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4-7

「今井、これはどういうこと! 何でパパがここに!」

 伸治さんの登場に姉妹は取り乱している。

 そんな中で、最初に怒りの感情を露わにしたのは姉の方だった。

「全部、話した」

「何でそんな余計なことをっ……! 関わらないでって言ったよね!」

「そうですよ! よりにもよってパパに! 他人の家庭を滅茶苦茶にして楽しいですか!?」

 鋭利な言葉に心が抉られそうになる。

 でも、大丈夫。自分が見たい光景のためだ。これくらいの痛みは耐えられる。

「あぁ、姉妹揃ってうるさいなぁ! 僕がこの問題を解決したいと思ったから勝手に動いた、それだけだよ! なんか文句あるのか!?」

 開き直りである。

 自分達だって好き勝手に動いておいて、僕だけにそれをするなというのは都合が良すぎるだろう。

 これは僕が僕のためにやることだ。

「文句しかないでよ! これは家族の問題なんです!」

「それなら問題ないよね、紗希さん。伸治さんはその問題の当事者だからね」

「問題大ありだから! パパたちを心配させないようにあたしたちは――」

「二人が家族を想っているように、伸治さんも二人の事を想っている。二人ともそこの部分が抜け落ちてないか?」

 そちらが家族を免罪符にするなら、こっちもその家族を連れてくればいい。

 家族のために家族の一人である自分が犠牲になる、この悲しい構造を終わらせることができるのはその家族の一員だけだ。

 はっきり言ってしまえば、伸治さんを連れてきた時点で二人は詰んでいる。

「……玲和、後は任せてくれ」

「すみません、出しゃばり過ぎました」

「いや、いいんだ。ありがとな」

 僕の役割はすでに終わっている。後は外野に徹するだけだ。

 伸治さんはゆっくりと二人の方に近づいていく。

『ぱ、パパ……』

「まぁ、そのなんだ。二人とも歯を食いしばれ」

 乾いた音が二回、周囲に響き渡る。駅に向かっていく人のうち数人が一斉にこちらを向いた。しかし、そんなことに気を配ることなく伸治さんは言葉を続ける。

「馬鹿野郎! 俺の宝物を粗末に扱うな!」

『…………』

 二人は叩かれた頬に手を添えながら、ただ黙って伸治さんのことを見ていた。

「別に恋愛だって好きなだけすればいい、いつかは家を出ていくことだって覚悟している。かけがえのない宝物だけど、独占しようとは思ってない。……だけどな、雑に扱うやつは絶対に許さない。それがその当人であっても、だ!」

 ものすごい剣幕だった。あんなに真っ正面から子供と向き合える親はそうそういない。

 少なくとも僕の父親は違う。だからこそ、伸治さんの凄さが分かる。

「でも、さ! お金がないのは事実じゃん……! 私が全然勉強できなくて、それで塾に通わせてもらったこともたぶん原因で! それで汐莉は部活が出来なくなってさ! 全部、私のせいなんだよ! だから、私が責任取らないとって!」

 きっと、これが妹さんの正直な気持ちなんだと思う。勉強が出来る出来ないは関係なく、彼女はとても聡い。自分がやっていることが間違っていることも分っている。

 それでも自分が姉の足を引っ張ているという罪悪感から、このような暴挙に出てしまったのだろう。行き過ぎた家族への想いが、皮肉にも彼女を間違った方向に突き動かした。

「……いや、紗希の責任じゃない。汐莉がソフトボールを辞めたいと言い出した時、そこまで考えていたとは正直思っていなかった。これは俺の過失だ」

「ううん、それに関してはあたしが悪い! もっと家族を頼りにして相談すればよかった。その結果、紗希に色々と考えさせちゃうことになるとは思わなかったから……」

 自分が悪いとそれぞれが主張する。本当に似たもの家族だ。

 全員が少しでも自分勝手でわがままだったら、こんなことにはならなかっただろう。

 ――だからこそ、伊東家は伊東家なんだろうけど。

「汐莉、紗希。金のことで心配をかけたのも全部俺が悪い。正直に言って、俺の稼ぎだけで三人分の大学費用を賄うのは無理だ。もちろん、必要とあれば教育ローンだって組むし、晴子だって学費を捻出しようとパートを頑張ってくれてる。それでも足りなければ、最後の最後にはお前たちに奨学金を借りてもらうことになるかもしれない。それは許してくれ」

 伸治さんは心底悔しそうな顔をして、申し訳ないと二人に頭を下げた。

 国立大学でも四年間通えば二○○万円以上、私立大学や理系・芸術系ならその数倍の費用がかかる。それだけの費用を捻出するのがどれほど大変か、学生の僕でも想像に難くない。

『パパ……』

 父から頭を下げられ、娘たちは困惑の表情を浮かべている。


「だけどな、俺が不甲斐ないのは百も承知だが……紗希がやっていたこと、汐莉がやろうとしていたことは絶対に正当化させないぞ! お前たちは自分を売り物にしたんだ! 俺や晴子、拓也もそうだし、もっと言えばお前たちに関わる全ての人間、そんな人たちがどれだけお前たちを愛しているのか考えたことあるのか? 金額なんかじゃ表せない強固な想いだ。そういう想いが繋がって人は生きてるんだ。そんな想いの集合体である自分自身に値札をつけるな! 大切に想ってくれている人たちの気持ちを無下にするな! いいか、もう一度言うぞ! 俺の大事な大事な宝物を、大切な愛おしい娘たちを、粗末に扱うんじゃねぇえ!」


 伸治さんは喉を枯らす勢いで声を張り上げた。その目にはうっすらと涙が浮かんでいる。

 冷静に聞けば伸治さんが言っていることは無茶苦茶だし、ツッコミどころはいくらでもあると思う。だけど、最後に人の心を動かすのは感情なんだ。ずっと理屈で説得を試みようとしていた僕には出来ない芸当である。

 そして、それは想像以上に『彼女たち』の心に響いたみたいだった。

「ごめん……っ! ごめんなさい……っ! 私、自分が我慢すれば……家族が少しでも楽になるんじゃないかって思って……っ!」

「バカ……っ! それで紗希が傷ついてたら何の意味もないでしょっ……!」

 父の言葉を受けて、姉妹の目からはポロポロと雫が溢れている。

 誰よりも家族を想っていた二人だ。家族の心からの叫びが響かないわけがない。

「汐莉お前が言うな! お前だって大概なんだからな!」

「それはごめん……なさい」

「ったく、お前はすぐに突っ走りすぎなんだよ。ほんと誰に似たんだが……」

「……汐莉のそれは間違いなくパパ譲りでしょ」

「え、それはない、絶対にない!」

「ちょい待て、その反応はパパも傷ついちゃうぞ!」

 この家族は泣いたり、笑ったり、怒ったり、感情の起伏が激しい。

 だけど、それは今現在を真剣に生きている証明であり、目の前の出来事に対して一生懸命になれる伊東家が僕には眩しかったんだ。

 まぁ、これで一件落着といったところだろうか。

 僕には何も出来なかったけど、この場に居合わせることが出来たのを光栄に思う。


 人間はいつだって孤独だ。他者と全く同じものを見ることはできない。

 友人や恋人なんてもちろんのこと、血を分けた家族だって結局は他者だ。

 

 ――――これは一つの真実だと思う。僕は他者が怖かった。

 それでも、伊東家と関わることで気付いた事実がある。完全な相互理解が不可能であったとしても、人と関わることを辞める理由にはならない。

 他者は自分じゃないから、そのことで傷つくことも沢山ある。

 だけど、他者が自分じゃないからこそ、完全な相互理解が不可能であるからこそ、目の前に広がる愛おしい光景を目にすることだって少なくはないんだと思う。

 でも、やっぱり他者は怖いし、嫌いな人間は沢山いる。人と関わるのは面倒だ。

 簡単にスタンスを変えられないくらいには、僕は屈折しているし、捻くれているし、やっぱり根本的には人嫌いなんだと思う。

 ……なんてことを考えるのは今ではないな。

 僕自身の身の振り方はこの先ゆっくり考えていけばいい。

 今は僕が望んだこの光景を眺めていよう。そう、眺めているだけで良い。

「――よし、じゃあ行くぞ、玲和!」

「……は?」

 そんな僕の内心とは裏腹に伸治さんが声を掛けてきた。

 考え事をしている間に、三人の中では何やら話が進んでいたみたいだ。

「え、なんですか? 行くってどこに?」

「こういう時は寿司に決まってるだろ! もちろん回るやつだが!」

「いや、それは家族水いらずで楽しんできてくださいよ……」

 せっかくの機会なんだし、僕みたいな部外者はいない方がいいだろう。

「ダメダメ! もう晴子にも拓也にも伝えてあるんだから! 玲和が来ないと俺が嘘ついたことになるだろう!」

 どうやら、晴子さんや拓也くんも合流するらしい。

 そうなるとより一層遠慮した方が良い気がするのだけれど……。

「ここまで首を突っ込んでおいて、今更他人面はどうかと思いますよ。今井さん」

 紗希さんがジト目で睨んでくる。

 問題は解決したが、先程まで僕に抱いていた感情は消えない。紗希さんは顔に笑顔こそ浮かべているけど、意趣返しをしてやろうという腹積もりが透けて見えた。

「それに汐莉との関係も気になりますし」

「いや、それは――」

 そこに関してはまだ冷戦状態というか、喧嘩中というか。伊東家の問題は解決したかもしれないが、僕と伊東個人の問題についてはまだ解決していなかった。

 僕は臆病だから、こんな時になんて声を掛ければいいのか分からない。

「紗希はすぐ調子乗らないの! 一応、あんたに言いたいことは沢山あるんだから!」

「……それを言われたら何も言えなくなるじゃん」

 姉の一言に紗希さんはシュンと縮こまってしまう。

 とりあえず助かったのか……? いや、問題が先送りされただけか……。

 相変わらず、彼女になんて言えばいいのか分からないし。

「今井もボーッとしてないで早く行くよ!」

 そんな風に逡巡していると伊東が僕の腕を引っ張った。

「ちょ、おい……!」

「アンタをここで置いていくほど恩知らずじゃないから! 積もる話はまた後で!」

 僕は「一人で歩ける!」と抵抗するが、伊東は「アンタが逃げないようにこうしてるの!」と腕を離さない。

 まるで、幼児が母親に連れられているような構図だ。

 ……けどまぁ仕方ないか。こういう時に、伊東がテコでも言うことを聞かないのは分かりきっていることだし。

 伊東家の面々と一緒に新宿の人混みをかき分けていく。

 大嫌いな人混み。やっぱり沢山の人間がいる場所は好かない。刻一刻と変化する人間模様が苦手だから。不安定で不明瞭な空間が性に合わないから。

 ――自分が一人であることが浮き彫りになってしまうから。

 だけど、誰かの熱を感じながら歩いている今この瞬間は、不思議とそんな孤独を忘れられるような気がした。例え仮初だとしてもこの熱は心地よい。

 それを教えてくれた彼女に対して、僕はしっかりと向き合わないといけない。

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