07.恋愛スキル
数日後の朝、グレンから与えられた携帯が鳴り響く。ミハエルは朝食を取っている最中だったが、取りあえず携帯を手に取って対応に出た。
「おはよう、ミハエル」
「あ、ジャン?」
話し方でジャンからだと分かったが、こんなに朝早くから何の用だろうと思っていると、今から何処かに出掛けないかと誘われて、特に断る理由もないのでミハエルは承諾した。
出かける準備を終え、玄関先へ向かうと、直ぐにエラルドも出て来る。
「……よく分かったね?」
「そちらの扉が開くと、私の部屋に呼び出し音が鳴り響くようになってます」
「そっか……」
本当に護衛と言うよりは監視だ、と目を細めた。
「どちらへ向かわれるのでしょうか?」
「あー、ジャンから出かけようと言われて、ちょっと行って来る」
「私も、ご一緒します」
「え……?」
「グレン様からのご命令です。片時も離れるなと……」
何となく、彼の言い方で自分はグレンから信用されてないのだと感じた。
監視をしていないと、何処かへ逃げ出すのではと思われている気がして、不快な感情が湧く。それに花婿候補とのやり取りをエラルドに見られて、会話まで聞かれるのかと思うと楽しめそうにないと思う。
どちらにしてもミハエルに権限はないし、仕方がないことだと諦めて部屋を出た。
自分の部屋があった西の館を出て中央へ向かうと、広々としたエントランスが広がっている。その付近にジャンの姿が見え、小さく頭を下げた。
「今日も暑いよねぇ……」
「この国は〝特に〟だね」
やっぱり年が近いせいか、大学にいる友人と変わらない感覚で会話が出来る。アルファとはいえ、グレンや彼の兄のような威圧感もないし、取りあえず、今の所一番好感度が高い。
ジャンは背後にいるエラルドを見て、「もしかして護衛付き?」と分かり易く嫌な顔を晒す。
「グレン兄さんの命令らしいんだ」
「ふぅん……、大事な取引の商品に何かあったら一大事だからねぇ……、あ、ごめん、嫌な言い方して」
「ん、いいよ。俺も自分がどういう立場か分かってるから……」
苦い笑みを浮かべたジャンは、眉尻を下げて、「本当にごめん」と謝ったけれど、目線をミハエルに固定したまま、また口を動かした。
「んー、疎外されてた王子だって聞いてたけど、勝手がいいよなぁ、自分達の都合に合わせて政略結婚させようなん……て……」
またもや失言したことに気が付いた彼は、両手で口をむぎゅと押さえる。そんな彼を見て、ミハエルは軽く声を出して笑った。
本当に大学生、それも身近に居そうな人間だと思いながら、「気にしなくてもいいよ、俺だって、そう思ってる」と告げた。
「けど、あまり良い話じゃないよな、うー……、俺の好感度ぉ……」
「そう思うなら、エラルドに賄賂を渡した方がいいかも? きっとグレン兄さんに報告するから」
チラっとミハエルがエラルドへ目を向けた。それを見ていたジャンが、両手をパシと合わせて、「今の報告しないで」と言う。
エラルドは無表情のまま、「会話は報告義務に入っておりません」と愛想なく頭を下げた。
それを聞き、胸を撫で下ろしたジャンは、「なーんだよ、焦って損したじゃん」とエラルドの脇を肘で突いた。
「よし、じゃあ、早速だけど行こうか?」
気を取り直したジャンがうきうきしながら言う。
「うん、けど何処に行くの?」
「それなんだけど、海の近くに美味しい魚料理を出す店があるらしいんだ。ドライブがてら行って見ない?」
「うん、いいよ」
人と親交を深めるには、食事を重ねたり、互いの趣味を共有するのが一番の近道なので、ジャンの行動も頷ける。
けど、正直、恋愛経験のない自分には、こんなことで相手に好意を持てるのかは疑問だった。いくらオメガに属性転換したからと言って、同性の彼を、すんなり受け入れることは出来ないのでは? と思う。
ミハエルの心配事など知る由もないジャンは、宮殿を出て直ぐに用意されている車に乗り込んだ。どうやらグレンが用意してくれた車らしく、如何にも高級車と言う車を見て、乗るのを躊躇った。
先に乗り込んだジャンが、「どうかした?」と目を丸くするのを見て、慌てて助手席のドアを開けようとしたが、エラルドがサっとドアを開けてくれた。
「あー、俺がエスコートするべきだった?」
「そうじゃなくて、こんな高級車に乗ったことがなくて……、ちょっと途惑う」
正直に告白すると、ジャンは声を出して笑った。
「素直だな、俺の周りにはいないタイプだ」
「君の周りにはアルファしかいないからだよ」
「ん、まあ、それを言っちゃうと身も蓋もないんだけどさ」
言ったあとで卑屈な言葉だったと気が付いたが、属性で決まる能力の差はどうしようもない。大半のアルファが挫折を経験したことがないだろうし、実際に落ちぶれたアルファなどミハエルは見たことがない。
子供の頃はアルファを羨ましいと思ったこともあった。所謂、無い物ねだりというヤツだ。車を走らせるジャンを横目で見つめながら、アルファは他の属性を羨ましいなんて思わないんだろうな、と少し捻くれた思いが頭を過った――。
辿り着いた飲食店で食事を取り、ジャンの話に耳を傾けながら、それなりに楽しい時間を過ごすと宮殿へ戻った。
別れ際、ジャンから軽く頬にキスをされて、「え」と思わず驚いて、体がビク付いた。
「あ……、そっかフランス式?」
フランス人はビズと言う挨拶があるので、それだったと気が付いたが、ミハエルの言葉を聞き、ジャンは瞠目する。
「ビズじゃないよ、好意のつもりだったんだけど……」
「そ、そっか、ごめん慣れてなくて」
「いや、こっちこそ」
何だかお互いに気まずい雰囲気が出来上がり、今のは流石に自分が悪かったと反省していると、「んー」と唸り声をあげたジャンは、甘えた目でこちらを見る。
「いつか、ミハエルからもして欲しい」
そう言って彼は、また軽く頬にキスをして去って行った。
今まで受けたことの無い好意と行為に、しばらく、ぼーっとしているとエラルドが、「大丈夫ですか?」と声を掛けて来る。
「ん、平気だよ」
「お部屋に戻られますか?」
「そうだね」
こくりと頷き、西の間にある自分の部屋へと辿り着くと、「それでは」と言って反対側の部屋へと身体の向きを変えたエラルドを呼び止めた。
「少し話を……」
「畏まりました」
自分の恋愛スキルが低いのを晒すのは恥ずかしい。けれど、今後、他の婿候補の二人とも友好を深めていかなくてはいけないことを考えると、そんなことを言ってる場合ではなかった。
エラルドを部屋へと招き入れると、リビングのソファーへと座ってもらう。
お茶の用意をしていると、エラルドが、「私がやります」と言って手際よく準備をしてくれる。それに口を付けながらミハエルは話を切り出した。
「俺、恋人とかいたことがないんだ」
「はい、存じております」
「そんなことも資料に書いてあるの……?」
小さくエラルドはうなずいた。本当に何かも知っているのだと知り、ミハエルはまるで裸にされたような羞恥を感じた。
けど、それなら今さら恰好付けても仕方ない、開き直って初歩的なことを聞いた。
「さっき見たいな時ってどう対応するのが普通なのかな?」
「さっき……、ああ、キスですか?」
「そう」
「自然に受け入れるだけで十分だと思います」
「そう? けど、ジャンは物足りなさそうにしてた」
それと、彼が気を遣ってキスをしてくれたのであれば、可哀想な気がしたので気になったと、ミハエルは付け足した。
「ミハエル様が好意を抱かれたのであれば、同じように返して差し上げるべきかと……」
「なるほどね、じゃあ、必ず返す必要はない?」
「そういうことになります」
そうなんだ、と一人で頷いていると、エラルドの口端がピクピクしていることに気が付いた。
「どうかした? 変な顔して」
「い、いえ」
妙にこもった声、懸命に何かを我慢していることに気が付き、ミハエルは、「笑いたければ笑っていい」と声を掛けた。
「すみません、笑いたいわけでは……」
「俺もさ、変な質問している自覚はあるんだ。あー、エラルドは今まで何人くらいの人と付き合ってきたの?」
「答えなくてはいけませんか?」
答えたくないなら答えなくてもいいと思っているのに、ミハエルの口は違うことを言っていた。
「答えて」
「……ちゃんとした付き合いは……したことがありません」
「つまり、遊び?」
「そうなります」
アルファならそうなのかもな、と妙に納得した。堂々と遊びの付き合いしかしたことがないと言う彼を見て、互いに割り切った上での遊びなのかは分からないけど、悪びれもせず言うからには相手から遊びでもいいと縋られたのだろう、と勝手に解釈した――。