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10.魔術師団での翻訳①

 魔術師団の錬金術研究所は、王城の裏庭の一角にあった。

 うっかりすると見過ごしてしまうような外観で、研究所とは思えないこじんまりとした二階建ての古びた建物だ。

 赤レンガの外壁は、びっしりとツタに覆われ、周囲に植えられた木立の緑に溶け込んでいる。


 建物の中には、暖炉のある快適な応接室や、ジュースや酒類を備えたバー、軽食を用意できるミニキッチン、シャワー室やトイレの他、仮眠室などがあり、とても居心地のいい空間になっている。

 一見、ただのクラブハウスか何かのようだが、玄関わきの地下に続く階段を降りていくと、その先には魔法で拡張された空間が広がっていた。

 地下には、いくつもの実験室や研究室、書庫の他に、貴重な鉱物や植物、魔道具などを収めた保管室もあった。


 その地下空間にある一室に、いま、アデレードは二人の魔術師とともに座っている。

 ここは書庫に併設された研究室で、どんな大型の本でも読めるように、ダイニングテーブルのような大型の机がドカンと中央に据えられている。

 三人は、そのテーブルを囲むようにして座っていた。


 アデレードの隣には、紫の瞳が印象的なローブ姿の男性が座っている。

 男性は、ディルクという名で、アデレードの指導役だそうだ。

 ディルクは、髪がボサボサの白髪で、歩き方などまるで老人のようなのに、顔にシワはほとんどない。

 ぱっと見、20代のようにも見える。

 ディルクが何歳なのか、アデレードには見当もつかなかった。

 他の所員が、ディルクに頭を下げているところを見ると、職位の高い魔術師のようだった。


 アデレードの斜め前に座っているのは、ゲルダという女性の魔術師だ。

 銀縁眼鏡をかけたゲルダは、グレーの髪を同色のリボンで縛っていて、落ち着いた、知的な雰囲気を漂わせている。

 古代文字の研究者らしい。


 二人に挟まれて、アデレードは少し、緊張していた。

 今日は、アデレードの初出勤日だった。

 何となく流れで、ここまで来てしまったが、自分が場違いなところにいるのではないかと、ドキドキしている。



★★★



 ディルクが仕事の説明を始めた。


「ぼくらは3人でチームを組む」

「今進行しているプロジェクトは、我が国の貴重な古典『錬成魔法大全』の完全翻訳だ」


 思わずピクッと、アデレードは反応してしまった。


 『錬成魔法大全』・・・聞いたことのある書名だ。


 ディルクは、分厚い図鑑のような本を机の上に置くと、中身をアデレードとゲルダに見せた。

 深緑の表紙はボロボロだし、中の羊皮紙は茶色く変色して反り返っている。

 中には破れているページまである。

 古びて無残な姿になっているが、その表紙にも、中の字体にも、冒頭の書き出しの文章にも、アデレードには見覚えがあった。


「これは全15巻まであるんだが、全て古代文字で書かれている」

「原本はこれしかない貴重な書だ。これを2年以内に現代語に訳し、復元したい」


 翻訳は3人で手分けをすることになった。

 リーダー格のディルクは、ゲルダとアデレードの校閲も同時に行うという。


「とりあえず、ゲルダは1巻目を、アデレードは2巻目、ぼくは3巻目を訳していこう」

「修正はその都度かけるし、君たちの技量によって担当する分量も配慮する」


 アデレードは渡された『錬成魔法大全』2巻目を手にとってみた。

 アデレードの知っている『錬成魔法大全』とこの本が同じものなら、中身はほぼ、暗記している。

 最初のページから最後までさらっと流し読みをしてみた。


 まちがいない。昔使った、錬成魔法の教科書だ。


 類書には『攻撃魔法大全』とか、『防御魔法大全』とか色々あった。いわゆる大全シリーズだ。

 この手の本については、10代の頃、学校でなんどもテストをさせられていた。

 貴重書とか言っているが、アデレードにとってはかなり、ダサい部類の本だった。


(つまらなすぎるーーーこれを翻訳するのかーーー)


 アデレードが頬杖をついてページを繰っている間、ゲルダとディルクはすでに作業に取り掛かっていた。

 隣のディルクの方を見ると、流れるようにペンが自動的に動いて、羊皮紙に書き込んでいる。

 自動書記といって初級レベルの魔法だ。

 時々ピタッとペンが空中で止まると、今度はかたわらに置かれた辞書が、ものすごい速さで自動でめくられている。

 単語を探し当てたのか、辞書のページをめくる音がピタッと止まると、しばらくして、またペンが走り出す、といった調子だ。


 ディルク本人は、『錬成魔法大全』を抱えるようにして読み、手を動かさず、その解釈と翻訳に没頭している。

 ゲルダも同じように、ディルクほどのスピードではないが、淡々とペンを魔法で動かしている。


(わたしも自動書記の魔法を使いたい)


 アデレードは、二人の様子を見ながら思った。

 これを全て手書きで訳すなんて大変すぎる。

 3分の1もいかないうちに腱鞘炎になってしまうだろう。

 だいたい、魔法を駆使する二人の前で、自分一人だけ手動で作業していく姿は、かなり間抜けな図のように思えた。


 アデレードが戸惑っている間にも、二人は黙々と作業をし続けている。

 アデレードがため息をついていると、ゲルダが軽蔑したようにちらっとこちらを見た。

 ディルクは完全にアデレードを黙殺している。

 二人は、アデレードがわずかな魔力しか持っていないことを知っているはずだ。

 自己紹介の際にも言っている。

 それなのに・・・


 (もしかして、これはいじめではないのだろうか)


 けっこう、この二人は意地悪なのかもしれない、と、アデレードが思い始めた頃、ゲルダが再びアデレードに視線を投げた。

 その視線は、アデレードに対してこう言っているように思えた。


 「何をしているの? 大体、なんであなたがここにいるの。なぜここに来たの?あなたのような人が」と。


 正直に言おう。


 頭に来た。


 (その辺の魔術師にはバカにされたくない)


 (ーーーーわたしには、今、魔力がないだけなの)



★★★



「ちょっといいかな」


 ディルクがストップをかけた。

 もう日が落ちて暗くなっていた。

 手が痛い。書き記した羊皮紙の束は100枚近くになっている。


「ほとんど本を見ていないけれど、大丈夫かな」


「え?ちゃんと全文見てました」


(1ページ10秒くらいは。長すぎるくらいよ。丁寧に全文を照合しているわ)


「・・・ちょっと確認させてもらうよ」


 ディルクが乱暴な手つきで羊皮紙を取り上げた。

 本の最初のページから、アデレードの書いた羊皮紙の内容を照らし合わせている。

 読み合わせていくうちにディルクの顔つきがだんだん真剣になってきた。

 ゲルダもディルクの様子に気づいて、ペンを止めてこちらを見ている。


「ーーーーは?ーーえ?ーーーうそだろ。あり得ない。ーーー手動だし、ふつう無理だろ。ほとんど見てなかったよねーーーどうやったんだーーー何か使ったか?ーーいや、使えないよなお前にはーーー なんでこんなに早くて正確なんだ」


「ええと、あ、古代文字は得意なんです」


 嘘は言っていない。

 前世の時は、みんな古代文字で、日常の読み書きをしていた。

 アデレードにとっては、現代語よりも読むのが楽なくらいだ。

 それに、大全シリーズの内容なら全巻ほとんど諳んじている。


「それよりも、手が痛くて」


「い、今、治します。手を出してください」


 机の向こう側から、ゲルダが身を乗り出すと、回復魔法で腱鞘炎を直してくれた。



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