18.植物学
部屋を出てエレベーターに乗り込むと、大きな溜息を吐いたミハエルは、「ジャンって意外と過保護だね」と言った。
自分がどのような立場なのか、相変わらず分かっていないのか、分かりたくないのか、ミハエルは理解出来ないとでも言いたげな顔をした。
「ミハエル様はサルスジャミン諸王国の第二王子です」
「うん?」
「もし、貴方の身に何かあれば、ラカトッシュ兄弟は責任を取らされますし、以前も申し上げた通り、私も責任を取ることになります」
「あ、うん……、そうだね、そうだった」
こんな時のミハエルは子供のようだ。何かを確認するかのように、彼は何度もうなずく。隣にいる彼の頭は自分の肩の位置くらいしかなく、自分の身の周りにいた女性達よりも華奢だ。
少しでも体格のいい男に襲われたら一溜りもないだろう――、そう思ったら、きゅっと胸の奥が痛くなった。
「昔はね、山に登る時、大きなリュックを持って行ったんだ」
「登山するなら当然ですね」
「うーん、そうなんだけど、行く時に持って行くものは最低限の物だけだよ。さっきも言った通り、ハイキングコースで休憩所も、売店も多いし遭難するような山道じゃないんだ」
くすっと笑ったミハエルは、「俺が植物学を専攻してたの忘れてる?」と小首を傾げて来る。どうやら、リュックを持って行くのは植物を採取して帰るためらしく、本格的な登山グッズではないと教えてくれた。
そういえば、最初に出会った時、『植物学は面白いですか』と彼に聞いたことがあったが、あの時の彼は投げやりな返事をしていた。
恐らく、本当に植物学が好きだったのだろうと今なら分かる。彼の子供っぽい性格は分かり易い、あの時は単純に好きな物を取り上げれて拗ねていたのだろう。
エラルドが口端をあげていると、ミハエルが不思議そうな顔をして、「え、何が面白かったの?」と聞いて来る。
「あ、いえ、最初に出会った挨拶の日、『植物学は面白いですか』と私が聞いたのを覚えてますか?」
そう言って切り返すと、カァと顔が赤くなった。
「あの日は……、ごめんって謝ったよ?」
「ええ、今思うと拗ねてらっしゃったのだと気が付いたので――」
可愛い人だと言いそうになり、エラルドは慌てて口を閉じた。
「す、拗ねてたわけじゃないけど、まあ、半分は当たってるか……」
誰だって情熱を注いでいる物を取り上げられたらそうなるのが普通だ。そう考えると、彼の抱えている不満は数えきれないほどありそうだと思った――。
山の麓に辿り着くと、緩やかな傾斜が待っていた。ハイキングコースと言うだけあって、意外と年配の人間も多く、季節感のある木々を見上げて楽しんでいるようだった。
ミハエルは脇道にある植物を見かけると座り込んで眺めている。エラルドも彼の隣へと腰を落とすと、「この植物は――」と彼が説明する。
「頭痛とかに使われているサリチル酸を生み出すんだ。頭痛薬は合成剤だから、植物に変化を起こさせて、つまりはストレスを与えて――って、……面白くない話だね、ごめん」
「いえ、私も少し学んだことがあります。軍隊に入るか一般の警察官になるか迷っていた時期がありましたので、大学で少し薬草について勉強しました」
「そうなんだ?」
両親が国防省に勤務していることもあり、一度は軍人も視野に入れたことがあったが、結局は警察官になることを選んだ。けれど、勤務して二日目に本庁から連絡が来た。
『君に推薦状が届いている』
『推薦ですか?』
『サルスジャミン諸王国の王子の護衛だ』
『……護衛』
その推薦をもらった時、一般職で危ない地域を守る仕事ではなく、ある程度の将来の保証、それから比較的安全な護衛という立場に身を置いて欲しいという両親の願いから届いた推薦状だと気が付いた。
『仕方ないだろう? 君の父親は国防省のトップにいる人間だ。その息子が一般職に就き、流れ弾で殉職などいうことは避けたいはずだからな』
『……』
『まあ、色々と思う所はあるかも知れんが……、やって見るだけやって見たらどうだ?』
それを断れば、二度と自分の望む職には就けないと感じて、だから仕方なく了承をした。
初めて会った日に、本当は護衛など嫌だったとミハエルに伝えたら彼はどんな顔をしただろうかと考えた。
けど、今なら彼の言う答えが想像出来る、笑みを浮かべて『辞めていい』と言ってくれるだろう――。
しばらく植物を眺めていると、背後から男の声で、「もしかして、ミハエルか?」と確認のような言葉が聞えた。
その声に反応するようにミハエルが立ちあがり、「フジタ……?」と男の顔を見て驚いた顔をした。
「やっぱり、お前だったか、どうして大学を辞めたんだ? それと携帯も繋がらないし」
「あ、あの、実は――」
動揺でミハエルからフェロモンが発生している。目の前にいる男はアルファなのだろうか? 若干反応しているような気がして、エラルドは男を威嚇するようにミハエルの前に立った。
「失礼ですが、ミハエル様とは、どのようなご関係ですか」
「……ミハエル様? どのような関係って?」
面を食らったような顔をした男は、身分証明書をこちらに提示した。
フォード大の研究員で年齢は二十八歳、日本人、属性は全属性と位置づけされる人物だった。このまま、彼と対面させているのはマズイ気がした。
「エラルド、大丈夫、少し彼と話をしたい」
「ですが……」
すーっと、彼からフェロモンが消えていくのを感じたエラルドは、仕方なくミハエルの背後へ回った。
大学を辞めた理由や、今現在どうしているのかを話すと、フジタと呼ばれていた男は、形容し難い面持ちで何度も顎を縦に揺らしていた。
「そんな境遇だったなんて……、って俺はミハエルとどう接すればいいんだ?」
「……フジタはフジタです。今まで通りで居て下さい」
「分かった、で、後に居るのが護衛か……」
フジタという男はエラルドに近付いてくると、毅然とした態度で言う。
「ミハエルに現在の突発性のフェロモンについて話はしてあるのか?」
「……っ、お伝えするかどうかは兄であるグレン様が判断されることです。私はミハエル様をお守りするだけの人間です」
オメガのフェロモンを嗅ぎ分けることが出来るフジタという男がキメラで、だから、先程も反応したのだと納得したが、本人に知らせてない話を、つらつらと今されては困る。
「ミスター・フジタ、これ以上その話をされるのであれば、貴方の命の保証は出来ません」
「は……、脅しかよ」
「冗談で言っているわけではないです」
「分かった」
彼はミハエルの方へ向き直ると、携帯を取り出した。
「ほら、俺の番号」
ミハエルがエラルドの方を見て、どうすればいい? と言いたげな顔をした。
たまには、旧友と会話をしたいこともあるだろう、だが、電話の通話内容は全てグレンの元へ届くようになっているはず、フジタという人間の身を守るためにも、エラルドは彼に説明をすることにした。
ミハエルが現在、どんな状況に置かれているか、先ほどの発言を含めて、貴方自身に危険が及ぶ可能性もあると忠告した。
「なるほど、その兄って言うのが、ミハエルの不幸の根源か」
「……ミスター・フジタ、言葉を選んでください」
「はいはい……」
「ミハエル様の電話は教えられませんが、私ので良ければ――」
若干、嫌な顔をしたフジタだったが、仕方が無いと言って、エラルドと電話番号を共有することにした――。




