13.もう帰ろう
ショーウインドーのガラスに反射する二人の姿を眺めながら、ミハエルはどういう関係なのだろうと気になった。
端々に見える親密な態度を見て、付き合いの長い友人なのは理解出来たが、自分が知りたいのは、特別な関係なのかだった。
護衛のプライベートを気にするなんてどうかしていると自分でも思う。あの女性がエラルドの友人であろうがなかろうが、ミハエルには関係のないことだ。
それなのに頭の中で繰り広げられる論争が、とても醜いことのように思える。おそらくこれは彼女に嫉妬をしているのだろう。
――俺ってエラルドのことが好きなのか……な……?
そもそも自分は誰かを好きになったことがない、どの感情が愛する感情なのか、まったく理解出来ないのだ。
家族に対する愛情とは違うのだろうし、それに、エラルドに関して言えば、これだけ毎日一緒に居るのだから、愛は無くても情が芽生えたっておかしくない……、と強引な結論が出て、はっとした。
「ここ何処……?」
辺りをぐるりと見て、狭い路地に入り込んでいることにようやく気が付いた。
気が付かないうちに考えながら移動していたのだろう。遠くに大通りが見えるのを確認して、あそこまで行けば、先ほどのパン屋があった通りに出れるはずだと、急いでそちら方面へ歩き出した時、「大丈夫か?」と英語で声を掛けられた。
声のする方へ視線を向けると、何かの店の前で折り畳みの椅子に腰掛けて、オレンジの皮を剥いている男がいた。
「お前、観光客だろ?」
「あ、はい、大丈夫です。あっちに連れがいるので――」
男の年齢は三十代後半くらいで、癖の強い長髪に切れ長の目、彫の深い骨格、かなりワイルドな風貌をしていた。
彼の背後に見える煉瓦作りの建物は、飲食店なのか、よく見れば洒落ていて、常連客が多そうな雰囲気だった。
悪い人では無さそうだと感じたミハエルは、「それ、何しているんですか?」と聞いた。
「ミモザ用のリキュールを作る」
「へぇ……」
「女を口説くのに丁度いい酒だ」
「……」
ミハエルが無反応になったのを見て、くすくすと笑った男から、「なんだ童貞か」と言われた。
「そうですね、経験はありません」
「……普通はそういうことって隠すんじゃねぇか?」
「あー……、隠さなきゃいけない理由が分からないです」
「ふぅん、……それで何をそんなに悩んでる?」
どうやら、他人の目から見てもミハエルは悩んでいるように見えるようで、男は小首を傾げながら聞いて来る。
「愛です」
「奥が深い話だな……、好きな女についてか?」
「いえ、女性とか男性とかではない見たいで……、何と言うか」
ミハエルが思っていることを上手く言葉に出来ないでいると、スっと立ち上がった男がこちらに近付いて来る。それと同時にバタバタと走って来る足音が聞えた。
ザっと、自分の目の前に広い背中が現れると、ミハエルの視界を遮り、「失礼ですが、私の知人に何か用ですか」と言った。
「俺はこれを渡そうとしただけだ」
男が差し出した名刺を受け取ると、エラルドは息を整えながら、煉瓦作りの建物を見つめる。「お返しします」と男に突き返すのを見たミハエルは、「エラルド、それは失礼な態度だ」と言って、一歩前に出ると男に謝罪した。
「すみません、知人が過剰に反応して申し訳ありませんでした」
「まあ、別に気にしてないから謝らなくてもいい、良かったらいつでも来い、話の続きを聞かせてくれ」
そう言って店の名刺を差し出す。ミハエルがそれを受け取ると、男は艶のある笑みを浮かべながら、また椅子に座り、オレンジの皮を剥き始めた。
ミハエルは彼に御礼を伝えようとしたが、それは叶わなかった。
――痛っ……!
ぐいっとミハエルの腕を掴んだエラルドに引っ張られた。
本当に自分を心配をしていたことが、掴まれた手の強さから伝わってくる。無言でミハエルの腕をひっぱり、ずんずん歩いて行くエラルドの背中を見ながら、彼の名を呼んだ。
「エラルド、あまり引っ張ると痛い」
「……分かってます」
いつもなら、『すみません』とか『申し訳ありません』と言うはずなのに、彼は謝る言葉を使わなかった。
大通りまで出てようやくエラルドの手が離れ、ミハエルはやっと話が出来ると思った。
「ごめん、考え事をして知らない間に、あの場所に居た」
「……GPSがありますので、ミハエル様を見つけるのは簡単です。ですが、見つけた貴方が死体だった場合、私はどう責任を取ればいいのですか!」
「あ……」
一人でふらふらと出歩き、大きな事件に巻き込まれていたら、エラルドの責任になる。自分が死んでいたら、という言葉を聞いて、どれだけの覚悟を持ってエラルドが護衛をしているのかを知ったミハエルは再度謝罪した。
「俺が軽はずみだった、ごめんなさい。エラルドと友人の邪魔をしたくなかったんだ。それに、俺の護衛をしていることを隠している見たいだったし……」
「それは――」
「とにかく、ごめん、もう、今日は帰ろう……」
このまま、観光を続けるのは難しいと思った。彼なりの考えと、ミハエルの考えが上手く合致しない状況では何処へ出向いても楽しめないからだ。
不意に先程の女性のことが気になり、「もう話はいいの?」とミハエルは聞いた。
「あ……、ええ、お気遣い頂きありがとうございます」
ミハエルなりに軽く探りを入れたつもりだったけど、彼の口振りで女性の素姓までは話す気はないことを悟った。
ただ、普段のエラルドの態度に戻ったのを見て、少なくともミハエルは安心した――。
その日の夕方、ジャンが家へと戻って来るタイミングでエラルドが、「少し出かけてきます」と言う。
「え? 出掛けるって……」
自分の護衛をしなくてはいけないのに、どうして? と不思議に思っていると、エラルドがグレンから電話が掛かって来たと言う。
「グレン様から、ジャン様と二人きりにさせるようにと言われました」
「そっか、そういうこと……、兄さんの指示なら仕方ないね」
つまり、グレンはジャンが望むなら、その期待に応えてやれと言いたいのだろう。躊躇う仕草を見せたエラルドが、カフスボタンのような物をミハエルの掌に置き、「睡眠剤が仕込まれてます」と言って、使い方を教えてくれる。
「ミハエル様がどうしても嫌だと思った時は、ジャン様に使用して下さい」
エラルドは真っすぐにミハエルを見つめ、業務に徹底した態度を見せると、口元を和らげた。
「グレン様はミハエル様の意思に任せると仰いました。ですので、少しでもお互いの仲が縮まればという配慮です」
「そっか、分かった」
スっと背を向け立ち去るエラルドは、一瞬歩みを止めたが、全てを振り払うかのように大きな歩みで家を出て行った――――。




