16.婚約者が負傷しました③
アデレードは、魔石を取り出して両手で包み、目をつぶって集中した。
魔石から、微かな魔力が流れてきた。
次第に流れる量が増えてくる。
水が高いところから低いところに流れるように、魔力がアデレードの身体に流れ込んでくる。
(もっと。もっと必要だ)
最初、ささやかな小川のようだった魔力の流れは、次第に急流になった。
そして、いまや大きなうねりとなってアデレードに押し寄せていた。
アデレードは足に力を込めた。
身体中の魔力がどんどん増してくるのが分かる。
急激に身体中が熱くなってきた。
(今の自分には、これくらいが限界だろう)
集中だ。
ナイフのように研ぎ澄ました魔力に乗せて、アデレードは、自分の意識をクラウスの身体の内側に一気に潜り込ませた。
ーーーー血液がひどくよどんでいるーーーー血流の中の毒素を入念に調べあげてーーー体内の成分を組み合わせて、高速で抗体を作り出すーーーーこれはダメ、これもダメーーーーこれもーーーーかつての知識を総動員して、なんとか腐食性の毒に効く抗体を作り上げるーーーー抗体を増殖させるーーーーもっと大量にーーーーリンパ液も血液も、増量し、流れを速くするーーーー小さい骨が何本か肺に突き刺さっているーーーー肺が傷つかないように骨をそのまま溶かして消すーーーー細胞分裂を活発化させるーーーー傷つけられた血管を修復していくーーーー心臓はよしーーーー次に肺の修復ーーーー次に骨ーーーー頬骨も、眼球もやられているーーーー腐食がついに止まったーーーー皮膚の細胞分裂ももっと活発化させてーーー
「大丈夫ですか」
気がつくと、アデレードは、隣にいたグレイグ子爵に抱えられていた。
アデレードは、汗をびっしょりかいていた。
グレイグ子爵は、なぜか小刻みに震えていた。
目の前のクラウスは穏やかな寝息を立てていた。
部屋にこもっていた、肉の腐ったような匂いは、いつの間にか消えていた。
アデレードは、クラウスによろよろと近づくと、顔にかけられた包帯を取ってみた。
疲労で、手が滑る。
手間取っていると、レティシアが隣に来て、手伝ってくれた。
なぜかレティシアの手も震えている。
包帯が取れた。
アデレード以外の3人が、息を飲んだ。
無傷の顔がそこにあった。いつもの端正なクラウスの顔だった。
今度は白魔術師が、焦ったように、クラウスの上半身に巻かれた包帯を取っていく。
誰もが無言だった。
包帯が取れていくーーーー上半身は、傷一つなかった。
「間に合って、よかった・・・」
ホッとして、アデレードは意識を手放した。
★★★
アデレードは、その後、騎士団側から懇望され、現地に留まって、他のけが人たちの修復に当たっている。
今日は滞在の三日目に当たる。
大部屋で、けが人たちの修復作業をしていると、クラウスが現れた。
「本当に世話になった。・・・ありがとう」
「あなたには頭が上がらない。俺が先で申し訳ないが、報告もあって、今から王都に戻る予定だ」
「いいえ・・・体の調子はいかがですか?」
「すごく調子がいい。前よりいいくらいだ」
「そう。よかった。・・・レティシアは?」
アデレードが尋ねると、クラウスは、一瞬、気まずそうな顔をした。
「レティシアは、すでに王都に帰っている。無断で仕事場を抜け出してきたそうだ」
「・・・・今まであなたには、申し訳なかったと言っていた。感謝している、とも。」
「え、レティシアが?わたしに?」
「ああ。・・・俺からも、今まで本当に申し訳なかった」
クラウスが頭を下げた。こんなところでやめてほしい。
この大部屋には、怪我をしている騎士たちがたくさんいる。
さっきまで騒がしかった部屋が、今は静まり返っていた。
「彼女とは、もう会わない。今までのことを、簡単にあなたに許してもらえるとは、思ってはいないが」
「・・・会わない?・・・なぜ?・・・わたしがあなたを治したから?」
何だろう。何だか、すごくモヤモヤする。
今まで、夢見てきた状況になったのに、なんでそこまで嬉しくないんだろう。
わたし、不幸に慣れてしまったのだろうか。
病室の扉にすがっていた、レティシアのひどい泣き顔が、ふいに浮かんだ。
「何でって、あなたの嫌がることはもうしたくない・・それに、もっと前から、会うのはやめるつもりだった。これは本当だ」
「今回のことで、彼女も了承してくれた。・・・・あなたには、申し訳なかった。彼女とは、もう会わない」
「・・・別に、そのために治したわけじゃない。・・・そんなこともう望んでいない」
アデレードは頭を上げて、クラウスを見た。
目の前に、戸惑っているクラウスの顔がある。
クラウスはどうなのか知らないが、少なくともレティシアは、本気でクラウスのことが好きなのだ。
わたしだってそうだったから分かる。
好きだったーーーーみっともないくらいに。
アデレードはニコッと笑った後、真剣な顔になった。
敬語は自然と抜きになる。
もう、誰が聞いていてもどうでもよかった。
精一杯の勇気をふりしぼって言ってみる。
ずっと言いたかったこと
ーーーー今まで、どうしてこんな簡単なことが言えなかったんだろう。
「わたしの方こそごめんなさい。子爵家の弱みに付け込んで、悪かったわ。あなたが怒るのは当たり前よ」
クラウスがはっと目を見開いた。
「もともと、この婚約を無理強いしたこと自体、わたしに非があるわ」
アデレードは、手を握りしめた。
「ーーーーだから、この婚約の件は、いったん白紙に戻しましょう・・・あなたが会いたいのなら、レティシアとは・・・・これからも別に会ってもいいわ・・・わたしにはもう関係ないもの」
「は?何でそうなる。何でいつもあなたはそんなに勝手なんだ!」
「え?な、何で?・・・わたしのこと、全然好きじゃないでしょ?」
「そんなことは、ひとことも言っていない・・・腹を立ててはいたが」
「え、で、でも、婚約は、できるのなら、本当に好きな人とする方が、わたしはいいと思うの」
「そうだ。俺もそう思う。だから、俺は、あなたと婚約を続けたいと言っているんだ!」
「・・・・は?」
「あなたはちがうのか?俺のことは、もう関心がない?」
アデレードの手をクラウスがとった。指をゆっくり絡ませてくる。
「・・・マティアス王子が好きか?」
クラウスが低い声で耳元で言った。
「へ? 何を言って・・・」
「あなたとは、ずいぶん距離が近いと聞いている」
「それに、あなたは勘違いしているようだが、俺の方からレティシアに触れるのを見たことが一度でもあったか」
(・・・ないかもしれない)
(いつだってレティシアからしなだれかかっていた。でも、それを許していたのはクラウスで)
(じゃあ、どういうつもりでクラウスは・・・本当に、わたしへのあてつけだったの?)
「俺のことなんて、何にも知らないくせに」
クラウスは、アデレードの手を引き寄せて、その手にゆっくり口付けた。なかなか口を離さない。
アデレードは、固まったーーーー心臓が破裂しそうだ。
「アデレード」
優しいささやき声とともに、そのままクラウスの両腕が背中に回る。たくましい身体に包まれそうになった。
バンっと、いきなりアデレードは、クラウスを両手で突き放した。
目に涙がにじむ。
(なんで簡単にこんなことができるの。今までどんなにわたしがーーーー)
「アデレード、あなたは俺のことが好きなんだろう?」
アデレードは腕で、乱暴に涙をぬぐった。
「ええ、そうだったわ。・・・でも今はちがう」




