発表という段になると、晴輝が婚約者として紹介したのは絵麻という由夏とは別の女性だった。
絵麻は有名な大企業の重役の一人娘だった。
どういうことかわからず混乱の中で由夏はパーティー会場を出た。一緒に来ていた友人たちも困惑していたが、由夏に対してどういうことかとても訊ける雰囲気ではなかった。
友人と別れて家に帰った由夏は、自分の部屋の中でただただ呆然としていた。自分が婚約者として紹介されるはずが、自分とは別の人が婚約者として紹介されるのを目前で見せられることになるとは露程にも思っていなかった。
由夏はあまりのショックに、今も何が起きたのか理解できずに、ただ涙だけがいつまでも止まらなかった。
そのとき暗い部屋の中に突然スマホの明かりが灯った。そして少しだけ遅れて電話の着信音が鳴り始める。
スマホを見ると、画面には晴輝の名前が表示されている。
由夏は迷わず通話ボタンを押す。今まで内に押し込められていた怒りが抑えきれずに溢れ出した。
「あれはどういうことなの。私、あなたの言うとおりに友達も一緒に連れて来てたのよ。なのにあんなの......あんなの酷すぎる」
最後は電話に向かって絶叫していた。だが電話の向こうから聞こえてくる晴輝の声は、いたって冷静なままのいつもの晴輝の声だった。
「今から僕の家においで。ちゃんと説明してあげるから」
その晴輝の様子に由夏は少しだけ戸惑いながらも、今から行くとだけ伝えて電話を切った。
その時、由夏はパーティーから帰ってきたまま着替えもしていなかったことに気づいた。この姿で晴輝の家に行くのはさすがにプライドが許さない。由夏は婚約者としてドレスアップした服を脱ぎ捨てて、普段着に着替えた。そしていざというときにはこれを使おうと机の引き出しの中から取り出した物をカバンに滑り込ませた。
晴輝の家に向かうタクシーの中で、もしかしたら婚約者として紹介されていた女が晴輝と一緒にいるかもしれないと考えていたが、晴輝の家に着くとそこには晴輝一人だけが待っていた。
晴輝の様子はいつもとまったく変わらなく見える。いつも由夏を見つめていた優しい眼差しと柔らかく微笑む口元もいつもとまったく同じだ。
「ねえ、どういうことか説明して」
由夏は極力落ち着いて晴輝と話そうと、晴輝の家に向かうタクシーの中で考えていた。
晴輝の前に立つとどうしても先ほど味わった屈辱に心が乱れるが、それでも何とか湧き上がる怒りを必死に抑えて、晴輝に話しかけた。
だが晴輝は由夏の問いかけには答えずに、逆に由夏に問いかけた。
「ねぇ、由夏。あの瞬間にどういう気持ちだった」
由夏は晴輝のその言葉を聞いた途端、それまで抑えていたものが一瞬で吹き飛び、激しい怒りと悲しみが心の中で渦を巻いた。
由夏の目からは涙が溢れだした。そして泣き叫び、怒りの言葉を晴輝にぶつけた。
そんな由夏を冷静な顔で見ていた晴輝が突然大笑いを始めた。
突然の晴輝の変わりように由夏は泣き叫ぶのを止めて、呆然と晴輝が笑うのを見つめていた。
「何がそんなに可笑しいの」
晴輝は笑いを堪えながら由夏の問いかけに答えた。
「君が僕の期待通りの反応をするからだよ」
それを聞いてさらに由夏は怒りが込み上げてきた。
「なんなの一体。どうしてこんな酷いことをするの」
晴輝はそれに対して苦笑した。
「どうしてだって。僕が君にされたことをそのまま君にしただけだよ」
「私があなたに......、私があなたに何をしたと言うの」
由夏はもう何が何だかわからないといった感じで頭を抱えた。
「わからないのかい、しょうがないな。ならば教えてあげるよ」
晴輝は近くにあったソファーに腰かけると、由夏に向かって語り始めた。
昔、ある華族の屋敷に働く一人の庭師見習いの男がいた。来る日も来る日も、ただ広大な庭の手入れをすることだけが男の日常だった。
華族の家には若くてとても美しい一人娘が居た。その娘がある日、庭を散策しているときにその男と出会った。娘は初めて会った日から男に気さくに話しかけた。二人は最初は他愛のない話をするだけだったが、次第に庭で会うといろいろとお互いの話をするようになった。
ある日、娘はその男にあなたともっと話がしたいから夜中に自分の部屋まで来てほしいと言った。娘の部屋は屋敷の一番上、3階だった。
男は娘に会いたい一心で屋敷の外壁をよじ登り、なんとか娘の部屋まで行くことができた。
娘は男を部屋に向かい入れ、そこで二人は深い男女の仲となった。
男は有頂天となっていた。身分が違いすぎることは分かっていたが、それが逆に男の密かな優越感となっていた。そして二人はいつかは一緒になろうと将来の約束をもしていた。
だがある日、娘に縁談があることがわかった。財界の大物と呼ばれる会社社長のその一人息子が相手だった。
男は当然娘が断るものだと思っていたが、縁談はとんとん拍子に進んでいった。
不安を覚えた男はある夜、再び屋敷の外壁をよじ登り、娘の部屋へと行った。
そこで娘に自分とどこか遠くに逃げようと言った。そしてそこで二人で暮らそうとも。男は君のことは俺が必ず守るからと、娘を必死で説得した。
だがそれを聞いた娘が大笑いをした。
「あなたに何ができるっていうの。笑わせないで。あなたにできることなんて夜中に人目を忍んで私の部屋に来ることだけ。あなたなんてその程度の存在。あなたは元々こうなる運命だったの。それを本気にして、あなたってほんとうに救いようのない馬鹿ね」
男は娘からそのような言葉を浴びせられてなお、まだ信じられない思いだった。
「ふざけるのはよしてくれ。俺は本気なんだよ」
男は隠し持っていたナイフをポケットから取り出した。
女はそのナイフを見てまた馬鹿にしたように鼻で笑った。
「ふざけてなんかないわ。ウフフ、そうなのよ、結局あなたにできることはそれくらいなのよ」
可笑しそうに笑い続ける女に、男はナイフを片手に近づいた。そして......。
由夏は晴輝がなんの話をしているのか理解できなかった。
「何を言っているの」
「まだわからないのかい。本当にしょうがないな。その男と言うのは僕の前世なんだよ。そして、その華族の娘、それが前世での君だ」
由夏は晴輝がおかしくなってしまったと思った。
「ねぇ、さっきから何を言っているの。前世とかそんな話はどうでもいい。私はあなたが、どうしてこんなことをしたのかが知りたいの」
晴輝は心底からあきれたとばかりにフゥとため息をついた。
「だからその理由を今説明したじゃないか。前世で君にやられたことをそのまま君にやりかえしただけだよ」
由夏は全身を震わさんばかりに絶叫した。
「もう嫌。そんな話でごまかしても無駄よ。あなたが私を捨ててあの女と結婚するというなら私はあなたを許さない」
そう言って由夏は自宅から持ってきていた護身用のナイフをカバンから取り出した。
だが晴輝はナイフを見ても動じるどころか、不敵に笑った。
「いいね。想定通りだ。僕は君とは結婚しない。あの女と結婚する。さあ、どうする。そのナイフで僕を刺すかい」
そう言って、由夏を迎えるように晴輝は両手を広げた。
由夏は迷うこともなくナイフを晴輝の腹に突き立てた。
床に崩れ落ちる晴輝。由夏は血塗られた自身の手とその手にあるナイフを見てさらに震えていた。
晴輝は腹の傷を抑えていた手を顔の前に広げる。
そこには血で真っ赤になった手があった。
それを見て晴輝は満足そうに笑った。
「そう、これでいい。あの時は僕が君の腹にナイフを突き立てて君を殺した。あの時とは立場は代わったが完全に同じになった」
晴輝は腹を刺されているのに嬉しそうに笑っている。その異様な姿に、由夏は身動きできずにただ呆然と晴輝の言葉を聞いていた。
「僕は前世で君を殺したあとに捕らえられ死刑が宣告された。そして牢獄の中で死刑となって死ぬまでずっと考えていた。来世に生まれ変わって君にされたことを君にやり返そうと。そして祈っていた。再び同じ時代、同じ場所に僕と君が生まれることを」
そこで晴輝は口から苦しそうに吐血したが、それでも話すのをやめようとはしなかった。
「現世に生まれたとき、僕は明確に前世の記憶を持っていた。そして君を初めて見たとき、君が前世ではあの女であったことはすぐにわかったよ。僕はずっと探していたからね。そして君を見つけた時に、僕は前々から立てていたこの計画を実行にうつした。大変だったよ。僕の生まれた家は金持ちでもなんでもない普通の家だったからね。前世の君の家みたいに金も地位も何も無かった。僕はそれを手に入れるために必死で頑張ったよ。そうして全てを完璧に準備をした。だから僕は計画を寸分も違わず見事やり遂げられた。満足しているよ。ただ一つだけ、僕は君を殺したことで死刑となったのに、君は僕を殺しただけでは死刑にはならないだろう。それだけが心残りだけどこればかりはしょうがない......。おそらく来世でも僕は君に出会うのだろうね。僕たちは......そういう運命なのだから」
晴輝はそこまで言うと力尽きた。
由夏は、ただ茫然と目の前で自分がナイフで刺した晴輝が死んでいくのを見つめるだけだった。
私は晴輝に嵌められたのだ。そして私は殺人者としてこの一生を生きていくのだ。もうこの人生に輝きはない。それに私に耐えられるだろうか。もし耐えられなかったその時は、私は晴輝が言うように来世での復讐を願うのだろうか。
そして由夏は気づくのだった。これは晴輝が言うように運命なのだと。
私たち二人だけの逆らうことができない永遠に繰り返し続く血塗られた残酷な運命、あなたは特別な運命の人。