11.魔術師団での翻訳②
「君、全然、辞書引いてないけど、大丈夫なのか。一回も引かないとか、正気か」
「早口すぎます。も、もっとゆっくり口述してください。筆記が追いつきません」
作業の3日目以降は、アデレードが現代語訳を口述し、それをゲルダが自動書記でひたすら写し、ディルクが校閲するという体制に自然に変わっていった。
作業効率は劇的に上がり、全15巻の『錬成魔法大全』の現代語への翻訳は、結局、3ヶ月で完成した。
所要期間は、当初は2年以内と言われていたのだから、大幅な短縮になった。
最初の頃は、「辞書を引け」とか、「もっと丁寧に確認しろ」とか、横から色々言われていたが、3冊目をこなしたくらいから、もう誰も何も言わなくなっていた。
ディルクの校閲終了後に、念を入れて、3人で全文を2回通り目を通して最終チェックをしている。
『錬成魔法大全』の現代語訳は完璧なはずだ。
「ぜ、全部終わった!!」
アデレードは机に突っ伏した。
「完成した!!嬉しすぎる。こんな猛スピードでこれほど完璧な仕事したのは初めてです、師匠」
ゲルダはいつの間にか、アデレードのことを師匠と呼んでいる。
「僕も、ただの古代かぶれの貴族のお嬢さんかと思っていた。ごめん。魔力がなくても君は仲間だ!」
「あ、ありがとうございます」
「僕に敬語使わなくていいよ。それにしても最高の気分だな」
ディルクが言った。
「そうだ。上のハウスで、お祝いしよう。僕が40年前に仕込んでおいたアイスワインを空けるぞ。ちょっと魔法もかけてある。絶対うまい。保証する。バーも開けるし、好きなもの飲んでいいよ」
「やったー!!うれしいわ!」
アデレードは喜んだ。糖度の高いワインは久しぶりだ。
ちなみにハウスとは研究所の地上部分を指す。
初日に案内されて以降、一度も立ち入ったことはなかった。
何よりも二人に認められて、仲良くなれたことがうれしい。
「わたし、そうなると思って、今日ケーキを焼いてきました。キャロットケーキと、イチジク入りのブランデーケーキです」
ゲルダが紙ナプキンに包んである二つの包みを取り出して、開けて見せた。
美味しそうな二つのケーキが並んでいる。
「え、ゲルダが焼いてきてくれたの?すごいわ。とっても美味しそう!」
アデレードは手をにぎりしめた。
(せっかくだし、今日くらい、甘いものをいただこうっとーーーー)
「よし、他の連中も呼ぶぞ」
3人で盛り上がっていた時、後ろから声がした。
「楽しそうだな」
目の前のディルクが、いきなり臣下の礼をとっている。
ゲルダもあわてて腰をかがめてお辞儀をしている。ーーーー振り返ると、マティアス王子が立っていた。
「し、師匠、マティアス王子ですよ」
ぼーっと突っ立ってないで、王子にご挨拶を。と、ゲルダが目で促してくる。
アデレードもゲルダに倣って腰をかがめてお辞儀した。
「師匠?・・それって、もしかして、お前のことか」
「・・・・ただのあだ名です」
(恥ずかしい。だから師匠と呼ぶのはやめてくれと言ったのに!)
「ずい分早かったな。もっとかかると思っていた」
王子が、完成した『錬成魔法大全』の羊皮紙をパラパラめくりながら言うと、ディルクが王子に向き直った。
「アデレードのおかげです。率直に言って、古代文字に関しては、アデレードは王国一だと思います。中身に間違いはございません」
「・・・へぇ。出来上がった本の内容は、後から俺も確認しておく・・・ディルク、お前がそこまで言うなんてな」
マティアス王子は微笑んだ。
(え、こんな風に笑えるんだ。ちょっとかわいいかも)
アデレードは、口元を緩めてマティアス王子の顔を眺めた。
アデレードの視線に気がつくと、マティアス王子の微笑みはたちまち消えた。
「今日は、上でゆっくり楽しんでこい。俺からも何か差し入れしてやる」
マティアス王子に仕事を認めてもらえるのは、単純にうれしかった。
アデレードは、もう一度ひざを曲げて、お礼を言う。
「ありがとうございまーー」
「いや、お前はちょっと付き合え。頑張ったらしいな。特別に俺の書庫の中を見せてやろう」
「え、べ、別に、わたしは・・、そう、わたしには勿体無いですし・・・」
今は、ディルクの特製アイスワインが飲みたいです。ゲルダのお手製のケーキも。
せっかく仲良くなったのだから、みんなといっしょにお祝いがしたいです。
今世での初めての仕事仲間なんです。
今は書庫なんて全然興味を感じない。
「そんなに遠慮しなくていい」
「・・・・」
★★★
地下空間には、研究員なら誰でも利用できる部屋の他に、許可がなければ入れない領域があった。
マティアス王子専用の書庫もその一つだ。
たぶん、王子の書庫に入れる、と言うのは特別なことなのだろう。
けれども今、アデレードは、ハウスでの楽しそうな打ち上げに気を取られ、浮かない顔で王子の後を歩いている。
「ここが俺の書庫だ」
着いたところは比較的小さな部屋だった。
中央には小さな作業台があり、黒ずんだ鉄製の棚が壁に沿って並べられている。
棚板の上には本だけでなく、色々なものが置かれていた。何が入っているのか分からないが水槽まである。
連れてこられた部屋は、書庫だけでなく、保管室も兼ねているようだった。
マティアス王子は、鉱物らしきものがいくつか置かれている棚に近づくと、そのうちの一つを手に取った。
「はいこれ」と、アデレードが渡されたのは魔石だった。
見かけはただの真っ黒い石だが、手に取るだけで、圧倒的な魔力があるのが伝わってくる。
「え、これって」
「一応、褒美だ。貸してやる」
魔石は、使う人間の魔力を強化する、特殊な石だ。
永久磁石のように、永続的に使用できると言われている。
全く魔力のない人間には使えないが、微弱でも魔力のある人間なら、その力を強化することができた。
ただし、魔石は貴重品で、普通は手には入らない。
「お前の貧弱な魔力でも、これを使えば多少マシになるだろう。貴重なんだから絶対に無くすなよ。ーーーーまあ、俺はあと三つ持ってるが」
「・・・・あの、これ使えば、わたしでも自動書記ができましたよね」
「ああ、まあな」
「もっと早く渡して欲しかったです・・・」
「ああ? 普通はお前のような見習い風情には渡さない。まず、ありがとうございますだろ。要らないんなら返してもらうぞ」
「・・・・ありがとうございます」
書庫から出るとき、再びマティアス王子が声をかけてきた。
「あ、それから、これは武器や防具の強化魔法についての古典だが」
そう言って、一冊の古びた本を取り出した。
「かなり高度な技術が載っている。簡単には真似できないだろうが、錬金術との絡みもあって面白い。これも訳してほしい」
「次の新しい仕事ですか」
「そうだ。自動書記を使えば、これは一人でできるだろ」
マティアス王子から渡されたのは、かつて自分が書いた本だった。
「・・・・」
「返事は?」
「あ、はい」




