28.花嫁に祝福のキスを
結婚式当日、数日前まで騒がしかったミハエルの周りもようやく静かになった。
結婚式の日取りまで決まったと言うのに、ルイードが連日押し掛けてくるせいで、ジャンは終始イライラしていたが、今日ばかりは穏やかな顔をしていた。
会場の控えの間で着替えを済ませていると、フォーマルスーツを着たエラルドが入って来る。
目を大きく見開いた彼が絞り出すように、「お綺麗です」と言った。
「ありがとう。エラルドに褒められるなんて光栄だ」
「いいえ」
「何だか信じられないよね、結婚だなんて」
「そうですか」
「大学に行ってた頃も――」
ああ、もう話をするのはやめようとミハエルは言葉を切った。
不意に途切れてしまった言葉を待つエラルドの姿を今まで何度も見て来たが、改めて忠犬のようだと思う。
ミハエルは軽く微笑すると、近くに来るように呼び寄せた。
「エラルド、花嫁に祝福のキスを……」
一瞬目を瞠るエラルドだったが、椅子に座るミハエルに向かって腰を屈め、そっと頬に唇を押し付けた。
ふわりと触れた彼の唇に、胸が灼けるように痛くなる。彼が小さな吐息を零し、「ご結婚、おめでとうございます」と言う。
「ありがとう、嬉しいよ」
震える声で彼にお礼を伝えた。
嬉しい気持ちとは裏腹に、本当は〝祝福のキス〟を否定されると予想していたミハエルは、頬に残るエラルドの感触に挫けそうになる。
馬鹿なことを言ったと自分で自分の首を絞めたことに気が付き、下唇を軽く噛みしめた――。
新婦の入場時間、式場へ足を向けるミハエルのエスコートをするグレンが、「悪かったな」と言った。
謝られる要素が多すぎて何に対して謝ったのかは不明だったが、おそらく全てなのだと思った。
出生を隠されていたこと、属性転換のこと、政略結婚のこと、けれど彼なりにミハエルに配慮してきたことは理解しているし、今さら謝られることでもなかった。
「謝られると気持ちが悪いです」
「言うようになったな?」
「ええ、兄さんの性格の悪さを俺も受け継いでいるようです」
ミハエルは皮肉たっぷりに言い返した。会場の扉前で一呼吸置くと音楽が流れ、それが合図で大きな扉が開かれた。
正面に見えるジャンはシルクのタキシードで胸元のポケットにはワンポイントで王族だけが許される刺繍が施されていた。
普段のチャラっとした格好ではなくスーツ姿を初めてみたせいか、意外にも男らしく映った。
グレンからジャンへとミハエルの腕が移動し、結婚式の儀式を行う。何も特別なことはなく、祝福のキスと指輪の交換だけのシンプルな行事だったが、ジャンが誓の言葉を発する時、ミハエルにしか聞こえない声で言う。
「これでミハエルは俺から逃げられないね」
「え……」
「俺の側にいる限り、エラルドと一緒に居られるようにしてあげるよ」
「……ジャン、今この場で一生をかけて君と添い遂げることを誓うんだから、他の男の話なんてしないでよ」
ミハエルは震えそうになる手を一旦ぎゅっと握りしめてから、指輪を受け取るために手を差し出した。
自分の指にはめられるのを見届け、同じようにジャンの指にもはめる。
誓のキスを交わすと会場から拍手が沸き起こり、凍り付くような感情に覆われたが、視界にエラルドの顔が見えた途端、何故かほっとした。
――彼を失うわけにはいかない。
どんな形であれ、ミハエルには彼が必要だった――――。
結婚して一年の月日が流れた頃、ミハエルはフランスの大学へ通うことになった。
最初はイギリスの大学に戻るつもりだったが、結局ジャンが離れて暮らすのを許可しなかった。
ミハエルの護衛をするためにエラルドも同じ大学に通うことになったが、相変わらずの距離感だった。
護衛としてミハエルに接している姿は周りから不審がられることも多いが、彼はまったく気にしておらず、学校内では浮いているように見られていた。
それでも、女性からは様々な誘惑に合うようだった。愛想は無いけど、それが逆に女性の心を擽るのだろう。ジャンの恋人だったセリーナも暇があればエラルドにアプローチをしている。ふと思ったことをミハエルは口にする。
「エラルドは恋人作らないの?」
「……必要ありません」
「ああ……、そっか」
ミハエルが納得したような声を出すとエラルドの瞳が揺れる。珍しく動揺をしているのを見て、あの人の名を出した。
「ミス・ジゼルがいるから?」
「彼女とは古くからの友人です」
「女性の友人って、そういう……友人ってことじゃないの?」
ああ、ずっと聞かないようにしてきたのに、こんなの嫉妬しているのが丸かりだと自分を嘲笑った。
「……友人以上の関係ではありません」
「うん」
変な空気になってしまったので、ミハエルは話題を変えた。
「明日は山に行こうか?」
「いえ、明日はジャン様と一緒に過ごす日です」
「……あ、……そうだった……」
発情期ではないのに、性交渉の日程が何故か組まれており、ジャンはエラルドにも日程を伝えていた。
子供を作る義務は必要だと思い、それに関しては受け入れているが、無理やり促進剤を打たれるのは苦痛だった――。
大学を出て家へ向かう。フランスに用意された家は三階建ての豪邸で、一階は広々とした客間であり、ちょっとしたホームパーティーを開く時に使う。
二階からが住居になっており、ゲストルームなどが完備してあり、大家族が泊っても十分な広さだった。
自分達が過ごす部屋は三階で、その三階のキッチンで夕食の準備をしながらジャンからの電話を受けた。
「もう直ぐ帰るから」
「うん、待ってる」
表面上は仲の良い夫婦だろう。そう見える様にミハエルも努力を欠かさないし、ジャンもそうしている。
料理も最初はまったく出来なかったが、日頃の努力の賜物でジャンの好みの料理くらいは容易く作れるようになっていた――。
「ただいま」
「おかえり」
今日の出来事を話しながら、穏やかな時間が過ぎる。今日は機嫌も良さそうだから、いつもより早く終わらせてもらえるかも知れない。
そんな些細な願いも虚しく、ベッドの上では酷かった。
ミハエルは身体が動かせる状態ではないほど酷使され、快楽で意識を彷徨わせた。
気が付けばシャワールームの浴槽に入れられており、ジャンが抱き抱えながら言う。
「ミハエル……、本当に愛してるよ」
「……」
うつらうつら、と頭を揺らしながら、ジャンの言葉を聞いていると、黒い影が現れた。
「後は頼んだ。俺は急ぎの仕事を片付けて来る」
「分かりました……」
黒い影はそう言って、ジャンの代わりに浴槽へと身体を沈めるとミハエルを包み込む。
ぱしゃり、ぱしゃり、と肩に掛けられるお湯が胸元を滑り落ちる。
「ねぇ、エラルド……」
「はい」
「明日は山に行こう……」
「そうですね」
そんなささやかな約束を交わし、バスタブから出ようとした。
「……っ」
「お一人では無理です」
――嫌だ、見ないで欲しい。
今までだって、何度も、何度も、心の中で叫んだ。
ジャンはどうすれば、ミハエルが傷つき、絶望するのか知っている。これが彼なりの愛し方だと言うなら、本当に歪んでいると思った。
――逃げることなんて出来ない。
結婚式で誓わされた言葉は、呪いのようにミハエルの頭にこびり付いていた。
崩れ落ちそうなミハエルの身体を咄嗟に抱き抱えたエラルドが、身体をくまなく拭いてくれる。
毎回、ジャンとの行為が終わったあと、呼び出される彼は、この状況をどうして受け入れているのだろう。
――……ああ、そっか……ジャンから何か言われているのか。
主の命の保証はないとか言えば、エラルドはミハエルを置いて去ったりは出来ない。
だとしても、もう自分の元を去ってくれてもいいのに……、と思う。
護衛を辞めたいと彼から願い出てくれたら、自分は決してエラルドを引き止めたりしないだろう。
それなのに彼が、その一言を言わないでいることに安堵して、少しでもミハエルを気に掛けてくれていることが嬉しいのだから、自分でもどうしようもない人間だと思う。
「エラルド、ありがとう」
支えてくれる彼に御礼を伝えると、ミハエルはそのまま深い眠りの中へと落ちて行った――――。




