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「レオ、帰ろうよ」
「――え?」
そのまま一時間近く動けないでいた。いつの間にか園内は闇に包まれている。遊具のシルエットが暗闇に浮かび上がり、遠くの街灯の光だけが微かに公園を照らす。
そんな漆黒の世界で存在感を示す純白の星。もう見慣れてしまった天使の姿があった。
「……何でここが分かったんだ?」
「んー、愛のなせる技かなぁ」
天使はいつものように世迷言を口にする。
「寝言は寝て言え」
「ひどーい! こんな美少女が甲斐甲斐しく迎えにきてあげたのに!」
「どうせ腹が減ったからとかそういう理由だろ」
「あは、バレた?」
リオンはいたずらっ子のように笑う。
……その笑顔が辛い。リオンが見た目ほどアホじゃないことは分かっている。本当は僕のことを心配してくれているんだと思う。
「…………」
リオンに何もかも話してしまって楽になりたい。僕なりに頑張ったよ。
だけど、やっぱり人間ってのは難しい。
正直に白状しよう。僕は人間が嫌いなんじゃなくて、人間がたまらなく怖いんだ。
拒絶されるのが怖いから今日まで逃げてきた。相互理解なんて不可能。それが分かっていたのに僕は手を伸ばした。その結果がこれだ。案の定、拒絶された。
「ねぇ、レオ。私も手伝おうか?」
そんな僕の心を見透かして、リオンが慈愛の表情でそう提案した。
くそ……! よりにもよってこんなタイミングで天使らしい顔をしやがって。そんな顔をされてしまったら、逆に弱音なんて吐けなくなる。
「うるさい……。今朝、僕なら大丈夫って言ってくれただろ。だから手出しは無用だ。これは僕が解決すべき問題なんだから」
男って生き物は天邪鬼なんだ。「頑張らなくていいよ」「力を貸すよ」なんて言われたら意固地になる。それよりは「よくやったね」と褒められたい。
母親に褒められたい子供みたいなもんだ。いや、そのものなのかもしれない。
「そっか、レオは男の子だね」
「――いつもありがとな、リオン」
どこまでリオンの掌上かは分からないけど、踏ん張る力をもらえたのは確かだ。
「え、なになに~? もう一回言って~?」
「絶対に聞こえてただろ!」
「だってデレモードのレオって希少だし~」
「デレてないっての、ったく」
僕は立ち上がる。大丈夫、ちゃんと足は動く。だから前に進まないと。
ちょっと友達と喧嘩したくらいがなんだ。しつこくて図太いのが僕の取り柄だろ。
「レオ」
「……なんだよ?」
「頑張りなさいよ!」
「痛っ!」
思いきり背中を叩かれた。ヒリヒリとした痛みが遅れてやってくる。
「急に何を――」
「イタタ……」
抗議しようと思ったのだが、叩いた側の天使が涙目だった。
……ちょっとは手加減しろよ。そんな強くしなくてもちゃんと伝わったっての。
「なぁ、リオン。夕飯、なんかリクエストあるか? 何でもいいぞ」
仕方ない。今日くらいはどんな無茶な要望にも答えてやろう。
この天使に借りを作ったままにしていたら、後から何を要求されるのか分かったものじゃないからな。
「えーじゃあ、黒毛和牛のステーキ!」
「…………殴ってもいいか?」
やっぱり、この天使は見た目通りのアホです。ちょっと気を許したらこれだからな。
だけど、僕はそんなアホ天使のことが嫌いではなかった。
***
日曜日。あたしはまた新宿にいた。
言わずもがな紗希の跡をつけてきた結果である。説得が失敗した月曜日からずっと様子を伺っていたのだが、今週はあの子も目立った動きは避けていた。
しかし、今朝は何やらバタバタと準備をしており、これはおそらくそうだろうとバイトのシフトを代わってもらうことにしたのだ。結果はこの通りだった。
今日も紗希はお金をもらうために男とデートをするのだろう。
……だけど、それも今日で終わりだ。あたしが紗希の身代わりになる。幸い、姉妹で顔も似ている方だし(あたしの方が目つきが鋭いけど、これはパパのせいだ)。
相手の男も納得してくれるはず、いや絶対に納得させる。それにあたしには切り札がある。
あたしであれば紗希以上の行為もできると伝えればいいのだから。そうすれば相手の男も目の色を変えて応じるはずだ。
なんてことを考えていたら、あいつの顔が浮かんでいきた。
「……今井は関係ない」
あれから一度も話していない。……正確にはあたしの方が逃げていた、というのが正しい。
今井は何度もしつこく声を掛けてきた。
本当にめんどくさいやつ。こんな可愛げのないやつ放っておけばいいのに。
最後にあんな突き放すようなこと言ってさ、恩知らずだよあたし。
かと言って、あの時の言葉が全てが嘘偽りというわけではない。どうして今井がここまであたしやあたしの家族と関わろうとするのか納得のいく答えは聞けてないし、裏ではやましいことを考えているんじゃないかという猜疑心も拭えなかった。
――――結論、あたしは今井という存在を失うのが怖かったのだ。
だから失ってしまう前に自分から手放した。これ以上あいつに惹かれてしまったら、もう元には戻れない気がしたから。
今ならまだ引き返せる。温もりに慣れてしまったら寒空の下では生きていけない。
あいつに頼って、頼り切って、あいつ無しでは何もできなくなって、そこから突き放されたもう立ち直れない。
怖いよ、相手が何を考えているか分からないのは。何を見ているのか分からないのは。
……ねぇ、神様。人間は互いに理解し合うことなんてできるの?
あたしは家族、妹の気持ちすら理解できないで独りよがりに生きていたのにさ。
「やめよう。今はとにかく目の前のことに集中」
紗希は新宿駅の東口で誰かを待っている。十中八九、パパ活の相手だ。
本音を言えば、お金を払って女子高生とデートしている男なんて引っ叩いてやりたい。誘った紗希がもちろん一番悪いんだけど、相手も相手だと思う。
でも、そんな気持ち悪い人間をこれから相手にしなくてはいけない。
出来るのか、あたしに。ううん、そんな弱気でどうする。やるんだ。紗希を助ける、絶対に。
「……きた」
顔は見えないが、一人の男が紗希にぐんぐんと近付いていく。
あたしは駆け出していた。これ以上、妹に道を踏みはずさせない……!
「あの、すみません! ――って、え?」
男の顔を見て驚きを隠せない。見覚えがあるどころの話じゃなかった。
中性的で整った顔。顔だけで言えば学年でも屈指のレベル。だけど、あたしはそれが見掛け倒しであることを知っている。
何ならつい数分前までそいつのことを考えていたくらいだ。
「な、なんで汐莉まで!? 二人揃ってまた付けてたの!?」
「やっぱり、伊東も来ていたか。予定通りだな。……ということで、まずは紗希さん。僕がやり取りしていた『カオル』です。騙してごめんね」
紗希と待ち合わせていた人物。
それは一番顔を合わせたくない男、今井玲和だった。




