8.「招かれざる客」
〝千里眼眼鏡〟を通して見たライムの兄――スライは、毒汚染地域の中心部にいた。
赤色の妹に対して、紫色の彼は、その口(?)から(大きく開いた穴。多分口なのだろう)、絶え間なく大量の毒を吐き続けている。
「な、何かの間違イム! 兄がそんな事する訳なイム!」
ライムが左右に素早く半回転しては元に戻る。
恐らく〝首を横に振っている〟のだろう。
「そ、そうだ! きっと兄は、無理矢理やらされてるんだイム! 呪いか何かで!」
一筋の希望を見付けたとばかりに、そう声を上げるライム。
「そ、そうよ! ライムちゃんのお兄さんが、自分からそんな事する訳ないわ!」
レンがライムに同調する。
「そうだな」と、俺も首肯しながら、〝千里眼眼鏡〟でスライを観察し続けるが――
あれ?
紫色の身体の中で、口の斜め上部分だけ、赤くなってね?
あれって、頬じゃね?
ってことは、顔が上気してね?
もしかして、アイツ……
毒を吐く事に対して、興奮してね?
もしかして、〝大量の毒を吐き続ける事〟が、〝排泄〟と似た感覚なんじゃね?
で、常に〝排泄の快感〟を感じてるんじゃね?
――と思ったのだが――
「兄を助けに行くイム!」
「そうよ! ライムちゃんのお兄さんを助けに行きましょう!」
ライムとレンは、スライの事を完全に〝被害者〟として扱っていた。
うーん。
どう見ても、気持ち良さそうなんだけどな……
でもまぁ、まずはいくつか確認しないとな。
「ライム。お前は〝服のみを溶かすスライム〟だが、もしかしてお前ら兄弟は、両方とも〝毒〟を持ってるのか?」
「その通りイム! ライムは、〝ポイズンスライム〟イム!」
「〝イム〟が多くてややこしいな」
レンが「だから、服を溶かせたのね!」と、合点がいったとばかりに、手の代わりに翼を合わせる。
それにしても、〝服のみを溶かす毒〟か。
……男にとっては、夢のような毒だな。
「で、お前の兄――スライは、お前と違って、人間やモンスターにとって有害な毒を吐く、という事だな?」
「うーん……兄が、あんなに強力な毒を使えるとは思えなイム」
「そうなのか?」
「勿論、ライムよりは強い毒だったイム。でも、昔は、あんな結界を張らなきゃいけないような毒じゃなかったイム。強さも、量も」
となると、彼に劇的な変化をもたらすような何かがあった、という事か。
もしかしたら、ライムが言うように、本当に呪いに掛かっているのかもしれんが……
「っていうか、スライが魔王だったとはな……って、ん? あれ?」
「どうしたの、ラルド?」
「おかしくないか? 北部が毒によって汚染されたのは、大昔のはずだろ?」
「確かにそうね……」
「なぁ、ライム。お前はさっき〝長い間〟って言ったが、スライが行方不明になったのは、いつ頃の事なんだ?」
すると、ライムは、ぷにょんと軽く跳びながら答えた。
「二百年前イム!」
「本当に〝長い間〟だったー」
まさかの〝エルフ並の長寿〟来たー。
「てか、長生きだなおい。スライムってそんな寿命長いのか?」
「そんな事なイム。普通は大体数十年イム。兄とライムは、突然変異イム」
なるほど。
色んな意味で特別なスライム兄妹だな。
「そんな事より、兄を助けて欲しイム! この通りイム!」
また前部分を伸ばしてテーブルの上につけて、ライムが頭を下げるが――
「……悪いが、スライを助けることは出来ない」
「な、何でイム!? もしかして、頭を下げ足りなイム!? ライムは身体の構造的に、これが限界イム! そうは見えないかもしれないけど、これでも一生懸命頭を下げてるイム!」
「いや、そんな種族差別みたいな理由じゃなくてだな。俺の眼鏡は、解毒は出来ないんだ。あと、もしアレが呪いのせいで毒を吐いているんだとしたら、解呪も出来ない」
「そ、そんな……!」
ライムが肩を落とす(どこが肩か分からないが)。
「ライムちゃん……」
何度も翼で撫でて慰めようとするも、先程のトラウマがフラッシュバックして、ライムに触れない、という事を繰り返すレンが、ぽつりと呟く。
「やっぱり難しいのね、ラルド。勇者が張った結界もあるから、そもそも入れないもんね」
「いや、結界に関しては、恐らく俺の眼鏡で何とか出来る」
「え!? そうなの?」
俺の眼鏡は、万能じゃない。
が、回復・治癒・解毒・解呪など、特定の行為を除けば、大抵のことは出来るからな。
それを聞いたライムが、興奮気味に食い付く。
「じゃ、じゃあ、結界を解除して欲しイム!」
ライムよ。
人の頭の上に飛び乗ってぷにょんぷにょんするのは、止めなさい。
服を溶かさなきゃ何しても良い訳じゃないからな。
俺は、むにゅっとライムを両手で掴むと、テーブルの上に戻した。
「駄目だ。解除した瞬間に、俺たちは全員毒で殺される」
「勿論、毒汚染地域内に入るのはライムだけイム! ライムはポイズンスライムだから、毒でも平気イム!」
「いや、恐らくお前も死ぬ」
「え!?」
驚いて目を見開くライム(穴が二つ開いたので、多分アレが目なのだろう)。
「基本的に生物ってのは、〝どれだけ強力な毒を持っているか〟が、〝どれだけ毒への耐性があるか〟と比例する。服を溶かすだけの能力のお前じゃ、恐らく兄の毒には耐えられない」
「そ、それでも、会えば、きっと何とかなるイム!」
「どうやって?」
「えっと……そうだ! 兄は、ライムの顔を見たら、きっと毒を吐くのをやめてくれるイム!」
「お前の推測だと、スライは呪いに掛かってるんだろ? 妹の顔を見たくらいで、呪いが簡単に解けると思うか?」
「うっ……それは……」
ライムは押し黙ってしまった。
別に論破したかった訳じゃないが、納得して貰うには、こうするしかない。
まぁ、実は、〝防御眼鏡〟を使えば、毒が身体に触れるのを防ぐ事は出来る。
だが、あくまでもそれは、〝俺たちだけ〟に関して言えば、だ。
結界を無くしてしまえば、毒が一気にモンスター王国の残り三分の二の国土に襲い掛かる。
そして、被害に遭うのは、何も知らない善良な市民たちだ。
だから、絶対にそんな事は出来ない。
ライムは、プルプルと震えて、喚き出した。
「意地悪イム! 眼鏡屋は意地悪イム!」
「いや、別に俺は意地悪で言ってる訳じゃ――」
「そうよ! ラルドは意地悪よ!」
「いやだから、お前まで乗るなって」
同性に対して援護射撃をする悪癖があるレンに、俺は閉口する。
いやもう、どうしろっちゅーんじゃー。
「とにかく、出来んもんは出来ん。分かってくれ」
「こうなったら、眼鏡屋の服を溶かしてやるイム!」
「いや、何が〝こうなったら〟だよ。普通にやめろ」
「だって、〝男が女の服を溶かしたら〟犯罪だけど、〝女が男の服を溶かした場合〟は、何の問題も無いって、セイレーンが言ってたイム!」
「本当アイツは余計な事しかしないな」
長生き且つ、兄を探して様々な場所を探し回ったからか、〝絶対難破させるウーマン〟――もとい、セイレーンとも顔見知りのようだ。
飛び掛かって来たライムを、むにゅっと両手で掴んだ俺は、
「悪いな」
と言って、店の外にポイッと投げて、帰ってもらった。
※―※―※
が、奴がそんな簡単に諦める訳はなく――
「眼鏡屋! 結界を解くイム! じゃないと、服を溶かすイム!」
――毎日店にやって来るようになってしまった。
その度に俺は、ライムを掴んで外に放り投げた。
※―※―※
そして。
ライムとの対決、五日目。
「まだ来てないか?」
「今日はまだみたいね」
午前中に来ることが多い奴だったが、今日はもしかしたら、午後に来るつもりなのかもしれない。
力になってやりたいのは山々だが、こればっかりはな……
どうしたもんか……
と、その時――
「きゃあああああああ!」
店内の掃除をしていたレンの身体が、突然ねっちょりと濡れた。
見ると、店の扉が開いていて、床もビショビショに濡れている。
「くそっ。ライムか。いつの間にか店の中に入り込んでいたか――」
と、一瞬思ったが――
「いや、これは違うな……」
レンの着る服は溶けてはおらず、代わりに、とある色に光り輝いていた。
床も同様だ。
「ラルド! これって――」
「ああ。レインボーゴーストだ」