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【8作目】人間嫌いだからって、天使が好きなわけじゃない  作者: あぱ山あぱ太朗
一章 人間嫌いボッチと天使の落とし物
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1-1

 僕は人間が嫌いだ。

 あんな不合理で不条理な生き物は他にいない。

 自分だって人間じゃないか、そういった揚げ足を取るのはやめてくれ。直接言ってこようものなら空手初段の拳が飛んでくると覚悟してほしい。

 とにかく、僕は人間が嫌いだ。関わりを持ちたくない。

 だから、僕・今井玲和(いまいれお)はクラスでも孤高の存在として君臨している。孤高の存在であって、決して孤立しているとかそういう事じゃない。

 あ・え・て、一人でいることを選んでいるのだ。

 二年生になって二週間が経過したが、今日も今日とてクラスの連中とは一言も口を聞いていない。放課後はさっさと荷物をまとめ、息苦しい箱庭をいの一番に飛び出す。

 それからは至福の時間だ。チェーン店のカフェで文庫本を開く。

 本当は隠れ家的なカフェに行ってみたいけど、そういうところは人間同士のコミュニケーションが発生しそうなので敬遠している。

 今読んでいるのは、ドストエフスキーの『地下室の手記』という中編小説だ。理屈っぽくて自意識過剰な主人公が世に対する不満を滔々と述べている。

 精神的な自傷行為、と言い表せばよいのだろうか。

 自分の至らぬ点を書き連ねている一方で、「ここまで考えている自分ってすごくね?」というナルシズムのようなものが見え隠れする。


 ――――まるで、僕みたいだった。


 何だか気分が悪くなって、今日の読書タイムはお開きとする。

「ありがとうございましたー!」

 店員さんの営業スマイルを背に受けながら静かに店を出た。

 外に出ると春風がそっと舞い込んでくる。

 桜の花びらが風に乗って揺れる、あぁ春の息吹を感じる……なんてことはない。

 今年の桜はすでに散っており、舞い上がるのはスギ花粉くらいだ。僕はムズムズとする鼻頭を掻いて、ふらりと自宅までの帰路を歩き出す。

 十六年間、過ごした街。

 変わり映えなしない風景。それは僕にとって安寧の象徴だった。

 だから、いつもの道を無感情に進んでいく。

 朝に弱いので行きは電車を利用しているが、帰りは電車を使わずに二駅分の距離を徒歩で帰宅する。せいぜい三〇分くらい、苦ではない。

 とにかく電車が嫌いだった。あそこには沢山の人間がいる。

 人間模様は刻一刻と変化していく。そんな不安定で不明瞭な空間には身を置きたくない。

 お気に入りの音楽、合わせることのない歩幅、僕の世界は完成している。

 気がつくと一駅分……ちょうど半分の距離を歩いていた。高校の最寄り駅、自宅の最寄り駅、その間に位置する県営公園の最寄り駅が見えてくる。

 時刻は一九時。この時間の公園は人通りがなくて心地が良い。

 ありふれた景色、見慣れた光景、そんな中――許容できない違和があった。


「え……?」


 園内に設えられたベンチに『天使』が居座っている。

 頭上には金色の輪っか、背中には純白の大きな翼、ガラス細工のように精彩な青い瞳、均整の取れた鼻、薄く淡い唇、陶器の肌、愛くるしい小柄な体躯、潔癖症のように白く透き通った肩紐ワンピース姿の少女は、西洋絵画で描かれる天使そのものだった。

 唯一の違いは、髪色がブロンドではないことくらいだろうか。

 しかし、光の反射で群青色にも映る艶やかな黒髪は、彼女が非凡な存在であることをありありと語っていた。長い 髪は街灯に照らされて宝石のように煌めいている。

 ただ美しい。心を奪われる、そんな表現が相応しい。

 圧倒的な美を前にして、人という矮小な存在は無力だった。

 しばらく放心状態となって、眼前の見目麗しい天使を見つめてしまう。

 だが、その行動が間違っていたのだ。

 揺らぎない穏やかな日々を求めるのであれば、直ちにこの場から離れるべきだった。


「あなた、私のこと見えてるでしょ!」


 その天使が話し掛けてきた。

 コイツと喋ってはいけない。そう本能が訴えている。絶対、間違いなく、百パーセント、面倒なことになる未来しか見えなかった。

 天使のことを無視して、そそくさと帰路を歩き始める。

 触らぬ神に祟りなし。この場合は天使か。

「無視しないで! ねぇ、ってば!」

 声は遠ざかることなく一定の距離感を保って耳朶を打つ。

 天使が跡をつけていることが分かった。

 僕はいつもの歩幅を崩して、駆け足で厄介事から逃げようとする。

「聞こえてるよね!?」

 逃げる。


「お願いだから待ってよ!」

 とにかく逃げる。


「ちょっと頼みたいことがあるんだけど!」

 全力で走った。


「ぜぇ……はぁ……」

 息を切らしながらも自宅マンションのエントランスにたどり着いた。なんとか焦る気持ち抑えて、オートロック操作板で玄関ドアの解錠を行なう。

 ドアが開いたところで、恐る恐る後方を確認すると――ヤツがいた。

「はぁはぁ……。ま、待ってよ……。だから……さ」

「……っ!」

 一体何なんだよ、コイツは!

 そう口に出したいのは山々だが、この天使と口を利いたらおしまいだ。

 一階に到着していたエレベーターに乗り込んで、自宅がある五階のパネルを点灯させた後は無我夢中で『閉』ボタンを連打し続ける。

 鈍い音を立てエレベーターが上昇したのを確認し、ホッっと息を吐き出した。

「はぁ、くそ……! ここまで来たらもう大丈夫だろ……!」

 エレベーターの扉が開く。五階のフロアに降り立って、すぐさま周囲を確認する。

 ………よし、アイツの姿はない。

 全力ダッシュで自宅・五○五室の前に辿り着き、努めて冷静に鍵を解錠した。

 扉を開いてすぐに閉める。鍵を施錠し、念の為ドアチェーンも掛ける。

「助かった……」

 玄関の壁に寄り掛かりながらズルズルと尻もちをつく。

 とりあえず一安心だ。必死に喘いで空気を肺に送り込み、少しずつ呼吸を整える。

「何だよ、あれ。完全にライトノベルの世界だろ」

 天使と出会った。

 こんなのはもっぱら比喩で用いられる表現であって、本物の天使と遭遇するなんていうのは一般文芸では基本想定されていない。

 こういうイベントは、退屈な日常に飽き飽きしている厨二病男子の前に起こればいい。

 僕にはこの平凡な日常で構わないんだ。巻き込まないでほしい。


「ねぇ、どこにいるのぉ?」

「ひぃ!」


 口から情けない声が漏れる。間違いない、扉の向こう側にアイツがいる。

 くそっ、それもそうか。

 エレベーターの停止階から、何階に移動したのかは容易に推察できてしまう。

「隠れても無駄だからねぇ?」

 徐々にアイツの声が近づいてくる。

「だ、大丈夫! 部屋までは特定できないはずだ……!」

 それに、だ。仮に特定できたからってどうだって言うんだ。

 鍵はしっかり閉まっている。何も問題がない。


「みぃつけた……!」


 ――――頭上から声が聞こえた。

 う、嘘だよな? で、でも、確認しないわけにはいかない!

 僕は、ゆっくりと、顔を上げる。


 不敵な笑みを浮かべるアイツの顔があった。


「ぎゃあああああああああああ!!」

 そんなのってありかよ! 何だよ、このトンデモ現象は!

 玄関ドアをすり抜けて、天使は首から上だけをこちらに覗かせていた。

「ゼーッタイ、逃さないんだから」

 いよいよ身体全体がドアをすり抜けてこちら側にやってくる。

「な、何なんだよ! 面倒事に僕を巻き込むな!」

 恐怖の次に湧き出た感情は怒りだった。

 僕は何もしていない。害も与えていない。少し見ていただけで因縁をつけてくるとか、柄の悪いヤンキーかよ。ふざけるな。

「だって、私はあなたに――」

「……僕に?」

 天使は虚な目で何かを言葉にしようとする。

 僕とコイツに関係なんてないはず、生憎と天使の知り合いなんていない。

「――お腹へった」

「って、おい!」

 不法侵入者は、その場にバタンと倒れてしまった。

 グーっと間抜けな音が室内に響き渡る。

「そもそも天使って飯食うのかよ……」

 現実から目を背けるため、僕はただ呆然と天を仰いだ。

 その先にあるのは神や天使がいる天界などではなく、見慣れた自宅の天井だった。

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