02.あの日までは……
ミハエルが控えの間に戻ると、「本当によろしいのでしょうか?」と再度エラルドから確認の言葉をかけられた。
「別に本当のことだから、いいんじゃない?」
「いいえ、そのようなことは……」
「……そういうの、言わなくてもいいよ。なんか慰められているみたいで余計に惨めに感じる」
「失礼しました」
せっかく慰めてくれているのに、捻くれているなぁ、と自分でも思ったが、惨めに感じるという部分に関しては本心だった。
ふと、先ほどエラルドが『植物学は楽しいですか』と言っていた言葉が頭を過り、ミハエルは、まだ何も知らなかった頃を思い出した。
――そう、あの日までは普通の大学生だった――。
初夏に入ったばかりだと言うのに、少し歩くと汗が滲んでくる。大きなリュックを背負ったミハエルは大学内にある研究室へ向った。
使えそうな作業台へ荷物を置き、手持ちのパソコンを立ち上げて確認をしてみる。データーを少し整理する必要がありそうだが、保存容量に関しては問題は無さそうだった。
三日ほど山に籠り、大量の植物を採取してきたので、やることは山積だ。
植物を手に取り、根や葉を千切らないように、ひとつ、ひとつ、丁寧にトレーに並べて携帯で写真を撮る。
その画像をパソコンへ放り込んでいる最中、「あれ、ミハエルだけ?」と軽やかな声が研究室の扉付近から聞こえた。
声の方へ目を向ければ、研究員であるフジタが室内へ足を踏み入れる寸前だった。
黒髪にベージュ色の肌は日本人らしい雰囲気を醸し出しており、最初は神経質な印象を受けたが、実際は陽気な性格で話し易い人だった。
とりあえず彼の言った『ミハエルだけ?』の問いかけに答えることにした。
「俺が来た時は誰もいませんでしたよ?」
「あー、あー、少し目を離すとこれだよ……」
ガックリと肩を落としたフジタが愚痴を漏らし、こちらへ向かって来る。
「それで、ミハエルは何をしてるんだ?」
「資料作りです。先日、山に行って来たので、損傷の少ないうちに登録をしておきたかったんです」
それを聞いたフジタは視線をゆっくりと動かし、ミハエルのリュックの中を覗き込みながら、「随分と大量に採取してきたね。丁寧にラッピングまでしてある」と驚いた顔を見せた。
必要のない物もあったが、何度も山に登るよりはいいかと思い、念のために採取してきたことを伝えた。
それを聞いたフジタは唇を僅かに歪ませ、「ミハエルは日本人以上に勤勉だね」と揶揄う。
「うーん、俺の様なタイプは効率主義なだけで、勤勉とは違うかも……」
「いいや、本当に真面目だよ。君が研究員になったら、俺の居場所は無くなりそうだ。だいたい、夏休みの期間に研究室に籠る学生なんて君くらいだ」
フジタは軽い冗談を口にすると、近くの椅子へと腰かけた。
確かにそれに関して言えば、そうかも知れないと思う。他の学生は、キャリアアップの課外活動や、アルバイトに勤しんでいるのが大半で、単位にもならない植物の資料作りなどしている人間は自分くらいだった――。
しばらく植物の仕分けに没頭していると、ミハエルの携帯が鳴った。
画面を見れば母親からのメッセージで、『友人と外食するなら、今のうちに連絡を』と書いてあるのが見える。滅多に外食などしないミハエルの動向を知っていながら訊ねてくる母のメッセージに、思わず苦笑し、『家で食べるよ』と返事を返した。
ふと、顔を上げると薄っすらオレンジがかった空に、渡り鳥の影が映し出されているのが見える。
作業中のフジタに向かって、「俺は、そろそろ帰りますね」と一言声をかけてから、自分の身の周りを片付けた。
「あー、こんな時間か、俺もそろそろ帰ろうかな」
背中を伸ばしたフジタは、口ではそう言いながらも名残惜しそうな顔を浮かべ、作業台に置いてあるシャーレーを見つめていた。
ミハエルは笑みを零しながら、「まだまだ、帰れそうにないですね?」と揶揄った。
「いや、帰る! 絶対に帰る!」
子供みたいに『帰る』を連呼するフジタに笑いを誘われながら、「そうですか、じゃあ、俺は、お先に失礼します」とミハエルは先に研究室から出た――。
大学を出て自宅へ向かうバスへ乗り込む。時間的に利用客は少ないので、席はガラガラだった。
空いている席に腰を落とし、イヤホンを耳に刺し込んで、携帯の音楽プレイヤーを回す。お気に入りの音楽が流れ始めれば、退屈な移動時間も心地よい時間へと変わるが、ぼんやりしていると乗り過ごしてしまうので、流れる景色だけはしっかりと視界に入れた。
音楽を流し始めて二曲目に差し掛かった頃、トントンと後ろの席の人間に肩を叩かれて、ミハエルは咄嗟にプレイヤーを止めた。
――音が洩れてたかな?
耳に刺していたイヤホンを取り背後へ顔を向けると、初老の男が微笑んでいた。
「すみません、ここに行くにはどうすればいいでしょう?」
グラン・パレの架け橋である写真を見せられる。観光客かな? と瞬時に判断した。
「あー、ここに行くなら、このバスじゃないですよ」
六十代に見える男性は、白髪が混じった多めの髭を軽く擦り、「困ったなぁ」と独り言を呟き眉を下げた。
「どうしたんですか?」
「友人とここで待ち合わせをしているんですけどね、私は携帯を何処かに置いて来てしまって、連絡も取れなくて」
ほとほと困り果てたとでも言うように、老人は大きな溜息を吐いた。相手の携帯番号が分かるのであれば、自分の携帯を貸し出しますよ、と初老の男性に伝えたが、さすがに番号を覚えてないと言う。
がっくりと肩を落とし、落胆する男性を見て、つい湧いてしまったお節介な親切心で、「俺が最寄りのバスまで案内しましょうか?」と口走ってしまった。
「それは、ありがたいけど、君は用事があるのでは?」
「今から家に帰るだけなので、用事はないです。それに、その場所に行くなら、駅のターミナルバスを利用しないといけないので、お爺さん……、あ、すみません、お名前を伺っても?」
一瞬、おや? と眉を上げた初老の男性は、「マーヴィン・ベルマンです」と名を名乗ってくれた。
「俺はミハエル・カーターです。えーと、この辺りはタクシーも通らないので、Mr・マーヴィンさえよければ、ターミナルまでお付き合いしますよ」
「そうですか、ありがとうございます。親切な方にお会い出来て良かった」
マーヴィンと名乗った男は、ほっと胸を撫でおろすと、安堵の笑みを浮かべた。
紳士という言葉がピッタリ当てはまる上品な男性を見ながら、ミハエルは携帯のメッセージアプリを起動した。
母に道に迷った老人の案内をすることを簡単に書いて送ると、直ぐに『分かったわ』と短いメッセージが届く。それを見ていたマーヴィンが「本当は用事があったのですね」と申し訳なさそうな顔を向けて来た。
「いえ、違うんです。母親に、もう帰ると連絡をしていたので、少し遅くなることを伝えただけです。なんと言うか……凄く過保護なので……」
「そうでしたか、いい親御さんのようですね」
過保護を受けていることに関して『いい事』のような言い方をするマーヴィンだったが、裏を返せば、いい歳して恥ずかしいことだと思われている気がして、ミハエルは苦笑した。
乗り換えのために近くの停車場で一旦バスを降りると、反対ルートのバス停まで歩くが、マーヴィンの年齢を考えれば、少し遠いのかも知れないと思い、近くのベンチで一度腰を落とした。
「少し休んでから、また歩きましょう」
「……君は親切な上に優しい子だ。なるほどな、あの者達の言う通りだ」
妙なことを言い始めた老人をミハエルは見つめた。こちらの視線を受けてマーヴィンは、にっこりと微笑みを浮かべると、すっと立ち上がり、うやうやしく腰を折った。
「ミハエル様、突然のことで申し訳ありません」
一体、何事かと思った。先程とは態度が一変したマーヴィンを見て、ミハエルは怖くなる。
人生で『様』を付けられて呼ばれたことなどないし、目の前にいる老人は紛れもなく初対面の相手だ。そんな人から敬意を表されていることに恐怖を感じていると。
「今までミハエル様のことは王家からの命令で、隠匿するように言われておりました。申し訳ありません。実は、貴方様はサルスジャミン諸王国の第二王子で御座います」
聞き慣れない言葉使いに、聞き慣れない単語、それらを上手く脳内で消化出来なくて呆然と老人を見つめることしか出来なかった。
「ミハエル様?」
不思議な表情を見せるマーヴィンに、はたとなり、弾かれたようにミハエルは言葉を発した。
「あの! そのミハエル様と言うのは……、俺のことですか? 同じ名前の誰かと間違えているのでは?」
「いいえ」
マーヴィンが冗談や間違いで言っているわけではないことは態度を見れば分かる。けれど、突拍子もないことを言っていることも間違いではない。
彼は、「お手数ですが、家の方に連絡をしてもらえませんか?」と申し出をされ、さらに困惑する。
「母にですか?」
「ええ、父親でも構いません」
妙な提案だったが、ミハエルは素直に母親へ電話を掛け、通話状態になったことをマーヴィンに伝えると、彼に「貸して頂いても?」と言われて携帯を手渡した。
彼は自分の名を名乗ったあと、直ぐにこちらへ携帯を返してくる。
「え、っと……?」
「どうぞ、お話下さい」
手渡された携帯に耳をあてる。
「ミハエル様、そちらにいらっしゃる方はサルスジャミン諸王国の王族にお仕えしている侍従者です」
「な、なに、それ……? 母さんまで変なこと言って、皆して俺を騙そうとしてる……?」
「いいえ、その方と一緒に王国へ向かえば、全てご理解出来るでしょう」
確かに母の声なのに、他人の声を聞いているように冷たく感じた。何を言っているのか理解はしているのに、それを呑み込むことが出来ず、呆然と目の前にいるマーヴィンを眺める。
「俺……、誰……、名前はミハエルで大学は……専攻は……」
自分が何者なのかを確認するように、自分の名前、自分の通っている大学などを口にする。
「……急にこのようなことを言われて、パニックになられるのも理解できます」
しみじみ、といった感じでマーヴィンが言葉を零し、自分が何者なのかを知るにはサルスジャミン諸王国へと行くことだと提案されるが、簡単には頷けなかった――。




