19.矛盾
フジタは大学へ戻ると言い、エラルドにも軽く挨拶をすると、足早に去って行った。
ミハエルは、名残惜しそうに旧友の姿を目で追いながら、「さっき、突発性のフェロモンって聞えたけど」と小首を傾げ訪ねて来る。目の前でやりとりをしていたのだから、気になって当然だろう。
「……少しお待ちくださいグレン様に連絡を」
「いい、分かった。グレン兄さんに許可がいる話ならいいよ」
そう言って彼は歩き出した。
頭のいい彼が〝突発性のフェロモン〟の言葉を聞き、変な解釈をしている気がして心配になる。
属性転換のせいで現在多発していることは紛れもないことだし、それを放置させていたグレンに対して不信感を抱いたかも知れない。自分の身体に関することを隠されてショックを受けないわけがない。
――どんな言葉をかければ……。
どうすればいいのか分からないまま、エラルドは彼の後を付いて行った。
自分が情けないと思う。ミハエルが今何を思っているのか、どうしたいのか、何をすればいいのか、こんな時ですら指示を待つ事しか出来ないのだから、自分は相当馬鹿な人間だ。
彼の気の済むままにしてやること、それが一番なのかも知れないと、彼の後を静かに付いて行った。
しばらくして、ミハエルが歩みを止めた。
視線の先にあるロッジへ向かうのを見て、疲れて休憩をしたいのだと思った。受付に部屋を借りたいとを伝える彼に、「ここで待っております」と伝えた。
「ううん、エラルドも来て」
「ですが」
「君は俺の護衛だ」
珍しく命令口調で言われて、その指示に従った。部屋の中へ入ると、質素ながらに必要最低限の器具や寝具などが揃えられており、不便は無さそうだと思う。
「もし、先ほどの話が気になるのであれば、グレン様から――」
「いい、そんなことはいい、忠実なエラルドに権限はないことは俺だってよく分かっているし、俺の身体が現在どんな物であれ、黙っていた方が都合が良かったと考えるべきだから」
冷静で、物静かに喋る姿は王子らしい佇まいだと思った。小さな口から淡々と放たれる言葉をエラルドは噛みしめながら聞いた。
「不思議に思ったんだ。どうして結婚するって決めたのに、エラルドの護衛が必要なのか、やっと理由が分かった。知らない間に俺はアルファを誘惑してたんだね……」
ポスっと寝台に腰を落としたミハエルが軽く失笑する。
「今後も手あたり次第、勝手に周りのアルファを引き込んだら、王族の恥だ……、だから護衛が必要。違う?」
「そういうわけでは……」
くすっと笑うミハエルが、小首を傾げると――、
「ね、そのピアス外して」
彼がそう言った途端、咽返るほどの誘惑香が部屋中に充満した。発情期ではなく、恐らく感情の制御が出来てないだけだと思った。
「……出来ません」
「何故?」
「理由はご存じのはずです。それに、これを外しても、他にも制御剤が仕込んであります」
「……本当に、憎たらしいほど完璧な護衛だ」
悲しそうな顔でこちらを見るミハエルに、頭がくらくらする。腰掛けていた寝台から立ち上がり、こちらへと彼が腕を伸ばし、エラルドの胸をスーっと撫でた。
「ジャンはね、俺の側に誰が居てもいいって言ってる」
「……」
「君が俺を抱いたって彼は咎めないよ?」
言われた言葉に正気を失いそうになる。駆け巡る淫らな思考と欲望を押し込めると、エラルドは拳を強く握った。
爪の先端に仕込んでいたシリコンカバーが外れ、掌の肉に爪がぐっと食い込むと、スーっと頭が冴えて来た。
「ミハエル様……、ご自分を大切にして下さい」
「どうしてそんなことが言えるのか不思議でしょうがない。俺はエラルドが好きだと言ったよ。嫌いな相手に抱かれようとしているわけじゃない」
実直な眼差しにエラルドは言葉が返せなかった。
「好きな相手に抱いて欲しいと求めることは罪に問われるの? そうじゃなくても、世の中は愛なんてなくても抱き合い慰め合うのに……、それとも俺は魅力がない?」
「……いいえ、そうではなく、私にはその覚悟がありません」
「覚悟って?」
たった一度、欲望の捌けにミハエルを抱けば、永遠に罪悪感を背負う。そんな思いをしながら護衛をし続けるのは無理だと彼に伝えた。
「罪悪感を持ちたくないから嫌なんだ……?」
彼の問に静かにうなずいた。こちらの様子を見ていたミハエルは、ぞっとするほど妖艶な笑みを浮かべ、「そっか」と、到底納得しているとは思えない表情でそう言った――。
山を下りてホテルへ戻ると、ジャンが出迎えるが、ミハエルは無言で部屋へ閉じこもり、様子がおかしいと感じ取った彼に詰め寄られた。
「何があった?」
「ミハエル様の旧友と会いました」
「それで?」
「そのご友人は全属性で、ミハエル様が属性転換のせいで突発性のフェロモンが流れていることを話題に出しました……」
頭を振りながら大きく溜息を吐くジャンは、「グレンに連絡はした?」と聞いて来る。
「いいえ、ミハエル様が拒否されました」
「拒否って……」
「頭の良い方ですので、ご自分の身体が発情期でも無いのに、些細な事でアルファを呼び寄せていることに関して気が付き、それすらグレン様に利用されていると解釈した見たいです」
そうでなければ、恋愛もしたことがない奥手な彼が先程のように挑発的にエラルドを誘ったりしない気がした。
どれだけ彼は傷つけばいいのか……、とエラルドは胸が痛くなった。偽りの両親にショックを受け、それだけはなく、本当の親はミハエルを政治の道具として使う。彼の心はもうボロボロだと思った。
「私は明日の朝まで部屋を出ています。急用があれば携帯でお呼び下さい」
「……分かった」
「それでは……」
自分に出来ることはもう無かった。
彼を慰めるのはエラルドの仕事ではないし、彼の気持ちに応えることは永遠にないのだから、傍に居ればまた彼を傷付けることになるだろう。
――矛盾してるな……。
傷つけたくないと思うのに、傍に居たいと思うし、守りたいと思う。大きく溜息を吐くとエラルドは一階のラウンジへ向かった。
コーヒーを頼み、ぼんやりとカップを見つめて考え事をしていると、携帯が鳴った。
ジャンからだろうか、と携帯画面を見れば、先ほど出会ったフジタという男からだった。どうするか躊躇ったが、「何か御用ですか」と取りあえず対応に出た。
「ミハエルは?」
「彼は……、今、お話出来る状態ではありません」
「……じゃあ、君でいい、大学に来れるか?」
「それは構いませんが……」
「大学に彼が置いて行った私物があるんだ。処分しようと思ったんだが、なかなか出来なくてね」
「分かりました、取りに伺います」
エラルドはジャンに電話をした。かなり長い間コールを鳴らしたが、出るこ とが出来ないのようで、仕方なくホテルを出た――。
フォード大に向かい、門を潜る。受付で植物学の研究室の場所を教えてもらい、迷いながらも教えられた研究室に到着した。
「お、来た来た」
「お待たせしました」
顔に土が付いたままフジタは手招きをする。土が付いてることを指摘した方がいいのかと悩んだが、放っておくことにした。
「あれから、何かあったのか?」
軽々とそんなことを言うフジタに怒りが湧きそうになるが、それは八つ当たりだと分かっているエラルドは、頭を振りながら、「対したことはありませんよ」と返事をした。
フジタは紙袋に詰められたミハエルの私物をこちらに渡すと、「少しお茶でも飲んでいくか?」と言う。
「ミハエルのことも聞きたいし、そっちも聞きたいことがあるんじゃないか?」
「……では、頂きます」
他の人間はもう帰ったと言うフジタは、如何にも研究員が座りそうな椅子をエラルドへ向け、「座り心地は最悪だが、どうぞ」と言う。
「ありがとうございます」
「――ミハエルは研究熱心で、本当にいい子なんだ」
「はい」
「その、何とかって言う王室から、連れ出してやれないのか?」
フジタの問いに素直にエラルドは答えた。
「逃げ出せば、生涯逃げ続ける運命しか待っていません。捕まれば監獄に入れられ、終身刑が待ってます」
「非道だな……」
エラルドもそう思ったが、仕方が無いことだ。生まれ持っての運命を覆すには大きな力や権力がいる。
「ミハエル様は、この研究室によく顔を出されていたんですか?」
「よくなんてもんじゃないよ。夏休みも植物を採取してはここに来ていた」
彼の視線の先にある机が、恐らくミハエルが使用していた場所なのだろう。フジタはミハエルがどんな生徒だったかを話てくれたが、護衛に就く前に資料を貰っていたエラルドは、大半の話が資料通りだと笑みを浮かべた――――。




