さようなら。ボイド様。一度もわたくしを愛さなかった人。
「レリリア・アルファン公爵令嬢、そなたと婚約破棄をする」
「嫌でございます」
「聞こえなかったのか?お前のようなしつこい女と私は結婚する気はない。心優しいマリーナと、私は結婚するのだ」
「嫌でございます」
レリリアは婚約破棄を言い渡して来た、ボイド王太子の足に縋って、
「お願いでございます。どうか、婚約破棄だけは。そちらの令嬢がお好きならば、側妃でも妾妃でもお迎え下さいませ。でも、わたくしをどうか、正妃にっ」
「煩いぞ」
足で蹴とばされて、レリリアは床に転がる。
場所は夜会。大勢の貴族達が何事かと、こちらを注目している。
ボイド王太子は18歳。レリリア・アルファン公爵令嬢である自分とは同い年で幼い頃からの婚約者だ。
レリリアはボイド王太子に惚れ切っていた。
彼は金の髪に碧い瞳。
とても美しくて何をやらせても、完璧な王太子殿下。
ただ、ボイド王太子には愛する女性がいた。
メイドのマリーナである。
彼女はフェレ男爵家の出で、王宮で3年前からボイド王太子の世話係として働いていた。
歳は20歳。
ボイド王太子は、マリーナの事を愛する女性と公言してはばからなかった。
交流の茶会でも、マリーナがいかに素晴らしいか。自慢ばかりしてくる。
「マリーナは優しいのだ。私が疲れたというと膝枕をしてくれるし、髪を撫でてくれる。そなたとは大違いだ」
「わたくしだって、王太子殿下が望めば……」
「ふん。お前は政略で結ばれた女。私はお前なんぞ大嫌いだが、アルファン公爵家の後ろ盾は必要だからな」
「わたくしは、いつでも王太子殿下の事を愛しておりますわ」
レリリアはボイド王太子を愛していた。
尊敬もしていた。
ボイド王太子との結婚を楽しみに生きてきた。
誕生日プレゼントは心を込めて、一月前から選びに選んで素敵な袖に飾るピンや、こだわった宝石付きのペン等、こちらからは贈っても、何もお返しをくれなかった。
いかに愛しているか、返事が来なくても、一生懸命手紙も書いた。
たまに開催されるお茶会でも、ボイド王太子に気に入られるように、色々な話題を提供した。
それでも、ボイド王太子の態度はそっけなくて。
構わなかった。ボイド王太子の事を愛していたので。酷い言葉や酷い態度でも、いずれは結婚して彼は変わるかもしれない。そう思って先々の結婚を楽しみにしてきたのだ。
あまりにもボイド王太子がレリリアをないがしろにするので、レリリアの兄ギルバートは怒り狂っていたけれども、父であるアルファン公爵は、
「王家との繋がりが出来ればよい。レリリア。失敗するではないぞ。我がアルファン公爵家から未来の国王が出るならば、ボイド王太子殿下と何が何でも結婚しろ。いいな」
レリリアは、
「かしこまりました。お父様」
母であるアルファン公爵夫人も、
「良い心がけだわ。レリリア。お前は名門であるアルファン公爵家の娘。必ず我が公爵家の為に王家に嫁ぐのです。よいですね」
「かしこまりました。お母様」
元々、逃げ場はない。
公爵家の為にもボイド王太子に嫁がねばならない。
兄のギルバートは、
「お前に犠牲を強いてしまって申し訳ない。あの王太子は最低だな。あんな野郎に大事なレリリアを嫁にやらねばならないとは」
「有難うございます。お兄様。でも、わたくしはボイド王太子殿下を愛しておりますわ」
そう、愛している。愛している。愛している。
あの方を愛しているの。どんなに冷たくされても愛しているの。
あの方の役に立つことがわたくしの幸せ。
そう、幸せなのだわ。
だから、夜会で突然、婚約破棄をされた時はあまりにも驚いて、ボイド王太子殿下にすがってしまった。
ボイド王太子は、足に縋るレリリアに、
「そこまで私の事が愛しいか?」
「はい。ボイド王太子殿下。わたくしを捨てないで下さいませ」
「だったら、側妃として、マリーナを支えろ。それが出来なければ婚約破棄だ」
「でも、お父様が……」
「アルファン公爵には王家の命だと伝える」
父アルファン公爵は怒りまくるだろう。
でも、ボイド王太子から離れるだなんて考えられなかった。
アルファン公爵である父は、レリリアの報告を聞いて納得出来ないと、国王陛下に苦情を言いにいったが、子に甘い国王によって。
「良いではないか。そなたの娘が子を産めばよいのでは?」
と、公爵家を馬鹿にしているような返答が返って来た。
ボイド王太子が愛しているマリーナは男爵家の令嬢だ。男爵家の令嬢が王太子妃になる。
それは本来、許されることではない。
だが、レリリアが側妃として支える事になり、マリーナが結婚後、王太子妃になることになった。
愛するボイド王太子殿下の為に、わたくしは頑張るわ。
「マリーナ様。ご不便はありませんでしょうか?何でもわたくしに相談して下さいませ」
マリーナに挨拶しに行くと、マリーナは、
「私が先行き、王妃様になるのね。ええ、頼りにしているわ。よろしくお願いするわねー」
そして、レリリアを蔑むように、
「王太子殿下に愛されなくてかわいそー。私は毎日、ボイド様に愛している愛しているって言われて幸せなのよーーー。見てーー。この首飾りだって、この腕輪だってボイド様にプレゼントされたのっ」
羨ましかった。
一度もボイド王太子からプレゼントなんて貰ったことがない。
ああ、でもこれから、側妃として、マリーナを支えていけば、いつかボイド王太子殿下に褒められて愛されるかもしれない。
レリリアはうっとりと、先行きの夢のような生活を思い浮かべた。
兄のギルバートが、
「レリリア。お前は使い潰される。ただただ、ボイド王太子殿下に利用されて。マリーナという女だって、お前を使い潰す気でいるぞ。私は心配なのだ。レリリア。お前は幸せになれない」
「お兄様。そんな事はないわ。わたくしは、いつかボイド王太子殿下に愛されて幸せになるのよ。ああ、ボイド様の子ならば、きっと可愛いでしょうね。美しいでしょうね」
ボイド王太子殿下にそっくりな可愛い子を抱き締めている自分を想像して、レリリアはうっとりとした。
それから、しばらくして、マリーナとボイド王太子殿下の結婚式が盛大に行われた。
レリリアは結婚式すら行われず、ただ後宮に移動しただけで。
それでも、いつかきっとボイド王太子殿下に愛して貰える。
そう信じて、公爵家から素敵なドレスを沢山持ち込んで。自分を着飾った。
しかし、ボイド王太子殿下はマリーナの所へ入りびたりで、こちらへ足を向ける事すらない。
マリーナに豪華なドレスやアクセサリーを用意して、部屋も広く豪華な部屋に住ませて。
マリーナはこれ見よがしに、レリリアに会いに来て、
「私、まだ礼儀作法とか難しくて。しっかりと私について、助けて頂戴ねー。助言もよろしくね。それが貴方の役目なのよ。ボイド様に愛してもらえるなんて。ボイド様は私しか愛せないの。私、可愛いからーー」
悔しかった。
それでも。いつかボイド王太子殿下に愛して貰える。
よくよく考えれば解っていたのに。
婚約を結んだ幼い頃から、ちっとも興味を持たれなくて。
ずっとないがしろにしてきた男が、いくらレリリアが頑張ったとて、愛してくれるはずはないのだ。
頭がおかしくなっていた。
マリーナに礼儀作法を教え、外国からの客が来ているときは傍にいて、助言をする。
マリーナが引き立つように、夜会に行くときも、ドレスやアクセサリーを選ぶこともあった。
マリーナはボイド王太子殿下に寄り添い、見せびらかすように、蔑むように、レリリアを見る。
口端に歪んだ笑いを浮かべながら。
ボイド王太子も同じく、
虫けらのような目でレリリアを見る。
それでも、レリリアはいつか、愛して貰えると信じて。
にこやかに二人に向かって微笑みを返す。
そんな毎日を過ごしていたのだが、ふと……とある日、
聞いてしまったのだ。
「レリリア様、かわいそー。ボイド様にいつか愛されると信じているみたいで。一生、愛することなんてないのにねー」
マリーナの言葉にボイド王太子は、
「まったくだ。誰があんなしつこいだけの見栄えの悪い女。マリーナの方が余程美人だ」
自分は茶の髪に黒い瞳……マリーナは金の髪に碧い瞳でとても美しい。
解っていた。
認めたくなかった。
今まで全く愛されてこなかったのだ。
それがこれから愛してくれるだなんて、一生かかったってあり得ない。
悲しかった。
苦しかった。
ただただ、ボイド王太子に愛されたかった。
涙が零れる。
かといって、現状、どうすることも出来ない。
変わらない日々。
マリーナを支える為、傍で支えて。
ボイド王太子には相手にもされなくて。
そんな中、耳に入って来るのは、王家への不平不満。
国王、王妃は贅沢好きで、派手に金を使い、毎日のように夜会を王宮で開く。
そのうち、ボイド王太子も、マリーナも国王夫妻を見習うようになり、マリーナは宝石を買いあさり、次々とドレスを作り、王太子と共に豪遊し、金を使いまくった。
レリリアが二人に向かって、
「国民の税金でそのような無駄使いをするのはよくないのではありませんか?」
ボイド王太子は吐き捨てるように、
「側妃の癖して煩い。ああ、愛しのマリーナ。新しいドレスを作ろう。宝石ももっと買ってやるぞ」
マリーナはボイド王太子にしなだれかかり、
「嬉しいっ。新しいドレス、宝石を沢山つけちゃおうかしら」
いくら諫めてみてもダメで。
そんな中、兄ギルバートから、領地に里帰りしてこいと手紙を貰った。
嫌な予感がする。
今までこのような手紙を貰ったことはない。
里帰りなんて、病にでもかからなければ許されない。
王宮にいる医者を買収してでも領地に戻って来いと書いてあって、
きっと……何かを起こす気だ。
ボイド王太子に何を言っても聞いて貰えない。
そんな中、
偶然、後宮の図書が置いてある部屋で、隠し扉を見つけてしまった。
うっかり、本を引いたら、本棚が開いて通路が現れたのだ。
レリリアは思う。
「隠し通路ね」
ひんやりとする石で出来た狭い通路。
中は暗いので、灯りを着けてどこへ繋がっているか、レリリアは行ってみることにした。
しばらく歩いていると、階段が見えて、そこを上って外へ出てみれば、木の扉が見える。
扉を押し上げれば、王宮の裏庭の近くの馬小屋の中に出られるようで。
馬が近くにいてレリリアはとても驚いた。
何かあったらここから後宮の人達は逃げられるという事だろう。
だったら……
馬小屋を見渡してみれば、人がいない。
こっそりと外へ出たら、いらない木材が積んであるのが目に入った。
それを一つ苦労して持ってきて、扉を塞ぐように置き。その上から藁をかけて、下から開けられないようにした。
何気ない顔をして、王宮の裏庭が馬小屋とある場所と近かったので、裏庭から後宮に戻るレリリア。
医者に金を握らせ、翌日から仮病を使い、医者の進言でレリリアは里帰りを許されることとなった。
「ボイド王太子殿下。お傍を離れる事はとても寂しいですわ」
ボイド王太子は吐き捨てるように、
「こちらはせいせいしている。ただ、マリーナの補佐をする女がいない。さっさと病を治して戻ってくるがいい」
「かしこまりましてございます」
アルファン公爵家の領地へ戻ったら、兄ギルバートが歓迎してくれた。
ギルバートは公爵家を継ぎ、公爵となっていた。
結婚してルリアーナという妻を貰っていて、二人は戻って来たレリリアを暖かく迎えてくれた。
「お兄様。戻って来いとはもしかして、何か王宮に悪いことが起こるのでは?」
ギルバートは、
「ああ、カイル王弟殿下が、立ち上がる事となった。我が公爵家も賛同する。国民も今の王家に嫌気がさしている。他の貴族達も同じくだ。だから、お前に害が及ばないように戻るように言ったんだ」
「やはりそうでしたのね」
隠し通路の出口は塞いでおいたのだ。
誰かが出口が塞がれているのを気づかない限り、ボイド王太子もマリーナも逃げる事は出来ないだろう。王宮にいる国王や王妃は知らないが。
そしてしばらくして、領地にいたレリリアは、国王陛下と王妃は貴族達に詰め寄られ捕らえられて、カイル王弟殿下が王位を継ぐことになったと聞いた。
後宮にいたボイド王太子はマリーナと隠し通路から逃げようとしたが、逃げ切れず隠し通路の中で捕まったと。
そして、カイル王弟殿下の命で、国王陛下、王妃、ボイド王太子、マリーナ王太子妃は贅沢を極めて、国民を苦しめた罪で処刑されることとなった。
一度は愛した人。
胸が痛い。
一度もわたくしを愛さなかった人。
こうなって当然だわ。
王都で行われる四人の処刑を、レリリアは見に行くことにした。
兄ギルバートと共にレリリアは処刑場の席に着く。
やつれた元国王陛下と元王妃がまず連れてこられた。
「わしは国王じゃっ。贅沢して何が悪い」
「そうよそうよっ。助けてーーー」
国民皆が石を投げる。
二人はよろよろと、処刑場に連れて行かれて。
カイル国王陛下が叫ぶ。
「新しい世の幕開けだ。皆、祝って欲しい」
「「「わぁーーーー」」」
二人の首は処刑人によって刎ねられた。
次はボイド元王太子とマリーナ元王太子妃の番である。
が、二人は現れなかった。
国民達からブーイングが起こる。
カイル国王陛下が声高らかに、
「マリーナ元王太子妃は、鉱山へ送った。少しでも働いて我が王国の為に役立ってくれるだろう。彼女は若い。このまま処刑せずとも、長く長くながーく働いて金を稼がせたい。それが彼女に対する罰だ」
王国民皆が、納得したように頷く。
「そしてボイド元王太子殿下だが」
そこへ現れるムキムキ達。
「我ら辺境騎士団が貰い受けた」
「そこで、我らが為に役立って貰うこととなった」
王国民全員が納得した。
辺境騎士団なら仕方がない。
辺境騎士団は、どこの国も彼らには一目置いている最強集団なのだ。
ボイド元王太子は凄い美男だから、ムキムキ達に可愛がられるというある意味、処刑されるより可哀そうな行く末。
レリリアは、最後に一目見ようと、ボイドの姿を探したが、辺境騎士団員はボイドを連れてきてはいなかった。
兄ギルバートと共に領地へ帰ろうとしたら、カイル王弟殿下に声をかけられた。
「レリリア。どうか、私の妻になって新しい王国を支えて欲しい」
「カイル王弟殿下」
「私は今まで結婚をしなかった。仕事が忙しかったから……だが、これからは王国の為に力を尽くさなければならない。だから、レリリア。私と共に王国の為に働いてくれないか?」
「わたくしは、ずっとボイド様を愛しておりました。どんなに酷い態度を取られても、ずっとずっと愛しておりました。そんなわたくしに王妃が務まるとは思えません」
「無理に私を愛さなくてもいい。ずっとボイドの事を思ってくれてもいい」
「わたくしは、ずっと傷ついておりました。ずっとずっと振り向いてくれなかったんですもの。貴方に同じ思いをしてほしくありませんわ。でも、どうしてもわたくしが必要で政略というならば……」
「それならば、政略で……でも、私は例え政略で君と結婚したとしても、君に愛を囁き続けるよ。いつか傷ついた君の心が溶けるまで。ボイドがやらかした事を償いたい。あれでも私の甥だからね」
「この話、お受け致しますわ」
さようなら。ボイド様。一度もわたくしを愛さなかった人。
わたくしは、貴方の事を忘れて、王妃としてこの王国の為に尽くしますわ。
カイル国王陛下の元、傾きかけた王国は立ち直り、繁栄を極めた。
レリリア王妃とカイル国王の間には可愛い3人の王女が授かって。
レリリア王妃の心の氷は溶けたのか、国王夫妻の仲睦まじさは王国内外で有名だったと言われている。