表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/3

悪いところが見つからない

私が新型コロナに罹患したのは、2022年のクリスマス前……世間では第8波と呼ばれる期間でした。まず幼稚園児の娘が最初に発症、それが私と夫にうつりました。よくある家庭内感染です。


症状が出始めて抗原検査が陰性になるまでの期間、私は軽症でした。喉は痛くないし咳も出ない、頭痛は半日ほど。熱だけは37.5℃あたりで経過していましたが、ひと晩だけものすごい悪寒と共に39.1℃に上がりました。それでもX(旧Twitter)では40℃を超える体温計の画像をちらほら見かけるので、数値としてはものすごく高いわけではなかったかも知れません。

発熱のわりに元気に過ごしている娘の相手もできたし、必要最低限の家事もしました。しんどくて寝込むとか動けないとか、そんなことはありませんでした。一緒に罹患した夫の方が、寒気と発熱で布団から出られない状態が続いていました。



療養を始めて5日目くらいだったでしょうか。

朝、みかんをテーブルに置いて腰を下ろしたところで突然に息が出来なくなりました。心臓が変なリズムでドクドクと音を立て、何が起きているのか理解する間もなく体が傾いていきました。

その時はたしか、驚いて大きな声で私を呼んだ夫の膝から犬が飛び降り、そのそばでミカンを食べていた娘が動きを止めてポカンとした顔をしていた気がします。


気がついたら娘が私の手を握ってくれていて、夫が救急車を手配してくれていました。娘は状況がよく分からないながらも、小さな手で私の手をさすってくれたりして。それがすごく温かい子どもの手で、もしかしてお別れなのかも知れない、なんて考えが脳裏に浮かんでしまった私は必死に娘の手を握りました。

ここだけはすごくクリアに覚えてるんですよね……。

小さな手を握り返した時には息はできていたし、苦しいというよりは心臓が変な感じ……でも、こうやって死んでいくのか、と妙に冷静な自分もいて。走馬灯は見えなかったけど、娘のこれからの成長に一瞬で想いを馳せました。そばにいたいのに、って。

せめて怖い顔を記憶に残してなるものか、なんて変な方に頑張ってしまった。娘はきっと、ママがニコニコしながらギュッと手を握るものだから痛かっただろうなぁ……。


そうしてなんとか救急隊の方が30分ほどかけて病院を探して下さり、私は軽症者専用の病院に入院することができました。これは本当に運が良かったです。

当時は第8波真っ只中。首都圏では医療が崩壊していて救急車が搬送先を見つけられず、病院の救急入口に列を作って順番を待つ状況……というニュースを見た記憶がありますが、私の住む地域ではコロナ病床はまだ数に余裕がありました。

それでも基本は自宅療養。私も入院した日に諸々の検査と点滴をしてもらい、翌日に再度血液検査をして退院という流れになりました。

その時に実施された検査は、


・胸部レントゲン

・上半身と頭部のCT

・血液検査


でした。

ちなみに医師からは、脱水気味ではあるものの治療が必要な悪いところは見つからなかった、と言われました。ちゃんと休んだら良くなるよ、と。

看護師さんからは、検査しても結果に反映されない体調不良が残る人も結構いるのよ。後遺症って言うんだけど……。

そこではじめて、後遺症という言葉が現実味を持ちました。

聞いたことがある程度のどこか遠い言葉だったものが、あぁ、本当にあるんだ、と。


呼吸器や心臓、脳には悪いところは見当たらない、という言葉をいただいて少しほっとした私は、翌日、無事に退院しました。病室から歩いて行って、自分で車に乗り込むことができました。座っていられたし、家族と会話もできました。きっと後遺症にはなってない。そう思いました。


そして引き続き自宅での療養に入りました。あとは体力が戻れば、きっと元の体に戻れると思っていました。ところが、どういうわけか転がり落ちるように症状が酷くなっていったのです。





体を起こして、娘の頭を撫でただけで息が上がって苦しくなりました。少し話すだけで息が切れました。食べ物を口に運ぶことも、ペットボトルを持ち上げて飲むことも、何をするにも苦しい思いをしました。

特に辛かったのは食事とトイレに行く時でした。起き上がるだけで酸素濃度が97%を切り、心拍数は130。息が切れて、噛めない飲み込めない歩けない……

どうしてだろう。病院では異常なし、多少は食べられていたし酸素濃度や心拍数も問題なかった。なぜ?

天井を眺めながら考えていました。そうして、ひと晩中繋がっていた点滴を思い出しました。もしかして点滴が切れたから、誤魔化されていた不調が出てきてるのかも知れないと思い至りました。


とにかく点滴の代わりになるものを摂ってみよう。経口補水液や果物、ゼリー飲料。ところが必要なものは分かるのに、口に入れて咀嚼して飲み込むことができません。お腹は空くのに、入らない。喉に蓋がついて動かないような感じでした。


体調が上向きになる兆しも希望もなく、何日かが過ぎていきました。正直なところ、このあたりの記憶は曖昧です。ただトイレに行くのが本当に辛くて辛くて、介護用おむつを履いていたのは覚えています。不思議なことに、どれだけ差し迫っていても無意識に羞恥心が隙のない仕事をしていたのか、おむつは上手く活用できませんでした。ただお風呂に入れないまま2週間近く過ごしていたので、履いたものを捨てれば良いおむつ生活は気分が楽でした。




このあと、私はもう一度お世話になった病院に入院して診ていただくことになります。そしてやっぱり、「悪いところはありません」と言われてしまうのでした。

おまけに「PCR検査陰性でした。あなたはもう新型コロナの患者ではありません。ここでは治療できない」とまで。


確かに体のあちこちはおかしいのに、データを見る限りは健康そのもの。長いこと食べられない生活をしているせいで血液検査には引っかかるけれど、それも数日で良くなる見込み。


それじゃあ、私のこの苦しさの正体は一体なんなの。

何が原因で何をすれば良くなるの。

どこの病院に行けば診てもらえるの。




新型コロナ患者でなくなった私は、スマホを頼りに自己流でなんとかすることにしました。

そして同じように後遺症外来が通える場所にない、そもそも出歩ける状態にない、といった人達が大勢いることを知ったのです。

真っ暗だった目の前が、ほんの少し明るくなった瞬間でした。

病床が常に埋まっている、目の回るような忙しい状況の時に看護して下さった看護師さん達には感謝の気持ちしかありません。医師の先生にも。

5類に移行して医療現場の様子がほとんど知らされませんが、もう何年も気が休まらない医療関係者の方も多いと想像します。病院のお世話にならないよう気をつけるくらいのことしか出来ませんが、みなさんご自愛下さい。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ