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「(あぁ、久しぶりのカフェ……和む)」
いよいよストレスを解消しないと不味いと思い立ち、行きつけであるチェーンのカフェで優雅に読書を決め込んでいた。
思っていた以上に早く読書の機会がやってきたな、うん。
あの後も伊東からは完全に無視をされ続け、何なら「アンタってあたしに気あるの? キモいからマジやめてよね」みたいなことを言われた。
メンタル強めの僕でもそろそろ限界だ。なぜこの僕があそこまで言われなきゃならない。
くさくさした気持ちを押さえつけて、今日は太宰治の『斜陽』を読み進める。
「(――人間は恋と革命のために生まれてきたのだ、か。僕には分からない言葉だな)」
この中編小説は主人公が女性で、さらに戦後間もない日本を舞台としている。
男であり、しかも現代を生きている、そんな僕には感覚的に理解することが難しい。
この『斜陽』の話に依るならば、僕は古い慣習に囚われて恋に生きることも、革命を起こすことも出来ない、主人公の弟に近しい存在だと思う。
……その彼も最後には自殺してしまうんだけど。彼は新しい世界で生きていくことが出来なかった。
それは僕も同じだ。恋のために戦う意志も覚悟もない。革命なんて持っての他だ。
何よりも心の平静を求めている。それなのに、そんな無縁なものと向き合うことを迫られていた。
「(あぁ、だめだ! 本の内容が全然入ってこない!)」
頭の中は伊東との関係をどう縮めていくか、そればかりだった。こんな状態で集中して読書なんて出来ない。やはり、当分は落ち着いて読書をする事も難しそうだ。
「ありがとうございましたー!」
店員さんの営業スマイルを背中に感じて店を出た。
今日もこのまま歩いて帰る。奇しくもリオンと出会った時と同じ状況だった。
「(アイツと出会ってから本当に散々だ)」
帰ったら嫌味の一つでも言ってやらんと割に合わないな。
それから一五分くらい歩いて県営公園の最寄り駅が見えてきた。
ここでリオンのことを見出さなければ、今日も凪の心で過ごせていたに違いない。そんなことを考える。
時刻は一九時。またしても嫌な一致。アイツと出会った時を再現しているようだ。
だからきっと、これもまた運命の巡り合わせなんだと思う。
駅前のパイプベンチに寄りかかるようにして、退屈そうにスマホの画面を眺めている美人の姿があった。キャップの下から覗く明るい髪、見覚えのある気怠げな眼差し、デニムに大きめのニットを合わせた『らしい』私服は初めてみるが、あれは間違いないだろうな。
伊東汐莉。
僕にとって最大のストレス源になっている女がそこにいた。
「なんで最後の最後に試練を与えてくるんだ……」
心のままに行動するなら、ここはスルーして帰宅するのが正解だ。
しかし放課後の時間に遭遇するなんて好機を逃すのは、彼女と仲良くなるという目的を掲げている上では痛手でしかない。
今日は金曜日で明日から休み。これは今週最後のアタックチャンスなのだ。
「ええい、ままよ!」
すでに矜持はズタズタだ。これ以上、失うものなんてない。
特攻覚悟で伊東の方に向かって歩き出す。
「……よお」
「――は!? 何でアンタがここにいんの!? ストーカー!?」
僕を視界に収めると、伊東は目を見開いて平素のように騒ぎ出した。あまりにも想定通りの反応過ぎて何とも思わない。いやはや、慣れって怖いな。
「違うって。たまたま通りかかっただけ」
「だとしても、声を掛けてくるのがキモいんだけど!」
「いいだろ、別に。隣の席のよしみだろ」
「そんな程度の関係性で関わってくるのがウザいの!」
相変わらずキモいやウザいのオンパレードだった。もっと語彙力をつけた方がいいぞ、なんて言葉が喉まで出かかったが火に油なのでやめておく。
「よし! これから仲良くしようじゃないか!」
「お断りよ! ……ねぇ、何が目的なの? どうしてあたしに付き纏ってくるのよ!」
馬鹿正直に「お前の首筋にキスがしたい」なんて言えるわけがない。
「と、友達になりたいんだよ、伊東と」
「キモ」
「ったく、それしか言えんのか!」
こうも一辺倒の反応だと会話の糸口も掴めない。いい加減にイライラしてきた。
「……じゃあ、何であたしなのよ?」
「それはあれだよ。ほら似たもの同士じゃん、僕たち」
クラスで浮いているという意味において。
「はぁー!? あたしとアンタが!? 冗談でしょ!」
「友達がいないだろ。お互いに」
「そ、それはそうかもだけど……! でも、あたしはアンタと違って斜に構えてないし、人を遠ざけるようなことはしてないつもりよ!」
友達がいないという事実を指摘すると伊東は口ごもる。やはり気にしている事柄らしい。
「僕だって最近は気を付けているつもりだ……一応」
「今まで他人なんて興味ありません! ってスタンスだったのに都合良すぎるのよ!」
……正確には違う。
僕は他人に興味がないわけではない。人間が嫌いなのだ。無関心であることと、嫌悪の対象であることには、決して小さくない差がある。
まぁ、そんなことを説明したって伝わらないんだろうな。
「それについては反省している。だからこうして人と向き合ってるんじゃないか」
「なら、勝手にすれば。あたしには関係ない」
伊東はツンとそっぽを向いてしまう。会話はもう終わりだという意思表示らしい。
だけど、僕には通用しない。ここで引くようなメンタルならとっくに心が折れている。
「んで、伊東はここで何をしてたんだ?」
「はぁ……アンタもしつこい男ね」
「そこがセールスポイントだと思ってる」
「欠点の間違いでしょ」
「はいはい、それで伊東は何を?」
伊東はムッとした表情を浮かべた後、はぁーと大きなため息をついた。
「――妹を待ってるの」
そして、自分がなぜここにいるのかを端的に説明してくれた。
「なるほどな。妹さんは部活かなんかしているのか?」
「いや、帰宅部だけど……というか詮索やめてよね!」
「帰宅部にしては遅いな。連絡はないのか?」
伊東の引いた立ち入り禁止ラインを無視して突き進んでいく。
「…………もういいや。そうね、連絡もなし。高校生になったばかりで浮かれるのも分かるけど、入学してからずっとこんな感じだから」
伊東は呆れるような口調で事情を説明してくれた。僕の粘り勝ちである。
今年で高校一年生なら、妹とは年子の関係ってことか。それならちょうど七香と同い年だ。その事実が僕に親近感のようなものを抱かせた。
「けど、あれだな。わざわざ駅で待っているなんて仲良いんだな」
「家族を心配するのは当然でしょ」
臆面もなくそれを口にできる彼女が少し眩しかった。
「だから、アンタなんかに構ってる余裕はないのよ」
「……だな」
会話時間の最長記録は更新出来たんだ。
これ以上、無理に話を引き伸ばすのは申し訳ない。
「んじゃ、また来週――」
「あー、いたいた! 汐莉! ご飯できたから一旦お家に……って、あれれ~!?」
いよいよ伊東から背を向けて帰路に就こうとしたところで、二十代前半ぐらいの綺麗な女性が乱入してきた。
「ちょ、恥ずかしいからやめてよ!」
伊東は顔を真っ赤にして、乱入者の女性に文句を言っていた。
どうやら、この女性と伊東は知り合いみたいだ。伊東とは違ったタイプの美人。どちらかと言えばほんわかとした可愛い系、顔立ちは似ていると言えば似ているような気もする。
一番の共通点は両者ともに、そのなんだ……む、胸が大きいことくらいか。
会話の内容から察するに伊東のお姉さんである可能性が高い。
「もぉ~いやーねー、思春期じゃないんだから~」
「絶賛バリバリ、現在進行系の、思春期真っ盛りよ!」
伊東のツッコミにもキレがある。とてもユニークなお姉さんみたいだ。
「って、そんなことはいいのよ! 汐莉、そこの彼はもしかして……彼氏さん!?」
第三者として二人の会話劇を観賞していたかったのだが、思わぬ形でその劇の中に巻き込まれてしまう形となった。
話を振られてしまったからには反応しないわけにもいかないので、ひとまず「どうも、初めまして」と頭を下げて、自分と伊東が彼氏彼女の関係にないことを説明させてもらう。
「えーと、僕と彼女は――」
「ただの他人よ」
「そこはせめてクラスメイトって説明してくれよ!」
うちの高校は制服がないから、見た目だけじゃ判断がつかないんだからさ。
「クラスメイト! じゃあ、汐莉のお友達ってことね!」
「はい、そうです」
「いいえ、違うわ」
見解に相違があった。うん、一方通行の想いって切ないよな。
「えーと、すみません。今は友達候補って感じです」
「候補にした覚えはないっての!」
「うんうん、候補でも何でもいいの! 汐莉ってば、高校生になってから友達と遊んだみたいな話をしてくれないから心配してたのよ~。素直じゃなくて面倒な子なんだけど、汐莉のことよろしくね!」
「はい、任せてください!」
「ちょ、勝手に話を進めないでよね!」
将を射んとする者はまず馬を射よ、だ。
このお姉さんと仲良くなることで外堀を埋めていくぞ。
「そういえば、お名前はなんて言うの?」
「今井玲和って言います、お姉さん!」
僕はニコニコ笑顔を貼り付けて、外交的でとっつき易い自分を演じた。……これを多用しすぎると顔の筋肉が疲れて後々大変なんだけど。
「玲和君! お顔だけでなくて名前もカッコいいのね~!」
「いえ、そんな……」
社交辞令に対して反応が困る。自分のことを不細工とまでは思ってないが、誇るほど造形は整っていない。
こういう時って何て返すのが正解なんだろうな。改めて自身のコミュニケーション能力が欠けていることを実感してしまった。
しかもボソッとした声で「中身は最悪だけどね」と伊東が文句を言ってるし。
いや、その言葉をそっくりそのままお返ししたいけどな。
「それにしてもお姉さんなんて、ね? おばさんを煽てても何も出ないわよ~」
「あはは、またまたご冗談を」
いくら謙遜でもこれは一部の層にとって嫌味でしかない。もしこの人がおばさんだとしたら、大半の女性がおばさんということになってしまう(ネットで炎上しそう)。
「アンタ勘違いしてるみたいだけど、この人はあたしのママだからね」
「それはないだろ、さすがに」
ライトノベルじゃないんだ。めちゃくちゃ若く見えるお母さん(キャラ)とか現実にいるわけが無い。
やっぱり人間ってのは年を重ねるとどうしても見た目に出てくるし、それは悪いことなんかではなく歴史を積み重ねているということだ。
伊東が母だと宣うこの人は、どう見ても二十代前半くらい、とても二十代後半には見えない。ましてや三十代、四十代に見えるわけがない。
「あのね。汐莉の言ってることは事実なの、玲和君。汐莉の母こと伊東晴子ですー! ちなみに年齢は三十五歳です♪」
「……え!? いや、若すぎませんか!?」
それは見た目もそうだし、実年齢もめちゃくちゃ若い。伊東の年齢を考えるとハタチ前後で産んだ子ということになるはず。
僕の母親が生きていれば今年で四十一歳なので、高校生の娘がいるにしては若すぎる。
まさか、若く見える(実際にも若い)お母さんが実在するとは……。
「その反応も見飽きた。子供の頃からずっとそうだし。もうちょっと面白い返しないの?」
「無茶言うな! その、すみません。てっきりお姉さんだとばかり」
「全然大丈夫よー! それこそ昔は大人っぽく見られたい時期もあったけど、今は若く見られた方が嬉しいものー!」
この柔軟でおっとりとした返しも込みで、やっぱり三十代には見えない。無愛想で仏頂面の娘と違って愛嬌のかたまりみたいな人だ。
「伊東もちっとは見習えよ……」
「うっさい!」
「痛っ!」
僕の言いたいことが伝わったみたいで思い切り足を踏まれた。
「ふふふ、汐莉が家族以外と楽しそうにしてるのも久々に見たわ」
「してないし!」
それに関しては伊東に同意。伊東の機嫌はどう見ても悪いし、何よりも僕はちっとも楽しくない。一方的に肉体・精神的な面で痛めつけられているだけだった。
「あ~、そうだ! 玲和君、よかったらウチでご飯を食べて行かない!?」
『なっ!?』
驚いを隠せず二人揃って間抜けな声を出してしまう。
「嫌よ! こんなやつとご飯食べるの!」
「そ、そうですよ! 一家団欒を邪魔するのは悪いですし」
またしても伊東に完全同意だ。今日一日でそこまで関係を発展させる必要はないし、何よりも僕は内向的かつ内弁慶でコミュ力が皆無の人間だ。
見知らぬ家族の中に入り込んで、うまく会話をする自信なんてない。
「いいのよ、遠慮しなくてー」
「いえ、その」
遠慮なんていう慎ましいものではなく……。
「あ、そっか! お家でもうご飯用意されてるよね!?」
「いえ、それは大丈夫なんですが……その、食事は自分で作ってるので……」
「それなら問題ないじゃないー!」
口に出してから自分のミスに気が付く。馬鹿正直に答えてどうするんだ。ここで嘘を吐いておけば角も立たなかっただろうに。
晴子さんの明け透けな感じに絆されてしまった。
伊東からは「何してんのよ、アンタ!」と睨まれる。マジでごめん。
「それでは、我が家にご招待ー!」
「えと、それじゃあ、すみませんが……ご相伴に預かります……」
「…………」
伊東からビシバシ飛んでくる圧のある視線がめちゃくちゃ痛かった。