ひとりの王子と残ったとかげ(3/3)
翌朝、近くを通りかかった村人に助けられて、王宮へと移送された。
闇雲に歩いているうちに、森の反対側の出口にある村の近くまで来ていたらしい。私は王子だと話すと、すぐさま王宮から馬車が届いた。
村では暖炉の火にあたり、馬車の中では毛布でぐるぐる巻きにされ、王宮に戻ってからは大きな湯殿にお湯をためられて凍りついていた体を浸される。馬車の中では早く医師に診せねばと言われていた気がするが、固まった手先や足先をほぐすようにゆっくりとさすってくれているのは、決して医師には見えない若い女性たちだった。王宮の専属医師には、単に体でも温めろと言われたのだろう。もしくは女好きの父上に全員が毒されているのか。
湯殿で薄衣だけを身につけている女性達に、申し訳程度の布を引っ掛けられただけの半裸を晒すのに抵抗はあったが、たしかに女性たちの手の温もりは痛いほどに固まった手足に気持ちがいい。疲れきっていることもあり、ただただお湯と女性達に身を任せた。
「悲しいことがあったのですね」
「うん?」
寝ぼけているような、そんな感覚から引き戻されたのは、右手をさすってくれている女性の声だった。彼女は茶色の髪をまとめあげ、美しいうなじをさらしていた。女性は薄い布のようなものを湯の中で軽く片手で絞ってから、それを私のほおに当てた。温かいそれが肌に触れると、なんとなく私は泣いていたのかもしれないと思う。布は涙を拭うようにかすかに動き、女性はふわりと笑う。
「出過ぎた真似をすみません」
なんて扇情的な声なのだろう。女性は薄い白布を身につけてはいるが、一緒に湯に入っているから濡れて肌が透けて見える。
なんとなく笑いたい気分になった。
女性から誘惑されているのだろうか。それともそれは単なる私の願望か。どちらにせよ、抗える気分でもなく、私は彼女がさすってくれていた右手で、女性のうなじに触れる。女性は驚くでもなくにこりと笑ったから、やはり誘われているのかもしれない。
アリスさまに会うこともできず、もう二度と会えないという失意の底にいて、ついでにひとりで森の奥で凍死しかけていたのだ。そして急死に一生を得て生還した早々に、見知らぬ女性に欲情してしまうというのは、我ながらいったいどういう人間なのだろう。
アリスさまに王宮に戻されてから、アリスさま以外の女性など見たくないと女性を遠ざけてきたのだが——いきなり裸で添い寝している女性はいたし、食事などでは何故かいつも多くの女性に囲まれてしまうのだが——もうアリスさまには会えないのかもしれない。このまま身を任せてしまおうかと思っていると、視界でとかげがちろりと動いた。
「……どうされました?」
ばしゃんと大きな音を立てて勢いよく上体を起こしたから、驚いたのだろう。目を白黒させている女性達に首を振る。
「なんでもない。温めてくれてありがとう」
私はそう言うと、立ち上がった。もうすっかり体は温まっていたし、手も足も痛くはない。私は壁でぐるぐると動き回るとかげを引っ掴むと、走って湯殿を出て行った。
『全く馬鹿王子のくせに羨ましすぎる! 人間の姿に戻っただけでなく、大勢の女性達と混浴など破廉恥な! アリスさまに言いつけてやる!』
指で尻尾を掴まれたまま、体をくねくねとくねらせて暴れる魔法使いとかげを見下ろして、私は懐かしさに涙していた。
いぐあなだった父上には面会を申し入れてもひと月後まで予約でいっぱいですと言われてしまうし、アリスさまの屋敷はかげ形も見えない。三人に増えた王様の周りには従者が山ほどいて、探してみたがどれがかめだったのかも分からなかった。もしかしたらあれは私が見た長い長い夢だったのかもしれない、なんて思う日すらあったのだ。
「ううう、久しいな。風呂を覗くとは相変わらず変態の中年とかげめ」
『何を泣いとる! 泣きたいのはこっちだわい! いきなりこんなところに飛ばされて、王様には踏まれそうになるわ、猫にはおもちゃにされるわ、お腹が空いて厨房に忍び込めば料理人達にハエ叩きで追い回されるわ……ぐう、お腹すいた』
王や従者が人間に戻るところは見たが、そこに魔法使いの黒ずくめは見えなかった。アリスさまが間違えたのか、それとも悪意なのか単に面倒だったのか。とかげだけはその姿のまま飛ばされたのだろう。
私はとかげのために厨房にあったとうもろこしの粒や果物を部屋に持ち帰り、小さくして皿に入れてやる。とかげはむしゃむしゃと食べながら、ずっとアリスさまや王様や王宮の使用人たちの文句を言い続けていた。
『私の声は普通の人間には届かん。それにもかかわらず王様は完全に無視するし……というか日がな寝室で妃たちとあんなことやこんなことに明け暮れ、まったくとかげなどに気づきもしない……あああ、なんと破廉恥な』
風呂場にとどまらず男女の寝室まで覗くとは、まさしく変態である。
『ならば馬鹿王子を探そうと歩き回ったのだが、なにせ王宮は広すぎて広すぎて。しかも嘆かわしいことに、この王宮には馬鹿な王子が他にもダース単位でいる。どれがお主かを特定するのすら、このとかげには大変な作業だった。ようやく見つけたと思ったら外出して帰ってこないし、ようやく帰ってきたと思ったら破廉恥にも女たちと裸でじゃれあっておる』
いちいち破廉恥という単語を強調するとかげは、何百年も生きてきて一度も女性とお風呂に入ったこともないのだろうか。それはそれでなにやら哀れな人生である。
「しかし普通の人間に声が届かないのなら、なぜ私と会話ができる?」
『一度はあおむしにまで成り下がった分際で、普通の人間を語るとはおこがましいやつだな』
自分がかえるだった頃なら、なにおう、と言い返していた気はするが、人間となった今では手のりとかげに何を言われたところで痛くも痒くもない。
「アリスさまの魔法をかけられたもの同士だから言葉が分かるというわけか?」
『ふむ、よく分からんがそんなところだろう』
よく分からないのか、と思いながらもこの状況に感謝をした。
アリスさまに何度も挑戦しているという身の程知らずの魔法使いなら、アリスさまの屋敷の場所をもちろん知っているはずなのだ。




