20.俺のせいだろうか
翌日の朝――。
最上階のエレベター付近にある待合の椅子で一晩過ごしたエラルドは、立ち上がると背筋を伸ばした。
部屋を訪ねるべきかどうすべきか迷っていると、エレベーターが動き出し、ルームサービスが運ばれて来た。
それを見て、少なくともジャンは起きているはずだと思ったエラルドは、ルームサービスを運んで来た従業員と一緒に部屋へ入った。
室内のリビングに泣き晴らした顔のミハエルと、ベッタリ横に寄りそうジャンの姿を見て、昨夜、二人の間に何があったのか理解した。
大量に吸い込んだ誘惑香が抜け切れてないのか、ぼーっと虚ろな顔をしたジャンが、「今日は休んでていい」とエラルドに言う。
「ですが……」
「あー、俺達も今日はどこにも行かないから、好きに過ごして良いよ」
「分かりました」
それなら、何処かへ出かけた方がいいかも知れないなと考えていると、ジャンがこちらへと近付いて来る。小声で下の階に部屋を取ってあると言い、カードキーを手渡されたことで、エラルドが邪魔だと分かった。
ミハエルには妊娠しないように卵巣を止める制御剤が月に一度打たれているため、孕むことはない。そのせいで発情期も来ないが、それでも彼の不安定な身体はアルファを誘い込める。
ちらりとミハエルを見れば、彼は直ぐに視線を逸らした。
「昨日、大学の旧友に持たされたミハエル様の私物です」
そう言って、エラルドは紙袋をジャンへ手渡し、部屋を後にした。
流石にエラルドも疲れていたので、もらったカードキーの部屋ナンバーを確認すると、部屋へ向かうことにした――。
部屋のベッドに寝転がり、数時間が経ったが、一向に眠ることが出来なかった。
泣き晴らしたミハエルの顔が何度も浮かんでは消えていく、ジャンに身を任せたのは、恐らく昨日のことで彼は心が折れたのだと思った。
――俺のせいだろうか……。
自惚れだと思うのに、その考えがどうしても消えなかった。エラルドは携帯を手にして電源を入れる。グレンに連絡をするべきかを考えて、結局報告することにした。
フジタという男に会い、何があったのかをグレンに説明すると、大きな溜息が聞えたが、直ぐに返事が返って来た。
「発情期外のフェロモンが流れることに関して、ミハエルが治療を受けたいなら受けさせるが、どんな治療か君から説明してくれ」
「分かりました」
屈辱的な治療を王族がすることを避けたいグレンの気持ちも分かるし、それはミハエルにとっても耐え難い治療になることを意味する。
何十人の医師の前で、発情したくもない身体を発情させることになるだろうし、発散できない熱に苦しみ、完治するまで永遠と続ける治療が待っているのだから、グレンなりに考えていることはエラルドには分かるつもりだった。
――自然に治るのを待つ方が得策だ。
エラルドが次の言葉を待っているとグレンが話を続けた。
「それから、ルイードが、ミハエルに会いに行くと言っている」
「え……、ですが、ミハエル様はジャン様と結婚することに決めました。今さら会った所で……」
「ああ、それは伝えたが、どうしても会いたいと言うんだから止める権利はない。最初はミハエルに期待してなかったが、意外にもアルファを惑わせるのが上手いようだ」
どれだけミハエルが傷ついているかも知らず、そんな言い方をするグレンに対して、怒りに似た感情が湧くが、これはただの同情だと分かっていた。
たかが護衛が抱いてはいけない感情であり、雇い主の家庭の問題に心を動かされているようでは仕事の支障になる。そう思ったエラルドはグレンの命令だけに耳を傾けることにした――――。
翌朝、ジャンから連絡があり、部屋へ向かうと不貞腐れた顔で、「信じられない」と言う。
「ルイードが来るってさ」
「はい、連絡を受けました」
「今さら来た所でどうしようもないだろうに、ミハエルは俺と結婚するって言ってるんだし……」
エラルドがミハエルへ視線を向けると、彼はくすくす笑っていた。
その様子を見て妙だと感じる。あんな風に甘ったるい笑いを見せる人では無かったのに、と思っていると彼から声が掛る。
「ねえ、エラルド……」
「はい」
「今日は、ジャンと買い物に行こうと思う」
「それならば、護衛させて頂きます」
小さくうなずくミハエルは、気怠く立ち上がり、部屋へ向かうが、体制が崩れて倒れそうになるのを支えた。
――震えてる……?
気丈な態度とは裏腹に、身体は震えており、力も上手く入ってない様子だった。どれだけ身体を酷使されたのかを考えそうになり、はたとなる。
「ありがとう、エラルド」
「いいえ……」
「もしかして、昨日は部屋に帰って来なかった?」
その問いにエラルドはうなずき、他の階に部屋を用意してもらったことを説明している最中、支えていた手をパンっと払われた。
怒りに似た表情を見せる彼は、「俺のことは拒むのに……」と呟くが、何のことか分からないエラルドは呆然と彼を見つめることしか出来なかった。
「……一人で平気だから」
そう言って部屋へと入って行くミハエルに、エラルドは小さな声で「はい」と閉じられた扉に向かって返事をした。
――完全に拗れてしまったな……。
護衛をするだけだと分かってるのに、心の中は寒々とした気持ちで覆われる。数日前までは上手く行っていたはずだった。
彼が冗談を言っても、屈託のない笑みを浮かべても、切なく困った表情を見せても、無関心でいられたし、胸が痛むことなどなかった。
ふと、自分の身体が僅かにミハエルに反応していることに気が付く。
急いで耳元のピアスに仕込んだ抑制剤を押し込み、ジャンに気付かれないようにピアスを外すと、新しい物に付け替えた。
――爪も、依頼しないとな……。
昨日、爪に塗った抑制剤を使ってしまったので、ピアスだけでは心もとない気分だった――。




