3-2
この間はなんかごめんな。
お詫びも兼ねてなんだが、部活終わりうちに寄って行かないか?
ちょっと聞きたいことがあって、久しぶりに一緒にご飯でも食べながらさ。
メールで七香に連絡を入れる。
昼休みに送ったメールにはすぐ返信が来た。
分かった、行く! ただ一旦うちに寄るから遅くなるかも……!
それから一回二回とメールの往復をして、七香との約束を取り付けることができた。
家に帰ってからは大忙しだ。やかましい天使には母の部屋に引っ込んでもらい、久しぶりに気合を入れて料理の仕込みをする。
七香の好物はオムライス。昔は母が作ったものを二人仲良く食べていた。
チキンライスの上に乗った卵を割ると、中からトロッとした半熟卵が溢れ出てくる。それを七香と肩を並べて、目を輝かせながら眺めていたのが懐かしい。
母のクオリティーには到底及ばないけど、少し気まずくなってしまった従妹との距離を縮めるために、あの半熟卵を何としても再現したかった。
失敗してもいいように卵を沢山買い込んだ。
今は卵が値上がりしているのでだいぶ財布が痛んだが、これも七香のためだと割り切った。失敗作は天使にでも食べさせればいい。
「フライパンの上でトントンするのが難しいんだよな……」
「くそ、うまくひっくり返せない!」
結果として、大量のスクランブルエッグが出来上がる。上から卵を乗っけるのは断念して、チキライスを卵の中に包み込むレシピがあったので、そちらを採用することにした。
オムライスの道は険しい。
付け焼き刃で何とかなるような料理ではないな。もっと修行しないと。
――ピンポーン。
程なくして自宅のインターフォンが鳴らされる。
ディスプレイに映し出されるのはもちろん七香の姿だ。エントランスの扉を開けて、しばらくすると再びインターフォンが鳴る。
「この間ぶり、だな」
「……うん、そうだね」
自宅に七香を迎え入れる。この間みたいな失敗はもうしない。
愚直に行け、僕。一旦は自分のことを棚に上げろ。七香を楽しませるんだ。
「あれ、今日は髪下ろしてるんだな」
「それはその、お風呂に入ってきたから……!」
「え、そうなのか。一旦風呂に入ったのに外出させてしまって申し訳ないな」
髪が少し濡れているのもそのせいか。
あとはシャンプーの匂いなのか、七香が動く度に甘い匂いがフワッと香る。
「ぜ、全然! 汗掻いたままだと恥ずかしいし!」
「わざわざありがとうな。立ち話も何だし上がってくれ」
「う、うん! お邪魔します!」
僕の後をテクテクと付いてくる七香。なんだか昔に戻ったような気分だ。この間のような重苦しい空気にもならず、心なしか七香の表情も明るく見える。
「えと、それで聞きたいことって……?」
「その話はご飯食べながらにしよう、ちょっと待ってな」
キッチンに向かい冷蔵庫から卵を取り出す。先程までの練習の成果を活かして手際よく卵をフライパンで焼く。
チキンライスは電子レンジで温めればいいが半熟卵はそうもいかない。出来立てのものを食べて欲しかったので、この工程だけは七香が来たタイミングでやると決めていた。
自分の分はさっきうまく行ったものをレンジでチンすれば完成。
「あ、オムライス……?」
「七香、好きだったろ?」
勇気を出して名前を呼び捨てにする。
昔の愛称では流石に呼べないけど。それは絶対に僕が許すことが出来ないけど。それでも七香を悲しませない為にも、これが最低ラインだと思ったから。
「……覚えててくれたんだ」
はにかんで笑う七香を見て、僕の心は温かい気持ちになった。
それと同時に自罰的な自分が顔を出したが必死に抑える。今は自重しろ。後でいくらでも自己嫌悪には付き合ってやるから。
「お待たせ」
七香の前にオムライスを置く。ケチャップはお好みで。
「うわぁ、すごい! 料理上手になったんだね、お兄――あ」
「……好きに呼んでくれればいいよ」
「う、うん。分かった。でもこの年になるとちょっと恥ずかしいよね」
「かもな」
僕と七香は目を合わせて笑った。
それからオムライスを食べながら学校や部活の話をする。まだ少しぎこちない。それでも前回と比べれば、七香が笑ってくれる回数も増えた。
ちなみにオムライスのクオリティーは自分的には六○点くらい。七香は美味しいと言ってくれたが、母の作るものとの差はまだまだ大きかった。
「あ、そうだ。そろそろ私に聞きたかったって話を教えてよ」
少し砕けた口調で七香がそう提言してくれる。
いけない、忘れるとこだった。
「だな。えーと、僕のクラスに『伊東汐莉』って奴がいるんだが知ってるよな?」
「え、あ、うん! 汐莉先輩! 中学ではソフトボール部のキャプテンだった……」
「まじか、その情報は初耳だ」
市内でもC中のソフトボール部は強豪で有名だった。そこのキャプテンともなれば、かなりの実力者ってことになると思うが今はその片鱗もない。
帰宅部でアルバイター。ソフトボールへの熱は冷めてしまったのだろうか。
「……なんで急に汐莉先輩の話?」
「いや、正確にはその妹の話なんだが」
「ってことは、紗希ちゃん!? ますます話が見えてこないんだけど……」
「実はな。伊東の妹さんが――」
掻い摘んでこの間の出来事について話をする。
「そう……なんだ。確かにそれは心配だね。紗希ちゃんって中学の時から真面目な子だったし、帰りが遅くなると家族が心配するからって遅くまで遊ぶことも少なかったよ」
「そこも伊東から聞いていた通りだ。それでなんだが高校は違うかもしれないけど、七香の方で何か知っていたりはしないか?」
「うーん、学校変わってからはあんまり……。あ、でもインスタの裏垢は繋がってるよ」
「インスタの裏垢?」
何だそれは。アカウントに表とか裏とかあるのか。
「あぁ、お兄ちゃんはそういうの疎そうだもんね……」
「ちょっと小馬鹿にしてないか?」
「いやいや! そんなことないって! むしろインスタとかSNSガッツリやる男の人より、私的には好感度高いよ!」
これくらいの冗談は言える。場が和んでいる証拠だ。
「すまんすまん、話の腰を折ってしまった。それで裏垢ってのは何なんだ?」
「今時の若者……って私もそうなんだけど、アカウントは複数持つのが基本なんだよね。中学の友達用、高校の友達用、あとは仲良い友達用、より仲良い友達用みたいな使い方」
よく分からない世界である。
SNSをやらない僕からすると面倒だな、と率直に思う。
「なるほどな。メリットは分からないが、公開する自分の情報にグラデーションをつけているというか、見える人間を管理しているってことか」
「そうそう。人によってはサブ垢とか趣味垢とか呼んだりするから定義も曖昧なんだけどね。紗希ちゃんはリアルで遊ぶ友達用にアカウントを別で持ってる感じ」
「最近そのアカウントで変わった投稿とかは見なかったか?」
「えーと、そうだね……。そういえば最近、都内で遊んだ写真とかストーリーが上がることが多いかもしれない、かな」
「ちなみに、場所とか分かったりするか?」
「えーと、位置情報を調べてみるね――あ、四月に投稿された写真は全部『新宿』にあるカフェの写真だね」
「…………新宿か」
高校生が遊ぶ街としてそこまで違和感はない。池袋や渋谷と並ぶ三大副都心の一つだし、この辺の最寄駅からだと四○分程度あればアクセスすることができる。
だが、歌舞伎町の近くはやはりいいイメージがないし、『トー横キッズ』なんて言葉が生まれるくらい若者のトラブルは年々件数も増えていると聞く。
「高校生になってからはまだないけど、私も中学の時とかに新宿へ行くことはあったし、別にそこまで心配することもないと思うよ……? 紗希ちゃんは本当に真面目だから」
「うん、そうだな。補導されるような時間まで出歩いているわけでもなさそうだし。ありがとう、一旦情報の一つとして頭に入れておくよ」
「うん、少しでも役に立てたならよかった!」
すっかり砕けた口調になった七香は自然な笑顔で応じた。
ちらりと時計を見ると、時刻は間も無く二十一時に差し掛かろうとしている。明日も学校があるしそろそろお開きだな。
「七香、今日はもう遅いしこれまでにしよう。家まで送るよ」
「ううん! 自転車だから大丈夫だよ! だけど、あのね。一つだけいい?」
「……どうした?」
「また、遊びに来てもいい?」
七香は薄氷を踏むようにビクビクしながら、こちらを盗み見るようにして言葉を発した。
こんな風に七香に気を使わせてしまっている自分自身に吐き気を覚えるが、こうして勇気を振り絞ってくれた彼女が報われなければ嘘だ。
「もちろん」
だから、ちゃんと言葉にすることができた。
まだ自分のことを許せないけど、確実に一歩を踏み出せたと思う。僕の言葉を受けて、七香の表情が明るいものへと変わっていく。
――ガチャリ。
そんな雪解けの兆しを嘲笑うように、最悪なタイミングで、僕がこの世で一番忌避する人物が顔を覗かせた。
「すまない、お客さんがいるとは思わなくて……」
くそ、なんで今日に限ってインターフォンを鳴らさない。あぁ、本当に僕を苛立たせるのが上手だな、この男は。
「ご、ご無沙汰してます、七香です! お邪魔してます!」
ヤツの姿を確認すると、七香は居住まいを正して恭しく頭を下げた。
その七香の反応を含めて僕をイライラさせる。いや、七香は決して悪くないんだ。むしろ七香の反応は正常だろう。義理の伯父に挨拶をする礼儀正しい姪の姿だ。
「あ、あぁ、七香さん久しぶり……」
相変わらずボソボソと人を不快にさせるような喋り方をしている。自分の半分がこの男によって構成されていると思うと吐き気を催す。
何故こんなのが女の家に転がり込めるのか理解に苦しむ。
「伯父さんもお元気そうでよかったです……!」
気まずい空気を察して、七香が必死に場を繋ごうとしてくれる。お客さんである七香にこんな役割を押し付けてしまって申し訳ない。
「…………」
僕はヤツと目を合わせない。ただ早く消えてくれと祈る。
「あはは、お陰様でね。……うん、タイミングが悪くて申し訳ない。私は出ていくから後は二人でゆっくり」
祈りが通じた。いや、というよりは奴が逃げただけか。これもいつものことだ。
この男はずっと逃げ続けている、母が死んだあの日から。
ふと、伊東家の団欒が思い出される。どうしてこんなに差があるんだろうな。あんなに温かい家庭がある一方で、こんな風に終わっている家庭もある。
「いえ、私もちょうど帰るところで……! だから、本当に……!」
七香からしてみれば、自分のせいで家主を追い出してしまうという状況だ。必死に弁解をするのだがヤツは聞く耳を持たない。
「大丈夫大丈夫。それじゃあ、私は行くから。いつでも遠慮なく遊びに来てくれていいからね、七香さん。あ、それと――すまんな、玲和。インターフォン、鳴らせばよかったな」
「…………自分の家だろ、好きにしろよ」
目は合わせず端的に答える。一応は保護者であるので、この男と会話をしないで生活をするというのは難しかった。最低限のコミュニケーションは取らざるを得ない。非常に悔しいが、養ってもらっている立場なのは間違いないのだから。
「それも、そうだな。……あ、生活費は大丈夫そうか?」
「問題ない。今月の出費内訳もあとで報告する」
形骸化しているが、毎月の支出をこの男に伝えている。僕のお金ではないのだから、使途は明確にしなければ。
しかし、この男はそれを確認していないようで毎月一定額が振り込まれる。
余った分はプールしているので貯金もあるのだが、ここにきてリオンの食費が加わったのが痛手ではあった。正直、余裕はない。
それでもこの男に弱みを見せたくない。これ以上、世話になる気はない。
「あ、あぁ、分かった。それ、じゃあ……。七香さんも、また」
「は、はい!」
ヤツは場を掻き乱すだけ掻き乱して逃げるように家を出ていった。
せっかく和んだ空気も台無しとなり、僕と七香の間には気まずい沈黙が流れる。
「――おじさんとは、まだ?」
「大丈夫。七香は気にしなくていいから」
七香が捻り出してくれた言葉に飛びつくように反応する。
だけど、問いそのものに対してははぐらかすことしか出来なかった。
「……っ! 私、帰るね!」
七香は悲しそうな表情を浮かべると、こちらを振り返ることなく玄関を飛び出した。
壁を作るような態度が透けてしまったのだろう。
せっかく、七香が心を開きかけてくれていたというのに。これじゃあ、前までの僕に逆戻りだ。
「クソが!」
やり場のない怒りだけが残った。




