06.王宮の舞踏会②
大広間では、すでに大勢の貴族たちが思い思いに歓談していた。
頭上のシャンデリアには、秋を告げる百合の花が飾られている。
いくつもある小テーブルにはアメジスト色のサルビアや、ブドウの葉や実があしらわれていた。
サルビアが時折、本物の宝石のように輝いたり、ブドウの実の色が緑から徐々に紫へ、そしてまた緑へとゆっくり変わり続けているのは、装飾魔法が施されているからだろう。
舞踏会は始まったばかりで、踊っているのはまだ少数だ。
「こんばんは、アデレードさま!」
声をかけてきてくれたのは、同級生のメリッサだ。
ザルム伯爵家の一人娘であるメリッサは、今日は、遠縁にあたる騎士階級のラッセルを連れていた。
赤茶色の髪にブラウンの瞳を持つラッセルは、メリッサの婚約者だ。
彼は王立騎士団の一員でもあり、クラウスの友人だった。
騎士団では、槍の名手として知られている。
「あ、わたくし、アデレードさまの友人のメリッサと申します。いつもサヴォワ学院でご一緒させていただいています」
どうぞよろしく、と、メリッサは、クラウスに向けてお辞儀した。
クラウスが挨拶を返すと、今度はラッセルが、アデレードに少し困惑したように声をかけてきた。
「アデレードさまですか?」
「ええ、そうよ。はじめまして。お噂、メリッサさまからお聞きしています。槍の名手だって。」
ラッセルは赤くなった。
「い、いや、大した腕では・・・」
(こんな大きな体をしているのに、照れている・・・)
(照れた男の人ってなんてかわいいの!)
そう言えば、アデレードの人生には、今まで男性を照れさせる、などということがほとんどなかったような気がする。
「ふふふ、メリッサさま。ラッセルさまは、とっても優しそうなお方ね。メリッサさまとお似合いだし、素敵よ」
「ええ、とっても優しくて、誠実な婚約者なんです」
メリッサは、クラウスをちらっと見ると「誠実な」というところにわざわざ力を込めて言った。
ピシリと音がするくらい、クラウスの周りの空気が凍る。
クラウスから漂う冷気に、アデレードは縮み上がった。
これ以上クラウスを不機嫌にさせたくはない。
(今だって、我慢してわたしと一緒にいてくれているのに)
冷や汗をかいているアデレードに、ラッセルが話しかけた。
「クラウスからも、あなたのことを伺っていたのですが」
言いかけて、ラッセルがクラウスの方を咎めるようにちらっと見る。
「でも僕の思っていたよりもずっと素敵な方ですね」
「さっき、馬車から降りてくるところをお見かけしたのですが、まるで、夜空から抜け出してきた女神かと思いましたよ」
「女神?わ、わたしがですか?・・・ふふ」
大げさなお世辞に思わず素で笑ってしまう。
今まで、ヴィスタルグ家の白豚ちゃん、と陰で自分が呼ばれてきたことを知っている。
女神なんて言葉、冗談でも、自分とは対極にある言葉だと思っていた。
「うふふふ、あはは・・・面白いですわ。女神なんて」
ちょっと面白くて笑い転げてしまう。メリッサまでつられて笑っている。
屈託のない、初めて見たアデレードの笑顔に、クラウスはぼうぜんとして、釘付けになっていた。
「え、いや、本当にそう見えたのです・・・あ、もちろんメリッサも僕の女神ですが」
ラッセルは真っ赤になって言った。
「冗談ではないつもりですが・・・」
別れ際、メリッサからは、「アデレードさま、あなたには私がいますから」と手を強く握り締められた。
ラッセルからも、なぜか「私もいますし」と、固く手を握られた。
★★★
それにしても今日は本当によく視線を感じる。
視線を感じて振り返ってみると、女性だったり、男性だったり。
今までになく、色々な人に見られているような気がする。
(そ、そんなに変わったかな、わたし)
メリッサたちの後に、何組かとあいさつをした後、クラウスが不意にこちらを見た。
(え、な、なに??)
「何か、食べるもの、取ってこようか」
「は? え、わたしに? え、ええ、ありがとう」
(め、珍しい。というか、初めてじゃないかしら。クラウスに親切にされるのは)
敵意のない視線を向けられたのも、初めてかもしれない。
思わず動揺して挙動不審になってしまったアデレードに、クラウスはなぜか傷ついた顔をした。
「じゃあ、ここで待っていてくれ」
「は、はい」
(・・・わたし、ここで待っていていいのだろうか。このままクラウスは帰ってこない流れとか、今までだったら十分ありうる)
ぼんやり広間を眺めていると、少し遠くで、本当にクラウスが平らなお皿を持って、前菜をいくつか選んでいるのが見えた。
なんだかふわふわして現実味がない。
ーーーーその時。
クラウスの背中に近づいている女性が目に入った。
一気に現実味が戻ってきた。
レティシアだ。
黒のぴったりとしたドレスを着ていて、遠目からでもすぐに分かった。
(わたしと同じような暗色のドレスだわ)
(それなのに、どうしてレティシアはあんなに目立つんだろう)
(わたしも、ストロベリーブロンドの髪だったらよかったのに)
(目も水色がよかった・・・)
(髪も目もシルバーじゃなかったらよかったのに・・・)
声をかけられたのか、クラウスは手を止めて、レティシアの方を振り向いた。
二人で何か話している。
心臓が痛い。
アデレードは胸を押さえた。
全然見たくないのに、二人から目を離せない。
レティシアがクラウスに身体を寄せる。
身体を押し付けているように見える。
いつものように、クラウスはそれを許している。
レティシアの手がクラウスの背中に伸びた。
アデレードは、ふっと顔を背けて、その場から立ち去った。