木っ端怪談 囁き②
百鬼夜行は終結した。
三大社の神々が奔走し、哀れな神だったものはその動きを止めた。日常は帰ってきた。生き残ってしまった者は、日常に戻る責務があるのだ。
「はい、これであたしの三十三連勝」
卯月神社の入り口、鳥居の下で木っ端怪談の正直目有とかぞえがおはじきをして遊んでいた。盤面を見る限り、目有がボロ負けしているのは明らかだった。
「ズルですぞ。絶対ズルですぞ」
「言いがかりはよしな。これでもおはじきだけは誰にも負けたことがないのさ」
駄々をこねる目有とそれをあしらうかぞえの手にはお酒が握られている。まだお天道様が高々とふたりを照らしている昼間から飲んだくれているのだから、とんだ怠け者である。神使のリーダー格でもある樂に見つかろうものなら怒号が響き渡るだろう。
「でも、そろそろ飽きたね」
「そうでありますねえ」
だが、ふたりの顔が決して明るくはなかった。
周りを見渡してもふたりだけ。木っ端怪談と呼ばれる連中のほとんどが百鬼夜行の事後処理には追われている。しかしふたりの顔、ひとりは顔などないが、がどうにも暗い理由は別にある。
「あいつら、結局帰ってこなかったね」
「逃げたのならそれもよし。むしろそうであって欲しいものでありますな」
木っ端怪談どもは皆が知っての通り力が弱い。百鬼夜行で現れた凶悪な面々はいずれも強い妖であった。もし対峙すればひとたまりもないだろう。
幾人かは死ぬことを恐れて出奔したと聞いたが、数が少なくなった原因は決してそれだけではない。
「キャン!」
小さい叫び声が聞こえた後、目有とかぞえの間にひとりの神使が落ちてきた。
神使の名前は仔犬丸。木っ端怪談ではないものの、彼らと親交を深くするものである。
「仔犬丸!? あんた、どうしたのさ!」
かぞえが咄嗟に仔犬丸を抱き上げる。彼女は手酷く傷ついていた。ふたりのところへ落ちてきたのも敵によって吹き飛ばされたのだと容易に想像がつく。
仔犬丸は虚ろな表情で、敵の方向を視線で指し示す。確かにそちらの方向から足音が近づいてるのが聞こえた。一歩、また一歩と歩みを進めるたびに足音は地響きを立て大きくなっていく。強大ななにかが近づいてくるのを肌で感じ取り、かぞえと目有は金縛りにあったかのように動けなくなった。
「……俺は帰ってきたぞ」
そう呟いた存在は禍々しかった。全身を鎧で包み、手には身の程もある太刀。面を被り、わずかな隙間から見えるのは鋭い眼光。だが、それ以上にその者を禍々しくする所以は、その身体を包む黒い霧であろう。
「おや、蜻蛉殿ではありませぬか」
本来なら逃げるか隠れるかの二択しか持ち合わせない目有が率先して前に出る。
もちろん単なる無謀ではない。目有が禍々しき者の名前を知っての通り、彼らは旧知の仲であったからだ。
「目有か」
「最近姿を見せないものですから心配しましたぞ」
木っ端怪談の蜻蛉。虫ではなく妖である。木っ端怪談に所属してる故、図体が大きいだけの力の弱い鬼であった。
だがそんな彼が、神使としての力があったとはいえ、今は迂闊に誰も近づけないまでに至っているのは目を疑う事態だ。
「お前に用はない。卯月様を出せ」
「まあまあ。まずは蜻蛉殿の生還を祝って一杯どうですかな」
そう言って目有は杯を突き出す。
そんな目有の考えは甘いに過ぎた。相手は禍々しい存在になっているだけではなく、同胞である仔犬丸を傷つけているのだ。それを古くからの仲間というだけで気を許してなどいけなかった。
「駄目だ……! 目有、離れろ……ッ!」
仔犬丸が命からがら絞り出した声に反応して、目有はその場に伏せる。
同時蜻蛉が持っていた太刀に黒い霧が集まると、彼は軽く一撃を振った。
空中を割いただけのように見えた一撃は、太刀からその衝撃波を解き放ち、『飛ぶ斬撃』として遠くの地面を斬りつけた。
「二度は言わん。卯月様を出せ」
誰も言葉を出せなかった。
あの弱小妖であった蜻蛉がここまでの力を持ったことを信じられずにいた。だが、それ以上に彼は仲間を傷つけるような神使ではなかったはずなのに、あまつさえ旧友の目有のその剣先を向けたことを受け入れられずいた。
「蜻蛉」
凍てつくような声。皆がその方向を見ると、無表情で佇む卯月神がいた。
かぞえが逃げるように進言するが、片手で自分は大丈夫と制止し、蜻蛉へと歩みを進める。
「まずはよく帰ってきたと、褒めるべきなのでしょうか」
「卯月様……。もったいなきお言葉」
蜻蛉は卯月神を前にして、その場で跪く。少なくとも彼の忠誠心は失われていないようだ。
境内で暴れた蜻蛉に冷たい視線を送る卯月神に、一切の怯えもなく彼は要件を述べる。
「俺に力をください。より強い力を得て、俺は悪害どもを根絶やしに」
「なりません」
「では、他の神使を幾人かお貸しいただきたく」
「なりません」
「俺に妖どもの討伐のご命令だけでも」
「なりません」
卯月神は蜻蛉の言葉のすべてを即座に否定する。何の躊躇もなく、ただただ淡々と。
「そうですか。ならば……」
「蜻蛉殿! それはならぬ!」
蜻蛉は一度収めた自らの刀に手をかけ、それを見た目有が制止に入る。
だが彼らの行動よりも早く卯月神の手が伸びていた。
「これは……!?」
淡い桃色の半透明の球体に包まれた蜻蛉は指一つ身動きできない。いわゆる結界というものを彼の周りにだけ発生させたのだろう。
彼は唯一視線だけを卯月神へ向け、先ほどまでの自らの願いを訴えかけている。
「しばらく頭を冷やしなさい。それでも、どうしても力を得たいというのなら、私の首を落としてからにしなさい」
そう言うと卯月神は一層の力をこめて、耳を塞ぎたくなるような轟音と共に半透明の球体ごと遠くの空へ蜻蛉を飛ばした。あっという間にその姿は小さくなり、やがて地平線の向こうへと消えていった。
残るは神使たちのざわつきのみ。騒ぎを聞きつけ神社にいた彼らが顔を出して、なにが起こったのかめいめいに話し合っている。
「目有」
「……なんでありましょう。卯月様」
「私が施した術は即席のもの。夜には再び彼は訪れるでしょう」
卯月神は顔を見せることなく、目有たちに背を向けて神社へ戻っていく。
「蜻蛉はあなたが終わらせなさい」
「お言葉ですが、卯月様。あなた様が先の場で殺せたのでは」
目有の疑問を発しても卯月神は足を止めない。しばらくの沈黙ののち、小さく、そしてあまりにも弱弱しく呟いた。
「私にはその資格がありません」
取り残されたるは弱小の木っ端怪談のふたりと、傷ついた仔犬丸。
旧友のあまりの変貌に目有はない頭を抱えるばかりであった。




