01.思い出しました①
どしん、という音がして衝撃が体に走った。頭がずきずきする。
「うーん…」
ぼんやり目を開けると、明るい空を背景に誰かが覗き込んでいる。
「おじょうさま!」
「アデレードおじょうさま!!」
(ア、アデレード・・おじょうさま!?)
何度かまばたきすると、だんだん視界が定まってきた。
茶色い心配そうな目に、薄いそばかす。栗色の巻き毛の女性の顔がアップで見える。
「おじょうさま、大丈夫ですか!?」
(ち、近い)
アデレードの表情を読みとったのか、巻き毛の心配そうな顔が少し後ろに引く。
腕に力を込めて、ゆっくりと体を起こしてみた。なんだか妙に体が重い。頭がズキズキする。
「大丈夫よ………。少し頭がいたいけれど。」
「ああ、よかった!!」
複数の声が聞こえて周りを見渡してみた。
どうやら注目を集めているらしい。周りに人だかりができている。
手に触れるのは硬い石畳の感触。
「アデレードさま!お怪我はありませんか」
駆け寄ってくる男性がいる。手に鞭を持っているところを見ると、御者だろうか。
「踏み台から足を踏み外されたのですよ」
(踏み台?)
確かに後ろには馬車があった。随分大きな馬車が。
馬車の踏み台から足を踏み外す…って、もしかしたらすごく間抜けな状況なのではないだろうか。
「だ、大丈夫って言ってるでしょ。………で、アデレードおじょうさまってだれ?」
アデレードは困惑しながら思った。
(わたしはエリスっていうのだけれど………)
★★★
16歳。王都でも有数の裕福な伯爵家の末娘。
それが、今のわたし、アデレード・フォン・ヴィスタルグだ。
踏み台から落ちて、頭をしたたかに打った瞬間、アデレードには、前世の記憶がなだれ込んできた。
前世のアデレードは、エリス・バルマーという。
エリス・バルマーは、最強の魔術師として知られていた伝説上の人物。
燃えるような赤髪に、片目がグレーで、もう片方がレッドのオッドアイ。
独特の美しい風貌と、その壮絶な最期は今でも王国に語り伝えられている。
1000年ほど前、この国が北方の帝国の大軍に攻め込まれそうになったことがある。
王国の主力の騎馬隊は、西方に遠征中で留守だった。
王国は絶体絶命の危機に陥る。
その際、エリスは、自分の命と引き換えに、王国全土に強力な結界を張り、息絶えたと言われている。
伝説では、両手を固く握り締めたまま、魔力も生命力も使い果たして、エリスの身体は、最期、砂のように崩れたと伝えられていた。
ーーーーそう、そのエリスが、かつてのわたしだった。
あの時は、王国の命運を見届けられなかったけれど。
今の王国の繁栄した姿を見ると、どうやら自分の死は無駄ではなかったらしい。
(そっか。よかったーーーー)
★★★
「・・・いや、ぜんぜんよくない・・・・・・・・こんなはずでは・・・」
アデレードは、「ハーッ」とため息をついて、自分のもっちりとした白い手のひらを眺める。
身体は以前とは全く変わっていた。
締まりのない二重あご。
ぶよぶよとして動きの鈍い体。
体を起こそうとすると、お腹の肉が折りたたまれて苦しい。
そして何より圧倒的だった魔力がほとんど残っていない。
ゼロではないが、かすかしか感じられなかった。
(ーーーーこ、これがわたしなんて)
かつて容姿端麗で、頭脳も魔力も王国一と謳われたエリスは、何の能力も持たない、おデブの伯爵令嬢に生まれ変わっていた。
★★★
「え、お嬢さま、もしかして記憶が??」
「記憶喪失!?」
周囲がふたたび騒ぎはじめる中、数分間ぼうぜんとしていたアデレードは、ハッと我に返った。
「じょ、冗談よ、ほ、ほ、ほ」
今日は5月の最終日。陽は落ちかけている。
アデレードは、上級貴族たちが集まる夜会の誘いを受けて、リッチモンド侯爵邸に到着したところだった。
「よいしょっと。さあ、行きましょう」
重い体をなんとか起こし、お供の侍女に付き添われて、車寄せから庭園の方へと向かう。
今日の夜会の会場は、バラ園だ。会場に近づくにつれ、バラのいい香りが辺りに満ちてくる。
歩くと内股がスレて痛くなってきた。
情けなさで泣きそうだ。
動きづらい。
このぶよぶよした身体が自分の身体だなんて受け入れがたい。
(誰か嘘だと言ってーーーー)
呆然としながら会場に入り、アデレードは、シャンパンを受け取る。
何人かの顔見知りと歓談しながらも、アデレードは上の空だった。
前世での切迫した国王の顔。
王都めがけて降りかかってくる小隕石の攻撃魔法。
真っ赤に染まる空。
平和な夕暮れのバラ園で、ちびちびシャンパンをたしなんでいると、全てが夢のようだ。
あの頃は必死で生きていた。
ーーーーでも。
泣いても叫んでも、最強の魔術師と言われたエリスには戻れないのだ。
周りには、優しく温かい風が吹いている。
今は平和ないい時代なんだろう。
アデレードはシャンパンを飲み干した。
(わたしは、もう、アデレードとして前向きに生きていくしかないんだわ!)