わるい王子とやさしい魔女(3/3)
——私は王子である。
私の父は鼠よろしく子をたくさんこしらえた鼠王改め三交代制の夜王であるし、祖父は素手で獅子と戦って死んだ獅子王である。曽祖父は愛犬を虎柄にして威張っていた小虎王であるし、その父は迷惑にも孔雀の羽をちぎって撒き散らした孔雀王である。そして、白鳥を妃に迎えた白鳥王がおり、その前に不老不死を希って消えたという不死鳥王がいる。いつの先祖かも分からないが、伝説の竜を倒す冒険の旅に出た竜王なんて王もいる。
そして今は私の兄が国王になっているらしい。
私の知りうる限り、彼は全く凡庸で普通の顔と普通の感覚をした常識人である。周囲は何ちゃら王と呼びたくてたまらないらしいが、今のところただの王様と呼ばれているらしい。このままいけば不名誉なあだ名をつけられない最初の王になるかもしれない。
「ねえ、あなたの兄が王になっている時点でもうフローは王子じゃないんじゃないの? 言うなら王弟よね」
なるほど、王弟。
ぽんと私は小さな吸盤のついた手を叩く。たしかにすでに王の子ではない。先王の子に王子と名乗る資格はないのだろうか。
なにやら王子よりも響きが良くないのですが大丈夫でしょうか。王子という響きは女性たちのウケが良い気がしますが、王弟はどうも王の足を引っ張ってほくそ笑む性悪な小物か、味方のふりをして敵国と通じているラスボスというイメージしかないのですが。
「なにその偏見」
アリスさま、私が王子で無くなっても私を見捨てないでくださいね。
「残念だけど、フローのことを王子だなんて思ったことがないわね」
ううう、アリスさまありがとうございます。私のことを王子ではなく一人の人間としてずっとお認めになってくださっていたなんて。私の肩書きが王子でなくなっても、どこまでもついてきてくださるのですね。
「そんなかえるの姿で一人の人間といえるあなたを、心の底から尊敬するわ」
そう呆れたように言ってから、アリスさまはくすりと笑った。そのうっとりとするような笑顔を見ているだけで、私は幸せでどきどきしてしまう。その白い肌やピンク色の唇にふれたくてたまらなくなり、私はぴょんぴょんと飛び上がる。
アリスさまー、そろそろお許しくださいー。人間の姿に戻していただけないでしょうか? もう勝手にアリスさまの下着を洗濯したりしませんからー。寝顔をこっそり絵画にしたり、着替えを覗いたり、干してある洗濯物をうっとり眺めたりもしませんからー!
「最後のは聞いてなかったけれど」
ええ、そうでしたでしょうか——きゃー、やめてー、ごめんなさいー。
足を掴まれて持ち上げられて、白い腹をぺろんと晒される。先祖に偉大な父王たちを持つ王子が、かえるのすがたで無防備にたるんだ腹をを晒されるなんて、末代までの恥である。
アリスさまー、人間に戻していただければ、アリスさまの観賞用に鍛えた美しい腹筋をお見せできますのにー。
「最近、かえるの姿でも腹筋してるのはそのせいなの?」
人間の姿であればそれなりに容姿に自信はあるのですが、できればかえるの姿でもアリスさまのお眼鏡にかなえばと。
「腹筋の割れたかえるなんて不気味すぎない?」
まさかまさかアリスさまはぽっちゃり体型がお好きなのでしょうか。それならば頑張ってカロリーを摂取してなるべく頑張って動かずにいますので、しばしお待ちを!
「極端なのよね。そのままでいいから余計なことしないで」
なんとアリスさま! ありのままの私を愛してくださるなんて、なんて深い愛なのでしょう。私もありのままのアリスさまが大好きで——。
言い終わる前に、アリスさまはぶらぶらと掴んでいた私のかえるの足をぽいっと投げる。ああああーとなすすべもなく落ちていきながら、私は床にべたりと潰れた。
ぐう、痛い。
久しぶりに人間に戻してもらえた私は、食事の片付けの後に自分の部屋に戻ろうとしていた彼女を引き止める。
「アリスさま、大切なお話があるのですが」
ドアの近くでアリスさまの手をとり、すぐ真上からアリスさまを見下ろすと、彼女は青い瞳をわずかに揺らした。しばらく固まっていたアリスさまだったが、私の手を振りほどくようにして、自室のドアを開ける。
「今日はもう眠たいの。明日でもいい?」
「ダメですよ。この間もそう言って私をかえるに変えたでしょう」
私の言葉に彼女は長いまつ毛を伏せる。だがゆっくりと首を横に振ると、そのまま何も言わずに部屋の中に入ろうとした。私は彼女を押し込むようにして無理やり部屋に入り込む。
「なに」
私はドアを閉めながら、暗い部屋の中でアリスさまの頬に手を当てる。彼女は私の手から逃れるように足をひいたが、アリスさまの背中はすぐに壁にぶつかった。私は壁際で動けないアリスさまに顔を寄せる。
「アリスさま、私に隠していることがあるでしょう」
彼女のまつ毛が揺れるのが見えた。明かりは灯されていなかったが、窓の外には丸い月が浮かんでいる。彼女が黙っているうちに、徐々に目も慣れてきて、アリスさまの表情がはっきりと窺える。彼女のどこか悲しげな瞳に向けて、私はゆっくりと笑って見せた。
「私は歳をとっている。アリスさまは私に魔法をかけて下さってはいないですね」
私の言葉に彼女は何も言わずに俯いた。
私はアリスさまと永遠に一緒にいることを誓い、アリスさまは私にアリスさまと同じ時を生きられる魔法をかけてくださった——はずだった。だが、アリスさまと何年も一緒に過ごしていると、アリスさまは全く変わらないのに、私は少し変わっているような気がするのだ。老けているというほどの年月は経っていないし、まだまだ若い見た目は変わらないのだが、鏡の中の自分に僅かな違和感を覚えるようになった。毎日のように鏡を見ている自分だからこそ気づくのか、もしくは逆に気付きづらいのかは分からない。何にせよいくつも歳をとっているのは間違いない。
「アリスさまの想像よりも早いのか遅いのかは分かりませんが、いずれ私が気付くのは分かっていたでしょう? その時には私の気持ちも変わっていると思いましたか?」
私は彼女の細い首にそっと唇をつける。
アリスさまは自分にも不死鳥王にも、普通の人間になるための魔法をかけたことがあると言った。だが、アリスさまは変わらず生きているのだし、不死鳥王は姿を消したきりで結果はわからないらしい。だから私に魔法をかけようとしている時にも、もう戻れないと思うわよ、と何度も念を押していた。
そしてきっと、私のことを本当に信用しきれなかったのだ。
「アリスさまが私のことを信じられないのなら、あと五年でも十年でもお待ちします——ですがあと二十年は待てません。できれば私がアリスさまの隣で並んでも釣り合ううちに、時を止めていただけないでしょうか」
アリスさまは私が心変わりをして、アリスさまの元を離れたいとか、普通の人間として生きていきたいとか、そんなことを望む可能性もあると考えていたのだろう。だから優しいアリスさまは、私のことを思って魔法をかけずにいてくれたのだ。
「アリスさま、本当に私のことを想ってくださるなら、どうか私を助けてください」
耳元で囁くと、彼女の体が震えた。
「私が死んで悲しむアリスさまを、慰めることができないということほど、辛いことは私にはありませんから」
そっと唇にキスをする。
「アリスさま、愛しています。昨日も、今日も、明日も、これから何千年後でも変わりません。アリスさまも一生、私のことを愛してくださいませんか?」
そう言って、彼女の宝石のような瞳を覗き込むと、アリスさまが私の頬に触れた。彼女の大きな瞳が青色に潤んで、ひとすじの涙が落ちる。
「フロー、大好きよ」
彼女がつけてくれた名前で呼ばれた私は、にっこりと笑って見せる。
「私をひとりにしないでくれる?」
寂しがりの少女のような顔が私を見上げる。私は少しだけ彼女よりも歳をとった顔で笑った。
「もちろん。ずっとずっと、いつまでも一緒ですよ」




