04.弟
サルスジャミン諸王国が石油産出国であることは、マーヴィンから事前に説明を受けていたので理解していた。
徐々に石油に関する需要が減っているとはいえ、まだまだ天然資源としての価値は高い。
だから、目の前に建っている豪華な建物の理由も十分に分かっているつもりだった。
ホワイトとベージュを交互に使った外壁の飾り壁、伝統的なオリエンタルな模様が所々にワンポイントとして使われており、何処を見てもミハエルには芸術品に見えた。
宮殿内に入ると、通路の中央に浅めの水路があり、その水中を色鮮やかな魚が泳いでいるのが目に留まる。
ほぅ、とその美しさに瞳を奪われていると、前を歩くグレンがピタリと歩みを止めた。
「しばらくはホテル住まいだが、お前の部屋はフェルナンドと同じ西館の建物に用意させる。何か希望があれば言え」
淡々と宮殿内に移住する話をされて、もうイギリスに帰ることは出来ないのかと落胆した。
「希望はありません……、それより、大学はどうすればいいのでしょうか?」
正直、部屋なんてミハエルにはどうでも良かった。
通っていた大学には通えないにしても、せっかく自分の生きる道として植物学を学んで来たのだから、この国から通える大学でもあればと思っていた。
「何を学びたい? まさかとは思うが、植物学とか言うんじゃないだろうな?」
「いけませんか?」
「いや、医学に役立つ学業のひとつだが、お前は王族で第二王子だ。そんな物を学んだ所で何の役にも立たない」
ただ、大学へ行きたいだけ、そんな普通の希望ですら叶わないのだと知り、生きる意味すら失いそうだった。
これからの自分の人生に絶望していると、宮殿内にあるエレベーターの前に案内される。
建物自体は昔の作りだが、内装は所々に近代的な器具がちらほらと見え、アンバランスなのに妙に馴染んでいて逆に洒落た印象を持った。
――なんだか、ここも高級ホテル見たいだ。
エレベーターで三階へ辿り着き、この階では従業員らしき人間は殆ど見かけなくなったため、本当にプライベートな空間なのだと感じた。
グレンが突き当りの扉の前で立ち止まり、「ここがフェルナンドの部屋だ」と言い、すかさず扉付近にあるインターフォンらしき物を鳴らした。
部屋の扉は自動扉のようで、スーっと木の扉が開き、あまりにも近代的な仕様にミハエルは少し驚いた。
室内に足を入れると、広々としたリビングとアイランドキッチンが見えて、普通の家と変わりない間取りだった。
ミハエルが室内の様子を伺っていると、成人男性より少し幼い声色で、「遅かったね」と声を出しながら、誰かが近付いて来る。
「ああ、色々とミハエルに説明をしていた」
グレンと会話をする人物を見ていると、こちらに気が付いた彼が、愛くるしい唇を動かした。
「ミハエル兄さんだ!」
そう言って彼は走り寄って来ると、何の躊躇いもなく自分に抱き付いてくる。本当に双子の弟なのか、と思うほど似ていない風貌に驚き目を瞠った。
髪の色と瞳の色は同じかも知れないが、顔のパーツや漂う雰囲気はミハエルとは相異なる物だった。
オメガ特有の甘ったるい眼差しは仕方ないにしても、王族としての漂う気品や、堂々とした態度が、自分が知っているオメガとは、まったく違っていた。
ミハエルが初めて会う弟に途惑っていると、遠巻きに見ていたグレンが、こちらへと視線を投げ、「そうやって見ると、やはり双子だな、似ている」と言った。
「いえ、俺とは全然……」
ミハエルは咄嗟に似ていないと返事を返そうとしたが、フェルナンドに腕を取られ、その言葉を飲んだ。
子猫のように甘えた仕草を見せる彼は、話したいことがたくさんあるから、と腕をひっぱりながら言う。
その言葉を聞いたグレンがフェルナンドへ向けて忠告する。
「一時間だけだ」
「分かってるよ」
少し不貞腐れ気味に返事を返したフェルナンドは、こちらへと顔を向けると、ぱちっと片目を瞑り、ひそひそ声で、「あの人、ミハエル兄さんにも偉そうに命令してきたでしょ?」と言う。
小声とはいえ、当然、グレンにも多少は聞こえていたようで、大きな溜息を吐いた彼は、目を細めると部屋を出て行った。
フェルナンドから、「やっと会えて嬉しいよ」と熱の籠った目で見られるが、どうしても弟だと思えなくて、彼の言葉に答えてあげることが出来なかった。
「ごめん……、俺は君のこと全然知らなくて……」
「そうだよね、マーヴィンが言ってた。ミハエル兄さんは今まで王室のこと何も知らなかったって、酷い話だよね」
彼はミハエルの腕を取ると寝室へと招いた。
こちらの部屋も一般的な部屋の装いだが、全てが高級品なのは聞かなくても分かるほど、しっかりと作られた品々ばかりだった。
フェルナンドは、ぽふっとベッドに腰を掛けると、傍に置いてあるタブレットを引き寄せる。
「兄さんこっちに来て」
呼ばれて、ベッドの付近へ向かうと、そのタブレットに過去の自分の動画を映し出し、それを見せられる。
「あー、これプライマリスクールの時の……」
十歳頃の動画が映し出されており、近所の子供達と一緒にベースボールをしている姿が映し出されていた。
「毎回、送られてくるミハエル兄さんの写真や動画を見て過ごして来たんだ」
「そうなんだ……?」
「本当なら、俺と一緒に生活しているはずなのに……」
そう言ってフェルナンドは寂しそうな表情をして見せた。
「あ、ごめんね、ミハエル兄さんのせいじゃないのに、それに、僕の代わりに花婿選びをするんでしょう?」
落ち込むフェルナンドの姿に、胸がチクっと痛んだ。
彼は彼なりの罪悪感のような物を抱えているようで、ミハエルに花婿選びをさせることを申し訳なく思っているようだった。
「あのさ、俺は自分がこの国の王子だって知ったばかりだから、まだ実感もないんだ。それに君と俺って似てないから、何だか変な感じがしてる。それから花婿の件も、まだ了承したわけじゃ……」
「え……?」
一瞬で彼の表情が曇った。
「断るの?」
「あ、うん、と言うか、今日、聞かされたばかりで、俺はどうすればいいか分からないんだ……」
そう、自分は花婿の件も、双子の弟のことも、数時間前に聞かされたばかりで、そんなに直ぐに理解出来るわけが無かった。
それに――。
「急にオメガに属性転換をしろ、って言われて、それも納得出来なくて……」
「そっか……、でもミハエル兄さんなら、オメガになっても大丈夫じゃないかな?」
フェルナンドに、恍惚とした顔でそう言われて、何故か照れてしまった。
そういう所がオメガらしいと言うか、本人は媚びているつもりはないのだろうけど、甘ったるいオメガの眼差しは、庇護欲を掻き立てられた。
しばらく、二人で今までのことを話していると、グレンが、「そろそろ時間だ」と告げに来る。
「じゃあ、俺は行くね」
「あ、ミハエル兄さん、オメガになったら、僕が色々教えてあげるね」
「うん?」
何を? と聞こうとしたが、それより先にフェルナンドの口から、オメガになると困ることも増えるから、と妖艶に微笑まれ、取りあえずミハエルは首肯した。
部屋を出てグレンから、「どうだ、少しは実感が湧いたか?」と聞かれるが、その問いに首を横に振った。
「フェルナンドが俺の弟なんて信じられませんし、実感なんて一生湧かない気がします」
「そうか、まあ、それも仕方がないことだ」
前を歩くグレンは、次は母親の元へ行くと言う。
それを聞いて、実の母親に会うと言うのに、嬉しい気持ちが湧くどころか、何故か会いたくないとミハエルは思った。
迷子になりそうな宮殿内を歩き、連れられた場所は王族達だけが使用する応接室だった。
身内だけで話し合う時に使用する部屋らしく、必要最低限の物しかない室内だったが、一般の家庭では到底お目にかかることはない美術品が飾られていた。
先に到着した自分達は、身近にある椅子へと腰を落とした。
「ところで、早ければ、明日にでも医療機関へ出向いてもらうことになる」
「明日ですか?」
「ああ、早ければ早いほどいい、属性転換しても一ヶ月は入院生活が待っているからな」
そんなに長い期間? とミハエルが疑問を持っているのがグレンには丸わかりだったのか、属性転換の説明を続ける。
転換後、身体がしばらく動かなくなるらしく、後遺症はないが筋肉が衰えるため、リハビリなども必要だと教えられた。
二人で今後の話をしていると、一人の女性が颯爽と現れる。優雅な振る舞いを見て、位の高い女性なのは直ぐに理解出来た。
歳は四十代後半くらいだろうか、と、まるで他人を見るような目で彼女を見ていると、ミハエルへ向かって笑みを浮かべた。
「ごめんなさいね。急なことで驚いたでしょうね」
「いえ……」
彼女は謝罪をしながら、ミハエルの目の前の席に座る。
「フェルナンドには会ったのでしょう?」
「はい、先程、お会いしました」
そう、と彼女はグレンへと視線を送った。何かの合図を受け取ったのか兄は席を立つと、しばらく席を外すと言って部屋から出て行った。
すかさず彼女から、「あなたを王族から疎外した理由を話さなくてはいけないわね」と申し訳なさそうに話をし始めるのを、ぼんやりと聞いた――。