1-6
「よーし、それじゃあ出発っー!」
翌日。朝の支度を終えて、いざ登校というタイミング。
普段ならイヤホンで好きな音楽を流しながら、最寄り駅まで自分のペースでのんびりと歩いていくところなのだが、今日に限っては様相が異なっていた。
「お前を学校に連れて行くのが嫌になってきたぞ……」
自分で提案した事とはいえ、こうもノリノリだと訝しんでしまう。
リオンを学校に連れて行ってリング保有者の有無を確認するのが目的だけど、この奇想天外な天使がただ大人しくしているとは考えづらい。
「あ、またツンツンしてる! 昨日みたいにデレデレのレオでいいのにー」
「昨日も別にデレてないっての!」
「ほら、よしよし……って背伸びしたら届かないでしょ!」
「そう何度も子供扱いされてたまるか!」
僕とリオンはかなり身長差があるので、こちらが背伸びをすればリオンの腕は届かない。
「だって、私からすればレオなんて子供みたいなものだしー」
「その幼児体型で?」
胸もない、くびれもない、色気もない。こんなやつに大人ぶられてもな。
「ねぇ、レオ」
「なんだよ」
「簡単に死ねると思わないでね」
光のない虚ろな目でリオンはボーッとこちらを見ていた。
「怖っ! 天使の言う台詞じゃないだろ、それ!」
「うるさーい! 何よ、胸がちょーっとないからって! 私のこの完璧な美貌を前にそんなことは瑣末な問題でしょ!」
「わ、悪かったって! だけど、そもそもリオンって歳はいくつなんだ?」
見た目的には中学生って感じだけど。
「えー、それ聞いちゃう?」
「なんでそんな得意顔」
もしかして、こんなに幼い見た目でも実は数百歳みたいな。そうとなれば、これまでの子供扱いも多少は納得できる部分もあるが……。
「ふふっ! 私が天使の役割を授かった日から、人間の暦で計算すると――」
「なっ!?」
その答えは、考えうる中で一番最悪なものだった。
「ほーら、背筋を伸ばしてしっかり歩きなさい!」
「うるさいっての!」
駅までの道をリオンと並んで歩く。いつもは心穏やかに歩いている道でも、うるさい天使が隣にいると平静な心を保つ事ができない。
「えー、お姉さんにそんな口の利き方していいのかなー?」
「あぁ! くそが!」
「ダメでしょ、ちゃんと年長者は敬わないとね?」
「年長者って、一つしか変わらないだろうが!」
いや、だからこそ僕の自尊心が大きく損なわれたとも言える。
これが十歳でも百歳でも離れていれば、何なら二つでも離れていれば歳上であるという事実を受け入れる事ができた。しかし、たった一つだけ。
そんな僅かな差で、僕はこのロリ体型天使にマウントを取られる。
「この国には年長者を敬う文化が根付いてるんでしょ? たとえ一歳差でもその教えはしっかり守らないとね♪」
「屈辱だ……」
儒教および孔子に文句を言いたかった。
「というか、そろそろ人通りも多くなってきたし、話し掛けるのやめてくれよ」
「えーそれだと私がつまらないじゃん!」
「僕がヤバい奴だと思われるんだよ!」
七香の件でも確認できたが、リングを取り込んでいない人間にコイツの姿は見えない。おそらく声も聞こえないはずだ。
そんな相手と会話をしていたらどうなるか。周囲の人間からブツブツ独り言を言っている異常者扱いされてしまう。
「大丈夫、私はどんなレオでも好きだよ!」
「そういうのいいから! ただ黙ってくれればそれで!」
「じゃあいいよー。レオは喋んなくてー。私が一方的に喋るからー」
拗ねた口調でリオンはプイとそっぽを向いた。
年長者アピールをするなら、こういう子供っぽい仕草をやめて欲しいところだ。
「もう勝手にしてくれ……」
最寄りであるT駅の駅舎も見えてきて、いよいよ周囲には通勤・通学のサラリーマンやOL、学生が列をなして歩いている姿が散見される。
これ以上はたとえ何を言われたとしても反応する気はない。
「ちなみに何だけど、さ」
「…………」
さっそく話し掛けてきたリオンを無視した。
「――実はパンツ穿いてないんだよね、私」
「はぁ!? バカだろ、お前!?」
周囲の人が一斉にこちらを見る。
本来であればその事実に対して気を配るべきなのだが、今はそんなことどうでもいい。
「だって、替えの服がないし」
まじまじとリオンの姿を観察する。
言われてみれば初日に身につけていた肩紐ワンピースそのままだった。
「ちょっと待ってよ。どれくらいその服を着てるんだ?」
「えー、かれこれ六日とか?」
「汚っ! え、その服のままベッドで寝てんの!?」
「ひどーい! 替えがないからしょうがないでしょー。お風呂にはちゃんと入ってるしー」
なんていう事だ。天使ってのは穢れなき存在、みたいなイメージが先行してその問題を完全に失念していた。
「だからってノーパンはやばいだろ!」
「パンツだけはどうしても抵抗あってねぇ。……なんか嫌じゃん?」
「服だって六日も着たくないわ! 早く言ってくれりゃ洗濯でもなんでもしたのに」
「レオにパンツを洗われるなんて恥ずかしいよ……」
「ノーパンの方が恥ずかしいっての!」
羞恥心を覚えるポイントがぶっ飛んでいる。
「というかさ、レオ」
「おい、話を逸らす――――」
「すごい注目されちゃってるけど大丈夫?」
リオンに指摘されて周囲に目を配る。まるで川の流れを割く巨石の如く、僕を避けるような形で人々が足早に道を歩いていた。
なんなら一部の人間がスマートフォンのカメラをこちらに向けて撮影している。これあれだ。なんかやばい奴いたんだけど、ってネットに晒されるパターンだ。
「ちくしょう! リオンのせいだぞ!」
「えー、レオが勝手に私のノーパンに興奮しただけじゃーん。ほれほーれ♪」
「な、ちょ、やめろって!」
リオンはワンピースの裾をたくし上げながら、挑発的に体をゆらゆら揺らしている。
これがまた、角度的に見えそうで見えない。いや、見たくないけどさ!
「もぉー、レオってほんとにえっちなんだから♪」
「黙れ痴女! あーくそ、学校終わったら服を買いに行くぞ!」
「でも、大丈夫なの?」
「何が!」
「だってほら、レオ一人で女物の下着買えるのかなって」
「そりゃサイズも分からないし一緒に……って、そういうことかよっ!」
そうだった。コイツの姿は他の人間には見えないんだ。
店員さんの目線では、一人で女物の服や下着を買いに来た変態として僕が映る。
「色はレオの好みで選んでいいよ……? 恥ずかしいけど……」
「だから目が笑ってるんだよ!」
手を組みながらモジモジとしていたが、目がいたずらっ子のそれだった。
「別にノーパンの方が良いっていうなら……それでもいいよ……?」
「あぁ、もう!」
これぞまさしく前門の虎、後門の狼ってやつだ。
この言葉を作った人間からすれば、『男一人で女物の下着を買いに行くか』、『ノーパン女を放置するか』の二択 なんて想定していないだろうけどさ。
「ねぇ、そろそろ行かないと遅刻しちゃうよね?」
「誰のせいだと思ってるんだよ、ったく」
リオンとの会話に気を取られて一歩も足が進んでいなかった。
その原因を作った天使からの提案を受け入れるのは大変遺憾ではあるが、このままだと本来乗るべき電車に乗れなくなってしまう。
「ほら、行くぞ!」
周囲に奇異の目で見られながら、スタスタと駅までの道を歩き始める。
…………僕が近付くと、仰反るようにして避けていく人が少なくなかった。
「あー待ってー!」
慌ててノーパン天使が駆け足で追いかけてくる。
走ることによりワンピースの裾がそよそよと揺れるので、一歩間違えば中身が見えてしまいそうだった。『あれ』を何度も見るのは、精神衛生上よろしくない。
――――となったら、選択肢は一つしかなかった。
僕がコイツの下着を買いに行くことになるのはまた別の話である。
***
「いいか、学校では声を掛けるなよ絶対に」
そろそろ校門が見えて来るといったタイミング。周囲に他の生徒がいないことを確認して、リオンに小声で警告をする。
「あれでしょ、お笑いで言うところのフリってやつだよね!?」
「違う! そんな『押すなよ!』的なノリじゃないから!」
一般人の僕が話し掛けるなと言ったら、それ以外の意味なんてない。
「いいか、本気でリングを集めたいなら頼むぞ。昨日の今日でブツブツ独り言なんて言ってたら、クスリやってるんじゃないかと思われる」
「分かったってー。もおー心配性なんだからー」
こっちは必死だというのに、リオンはいなすようにして応じた。
「本当に頼むからな。じゃ、行くぞ」
「おー!」
……いや、分かってるのか本当に。
ニコニコ笑顔で拳を天に掲げるリオンを見て、一抹の不安を覚える。
しかし、ここまできて引き返すわけにもいかない。それはそれで頭がおかしい行動だ。
覚悟を決めて校門をくぐり、生徒の流れに沿って下駄箱まで歩く。
「おはよー」
「おっす」
多くの生徒は友人たち楽しそうに挨拶を交わしていた。
その顔には一点の曇りなどなく、今この瞬間をただ楽しんでいるように見える。
彼らは分かってないんだ。
自分達がどれだけ不安定な場所に身を置いているのか。
隣を歩く他者がいきなり包丁で刺してくるかもしれない。笑顔の仮面を被っているだけで本当は自分のことを心底見下しているかもしれない。
他者は自分の管理下にない。その事実を失念しているのか、忘却しているのか。
僕にはそんな命綱なしのバンジージャンプに挑む勇気はなかった。
だから今日も一人。友達なんて煩わしい人間関係など必要はない。いつものように誰とも喋ることなく教室に向かう。
「あ、今井くんだー! おっはー、またクールキャラに戻ったのー?」
そんなことを考えていたら、廊下でピンク髪女こと鬼崎に話しかけられた。
「別に」
「なんだよ~、その性格悪い女優みたいな反応は~!」
相変わらずフワフワした態度とニコニコ笑顔の鬼崎。見たところ、リオンのことは見えていないらしい。昨日はかなり喋った方だし、席も斜め後ろと距離が近いのにこれだ。
ということは、おそらく鬼崎はリングを取り込んではいないんだろうな。
なら、コイツに用はない。
「昨日のあれはちょっとした気の迷いだ。だから、これまで通り放置してもらって構わない。クラス全員仲良くみたいなことは考えてなさそうだしな、お前」
もしそんな博愛主義的な思想があるなら、もっと早い段階で僕にお節介を焼いてもいいはずだ。それをしないということは、そこまで他人に興味がないのだろう。
「ちょ、なんでそんな突き放すようなことを言うの!」
……学校では話し掛けるなと言っただろうに。
もちろんリオンの抗議は完全に無視だ。リングは探す、だけど僕のやり易い方法を追求するというだけの話だ。
リングを取り込んでない人間とわざわざ関わる必要はない。
「およよ……み! なんちって! 今井くん冷たいよー! 世読ショック~」
「んじゃ」
鬼崎のしょーもないギャグに付き合っているほど暇じゃない。
「――そうだよ、今井くんはそれでいいんだよ」
「なんか言ったか?」
鬼崎が小声で何やら言葉を発したのが分かった。
今までの僕だったら気にせずに無視をしていたはずだ。どうやら、まだ中途半端に人と関わるスイッチがオンになっているみたいだな。
「べっつにー?」
「意趣返しのつもりかよ」
今度こそ鬼崎と距離を取るようにスタスタと歩き出した。