14.形だけの結婚でいい
エラルドが出て行くと、その数時間後にジャンが帰って来た。
「ワイン買って来たんだ」と高級そうなワインを無邪気に掲げている。今日は二人きっりだということで、多少の緊張はあるものの、彼のフランクな接し方のおかげで一気に気が楽になった。
「あの、今、エラルドがいなくてさ……」
「ああ、知ってる。って言うか、俺が君のお兄さんに頼んだんだ」
「え……、二人っきりで過ごすこと決めたのはグレン兄さんの提案じゃないの?」
「俺達が意思表示しない限り、彼が積極的に二人っきりになんてさせるわけない。君のお兄さんは意外と弟思いだからね。じゃなきゃルイードと無理矢理にでも結婚させたと思うよ」
てっきりグレンの指示だと思っていたミハエルは驚いた。
それにルイードと問答無用で結婚させていたという話に、「どういうこと?」とミハエルは聞いた。
「中東を分散してるからね。ゼビアナ王国とサルスジャミン諸王国がひとつになるいい機会なんだよ。ミハエルが嫁げばグレンに実権が渡るし……」
「そっか、俺、全然知らなかった」
ジャンはキッチンへ移動しながら、冷蔵庫を開けるとチーズやら簡単につまめる物を取り出し、皿に盛ると話を続けた。
「けど、グレンがミハエルに選ぶ権利を与えたことをは、少なくとも後悔しない相手を選んで欲しいと思ったんじゃない? 変な女や男に掴まったりしたら、心配事が増えるしね」
「……申し訳ないんだけど、グレン兄さんはそんな人じゃないと思う」
ミハエルの言葉を聞いてジャンは頭を振る。
「んー、彼って誤解されやすいけど、本当は最後まで迷ってたと思うよ。君を国に戻すこと……、だから、それでも国に戻したのは国王代理をしている母親の要望だったと考えるべきだね。こう言っては何だけど、君のお父さんを十代の頃に篭絡させた女だしさ、ただ者じゃないよ」
そんな話を聞かされて、グレンのことがよく分からなくなった。
自分に見せる態度はいつも威圧的で、大体が命令口調だし、ジャンが言っている兄の印象と、ミハエルが抱く兄の印象がまったく違うことに、ただただ違和感を覚えた。
「グレンは国王になるためにずっと教育を受けて育った人だ。友人らしい友人もいない、だから寂しい人だと俺は思うよ」
自分よりも兄のことを知っている彼が言うのだから、そうなのかも知れないが、ミハエルには最初の印象がどうしても拭い去れなかった。
「こんなもんかな?」とジャンは、お皿に盛られた食材をリビングへと運び、ワイングラスを並べると、器用に新品のワインの栓を開ける。
トクトクと良い音を鳴らし、グラスに注がれていくワインを眺めながらミハエルは、「ねえ、俺はどうすればいいのかな?」とジャンに聞いた。
「ん? どういう意味?」
「兄さんに言われたんだ。期待に応えてやれって、だからジャンはどうしたいのかなって俺を抱きたい?」
「……っ、ごほっ、ごほ……!」
試し飲みしていたワインが気管支に入ったのか、思いっきり咽るジャンにフキンを手渡し、ミハエルは背中を叩いた。
「大丈夫⁉」
「……う、大丈夫、急に変なこと言うから驚いただけ」
「変かな……?」
「だって、普通……、オメガは発情期以外では自分から誘ったりしないし、俺が昨日、煽ったからミハエルが勘違いしても仕方ないけど……」
ジャンの言葉を聞き、ミハエルは急に恥ずかしくなった。
「ごめん、てっきり……」
「いや、いいんだ。まだオメガの本質も分からないミハエルを唆したグレンが悪い」
兄も悪いけど、エラルドも悪い! とミハエルは心の中で悪態を付いた。
てっきり、ジャンがその気で二人っきりになりたいと申し出をしたのかと思っていたのだ。
急に気が抜けたミハエルはソファに身を沈めると、大きく溜息を吐いた。
――エラルド……絶対に誤解してる気がする。
自分達が情交に耽っていると思われるのは嫌だったけど、ここで思うのは、どうして〝嫌〟と思うのかだった。
「はい」とジャンからワイングラスを手渡され、それを受け取るとミハエルは口を付けた。
「は、やっぱり二人きっりだと何か気が楽だな」
ほっと一息付くジャンが、両手を上にあげて伸びる。
「やっぱエラルドがいると何だかんだ言って監視されてる気がするし、ミハエルだって会話を選ぶでしょ? さっき見たいな『抱きたい?』なんて聞いて来ないはず」
それを蒸し返されて、ミハエルは言葉に詰まった。
「もう、その話は……」
「ああ、ごめん」
肩を軽く揺らしたジャンは、今後の話をしたいと言う。
「うちの兄さんやルイードはどうかは分からないけど、形だけの結婚が良いって言うなら、俺はそれを尊重するよ。まあ、子供はどうしても作らなきゃいけないから義務だけは果たさせてもらうけどね」
「形だけの結婚……」
「そ、お互い他に好きな人がいるなら、それを尊重するってこと」
その提案をしてくるということは、恐らくジャンにはそういう相手がいるということなんだろう。
それは、それで有難い話だと思った。ミハエルの気持ちが今後どう変わるのかは分からないが、最初からジャンに特定の相手がいるのであれば――、
――俺が誰かを好きになってもいいってことだ……。
けれど、自分にそんな器用なことが出来るのだろうか、と疑問に思う。心から愛する人がいても、その人とは結ばれることはない。それどころか、愛しても居ないのに、義務だけでジャンと子供を作らなくてはいけない。そんな自分をミハエル自身が許せない気がした。
「……ジャン、ありがとう、色々気を遣ってくれて」
「気を遣うのは当然だよ。結婚したとしても他人なんだからさ」
そう言ってジャンは、グラスをミハエルに傾けた。
「そうだね、他人だ――。ああ、なんだっけ……、なんなら子作りは試験管でもいいってお兄さんは言ってたね」
顔合わせの日に、立ち聞きしていた内容をミハエルが口に出すと、ザーっとジャンの顔が青ざめる。
「え……、聞いてた……? あの時の話?」
こくっと頷いたミハエルは、「あの日、エラルドを紹介されて部屋で二人きりにされて、気まずくなっちゃって散歩をしてたら、勝手に聞えて来たんだ」とジャンに向かって悪戯に微笑んだ。
「うわ、じゃあ最初っから兄さん詰んでた?」
「そうなんだよ、だから、最初の顔合わせの時に丁寧な挨拶をするブラッドを見て、内心どの口が言ってるんだろうって思ってた」
ジャンが笑いを堪え切れず、ぷっと吹き出すのを見て、ミハエルも同じように笑った。
「なーんだ、じゃあ、俺が一番好印象じゃない?」
「そうかもね?」
「……良かった」
「でも、あの時、ジャンが会話に混ざらなかったのは、特に興味が無かったからだと思ってる」
ミハエルは正直なことを伝えた。現に先程の提案を聞けば、今も大して自分に興味があるわけではないことくらい読み取れる。
「……んー、半分は当たってるかな? 実はオメガが苦手でさ」
「え……、意外だ」
「高校の時、友達だった女の子がオメガだったんだけど、発情期がきて……、友情の崩壊っていうのを経験した。まあ、彼女は最初からソレが目的だった見たいだけどね。他人の好意を自由に操れるオメガって怖いなぁ……と」
「あー……、フェルナンドも言ってた」
そう、いざとなったら自我の強いオメガに、アルファが敵うわけがないと言っていた。つまり従順なオメガばかりではないと言うことだ。
ジャンが経験したように、アルファを嵌めることも可能であり、そうやって彼らの理性を奪い、正気に戻った時、どちらが弱者として見られ、同情を受けることが出来るかだ。
「でも、ミハエルとなら結婚して仲良く生活出来そうな気がする」
「俺がどんな人間か知らないのに、断言して大丈夫?」
「そうだけど、俺の勘ってヤツかな」
そう言ってジャンはチーズをひとつ摘まんだ。
「あー、これウマイ、ほら」
彼がチーズをひとつ摘まむと、ミハエルの口元へと寄せる。少々照れ臭い気がしたが、彼は誰にでもこんな感じなのだろう。促されるまま彼の手からチーズを食べた。
「本当だ美味しいね」
ミハエルがチーズとワインを楽しんでいると、ジャンが神妙な面持ちで「……本当のことを言えばさ、恋愛とか分からないんだ」とジャンはワイングラスへと視線を落とし、話しを続けた。
「育って来た環境っていうのかな……、俺達の両親は本当に酷かったからさ、生活のパートナーと性生活のパートナーは別にいて、子供の頃は誰が本当の父親で母親なんだろう? って思ってたくらいだよ」
上流階級だからといって、品行方正ではないのだと知って驚いた。それと意外にもジャンは家庭というものに理想を持っていないようだった。
「俺とミハエルは、友達の延長上で結婚して仲良く暮らして行けると思ったんだ」
確かに、ジャンとなら、それも可能のような気がした。今日、この場をセッティングしたのは、結婚はするけど、友達でいいじゃないかと言いたかったようで、彼の提案する結婚の話にミハエルも心が動かされた――。




