24.奇跡なんて望んでない
流れる景色を眺めながらミハエルは、教会での出来事を夢の様に思い出していた。
前にルイードがブレスレットを買ってくれたが、どうしてこんな物を? と無駄使いに思えたのに、相手がエラルドになった途端、嬉しくなるのだから不思議だった――。
今ではすっかり住み慣れてしまったジャンの家に辿り着くと、リビングで待っていた彼に結婚のことを伝えた。
「グレン兄さんに言って結婚を早めてもらうね」
「……いいの? 本当に?」
「うん、最初から俺は、ジャンと結婚するって言ってるんだから、今さらルイードや君のお兄さんが何を言っても覆らないよ」
最初からジャンに決めていたことだ。彼が言ってくれた伴侶以外の誰を好きになってもいい、それを尊重しようと言ってくれた言葉、今はそれに縋り付いている。
それに、自分がエラルドを好きなことに関して、ジャンは気が付いていると思った。
なぜならミハエルは条件を出したからだ。エラルド自身が傍を離れると言わない限り自分の護衛として携えると。
――俺にだって譲れない物がある……。
ミハエルはグレンに電話をし、結婚を早めたいという話を伝えると部屋へと戻った。
すっかり自分の部屋のように使っている室内のベッドで、寝転がりながらメダイをまじまじと見つめる。
彼が買ってくれたことも嬉しいが、『奇跡を起こしたくなったら渡すように』と言われたことが嬉しかったのだ。
奇跡なんて願わないし、叶わないと分かっている。でもエラルドがミハエルのことを気にしているのだと思ったら、嬉しくて泣いてしまいそうだった。
〝愛して欲しい〟などとは願っては無い。彼を自分に縛り付けることが出来るなら何だっていい。それこそ、彼にだって愛情では無いアルファの所有欲がミハエルに湧いてるのかも知れないが、それでも良かった。
自分の中に、こんなにもズルくて嫌な部分があるのかと疑うほど醜い執着心がもたげるのを感じた。
コンコンとノックする音と同時に、「ミハエル、入るよ?」と言ってジャンが顔を出した。
「ごめん、寝てた?」
「ううん、今日は広場を歩き回ったから疲れただけ」
「それならいいけど、グレンから電話が掛かって来て、ミハエルは今週中に国に帰らせろって言うんだけど」
「そうなんだ?」
「結婚式はあっちのスタイルでやるらしいから、衣装合わせとか打ち合わせとか色々あるらしい」
このままフランスに居てもいいかなとミハエルは思っていたが、グレンが帰って来いと言うなら仕方がない。少し面倒に感じたが反抗する気は起きなかった。
ふと、ジャンの視線がミハエルの持っているメダイへと移動した。
「……教会に行って来たんだ?」
「う、うん、そうなんだ」
「メダイを二つ?」
指摘されて、しまったと思ったが、咄嗟に嘘を吐いた。
「これは、フェルナンドに買ったんだ」
「なるほどね……、でも、それ愛のメダイだよ」
「え、奇跡のメダイじゃないの?」
「うん、まあ、ぱっと見ただけじゃ分からないかもね、ほら、小さいけど中心にハートがある」
教えられた箇所に小さくハートが象られているのが見えた。
きっとエラルドも〝奇跡のメダイ〟と間違えていそうだとミハエルは微笑した。急にコツっとジャンが額を合わせてくると唇が重なる。
「……んぅ……っ」
長いキスのあと唇が離れるとミハエルを抱き抱えた。
見た目はそんなにガッシリしてないのに、意外と男っぽい体付きをしていることに最初は驚いたが、今ではもう慣れてしまった。
「教会楽しめた?」
「うん、楽しめた。すごく綺麗な教会だったよ」
「そう……」
鎖骨をペロリと舐められてミハエルの全身が震えた。
初めて一晩一緒に居た時は、自分も感情がコントロール出来なくて大変だった時で、突発性の誘惑香だから理性を奪うほどでもないが、それでもジャンは必死に我慢をしていたし、最後まで手は出してこなかった。
そのせいで彼は翌日、二日酔いのような気分になったと言っていた。
何となく、そんな思いをさせるのも忍びなかったし、結婚すると決めたのだからとミハエルから誘ったのは翌日だった。
好きな男に温もりを求めて拒絶され、絶望していたミハエルは投げやりだったにも関わらず、ジャンは理性を保ち紳士に立ち回った。
実際はミハエルが手慣れてないせいで、手間取っていた可能性が高いが、それでも乱暴に扱う様な真似はしなかった。
不意に「どうしようか……?」と耳元で囁かれ、ぎゅっとジャンに抱きしめられたが、エラルドが使っている扉の音が聞こえて、「シャワー浴びてないから」と精一杯の言い訳をして彼から逃れた――――。
翌日、その日は朝から騒がしかった。
ジャンの元恋人だったセリーナ・リゼットが怒鳴り込んで来たからだ。
「セリーナ、一体何しに来た」
「『何しに来た』ですって? 急に関係を清算したいなんて言うから何事かと思えば、性欲処理するしか脳の無いオメガと結婚するって聞いたわ」
「……お前……、言って良い事と悪い事も分からない馬鹿女だったんだな」
ジャンがこちらへ向き直り、「エラルド、ミハエルを部屋に」と指示をした。
「ミハエル様、行きましょう」
「別に平気なのに」
「いいえ、あんな暴言を吐く人間の言葉に耳を傾ける必要はりません」
ギャンギャン騒ぐセリーナと名乗った女性とジャンは玄関先で揉めているが、ミハエルは彼女の言った〝関係を清算したい〟という言葉の方が引っ掛かり、どういうことなのか問い詰めたくなった。
お互いに好きな人がいてもいい、と言っていたはずで、そんな関係を築く予定なら、彼女を精算する必要は無いからだ。
無理やり部屋に押し込められたミハエルは、「もしかして、ジャンの交友関係を知ってたりする?」と聞いた。
「ある程度は把握しております」
「そっか、別に彼に彼女がいるのは良いんだ。俺達は……その……」
言葉に詰まるような話でもないのに言い難くなったのは、エラルドのことが好きだと言うことを、告白するような気分にさせられたからだった。
「前も、エラルドには言ったと思うんだけど、俺達は結婚しても好きな人がいるならそれを尊重するって……」
「はい」
「だから、ジャンが彼女と別れるのは変だなって思った……」
「心変わりは誰でもする物です」
淡々と言葉を繋げる彼に聞きたかった。
――……エラルドの心を変えることは出来る?
と口に出せない言葉が胸を軋ませた。
「あ、そういえば、コレ」
ミハエルはエラルドから貰ったメダイを取り出すと、奇跡のメダイじゃないことを伝えた。
「ここにハートがあるから愛のメダイなんだって」
「そうでしたか……」
「でも、俺はこれでいいけどね」
愛でも、奇跡でも、浄化でも、何でも良かった。
彼がミハエルの身を案じて、メダイを買って渡してくれたことが、何より嬉しかった。
キーホルダーとして鍵に取り付けたメダイを見ながら、エラルドが「もう一つは……」と不思議そうに言うので、昨日ジャンに見つかって、もうひとつはフェルナンドにあげると言う話になったことを白状した。
「あ、もちろんあげないよ? これは俺の物だからね。もうひとつはちゃんとしまってある」
「そうですか、それなら、フェルナンド様用に、もうひとつ買って来ましょうか?」
「それは俺が買うよ、エラルドがフェルナンドの分を買うのは嫌だから……」
少し子供っぽいな、と自分でも思うが些細なことでも彼を独占したかった。しばらくして、扉がノックされるとジャンが申し訳なさそうに顔を出した。
「ごめん。彼女、口が悪いと言うか、あんなこと言うとは思ってなくて」
「全然平気だよ、気にしてない」
ミハエルの言葉に、どんな顔をすればいいのか分からないようで、視線を彷徨わせたジャンは、「……ちょっと出かけて来るからゆっくりしてて」と言って出て行った。
――本当に気にしなくてもいいのに……。
正直、彼女の言った言葉なんて可愛い物だと思ったし、それだけジャンのことを諦められなかったのだろうと思う。
ミハエルもエラルドへの気持ちを消すことが出来ないのだから、彼女の気持ちも十分に理解出来た。
ガレージが開く音が聞え、車が出て行くのを感じ取ると、ミハエルも出かける準備をした。




