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うつくしい王子と姫君たち(3/3)


 あおむし生活はもう十日目を越えて、私はただただ途方にくれていた。


 あおむしでは動ける範囲も狭く、ぼうっと窓の外で風になぶられる枝葉を眺めていて一日が終わることすらあった。アリスさまは部屋にこもっていることが多く、これまでのように相手をしてくださらないし、あまり話もしてくれない。食事の時間になればやって来て葉っぱを置いていくのだが、一緒に食卓を囲んでもくださらないのだ。あおむしを見つめながら、もしくはあおむしに見つめられながら食事をとりたくはないのか、それとも何かやはり怒っていらっしゃるのだろうか。


 いったいどうすれば良いのだろう。


 アリスさまが現れるたびに何か悪いことをしたのだろうかと聞いているのだが、別に、と言われるだけで何も答えてくれない。アリスさまに嫌われてしまったのだろうか、と思うと涙が出るし、いったいいつまであおむしなのだろうと思うと恐ろしくなる。このまま一生、死ぬまであおむしなのだろうか。もしくは外から侵入して来た蜘蛛に食べられて一生を終える運命なのだろうか。


 階段を登ってくる足音がして、私は目を輝かせる。


 今の私の楽しみはアリスさまの姿を拝見できる三度の食事だけで、ほかにやることなどない。じっと動けずに何も出来ずにいると、嫌なことばかりを考えてしまうのだ。今度こそせめて食事を一緒にとりたい。


 ああああアリスさまー! 


 ぴょんぴょんと跳ねていけない自分の体がもどかしい。


「おはよう、フロー」


 にっこりと笑ったアリスさまの表情に、私は舞い上がるほど嬉しくなった。最近ではこうして笑いかけてくれることも稀で、心臓が誤作動を起こしてしまうのではないかというほどにどきどきと早鐘を打つ。


 が、それはすぐに収まってしまった。


 相変わらず笑顔を浮かべているアリスさまではあるが、なんとなくその笑顔が作りもののように見えてしまったのだ。どこがどうというわけではない。ただ、一年以上もアリスさまだけを見ていたからか、彼女の表情の変化には敏感になってしまった。


 おはようございます、アリスさま。なにか悲しいことがありましたか?


 私の言葉に彼女は可愛らしく大きな瞳を瞬かせた。長いまつ毛がぱちりと動いてから、そして何故だか苦いものを飲み込んだかのような顔をした。何を言おうか迷っているような間を空けてから、やはり作り物のような笑顔を向けてくる。それはとても綺麗で美しい無機質な人形のような笑みで、私はどきりとする。


「そろそろあおむしの姿も見飽きてきちゃった」


 その言葉にやはりどきりとする。冷たい何かを体中に感じながらも、内心でぶんぶんと首を横に振る。嫌な予感を振り払うように、努めて明るく言った。


 それではかえるの姿に戻してくださいます?


「変態ね、そんなにカエルが好きなの?」


 アリスさまがかえるの姿が一番似合うと言ってくださいましたから。


 そんな私の言葉に何とも言えない顔をしたアリスさまは、手にしていたステッキを私に向ける。逃げだしたいと思ったが、かえるの姿でも、人間の姿でも逃げられなかったのだ。あおむしが逃げられるわけもない。


 脳天に稲妻が落ちて、足先から髪の毛の先まで体中を電撃が走り巡る。


 ——いくらやっても慣れないそんな感覚に体を震わせていると、自分の視線が自分の手をとらえた。人間の手だ、と思った瞬間、アリスさまの声が耳を打つ。


「楽しかったわ。さようなら、フランシス王子」


 アリスさまの笑顔が一瞬だけ目の前に見えた。





 気づけば、どこか懐かしいものが見えた。天蓋付きの寝台のレースに、美しい幾何学模様の描かれた灰色の天井。しばし阿呆のように天井を見上げてから、ここは王宮にある私の部屋だということを思い出す。重い手を持ち上げると、一目で男のものだとわかる、骨ばった手の甲が見えた。


「アリスさま」


 泣いているつもりはなかったが、自分のつぶやきが涙声に聞こえた。


 最後に見たアリスさまの笑顔はとても綺麗で美しかった。あれは偽物ではなかった、と思う。私との別れを喜んでいたのだろうか。それとも「楽しかった」と言ったのが、彼女の本心だったのか。


「王子? どうして泣いているの?」


 急に真横から女性の声がして、私は驚いて寝台から落ちそうになった。


 そしてそんな自分が服を着ていないことに気づく。自身の裸の胸を触ってから、シーツの下にある自分の下半身の周りに下着を身につけている気配もないことを感じてから、声のした方を見た。そこに女性の白くてたわわな胸が横たわっていて、思わず目が飛び出しそうになった。じっと胸を凝視してしまってから、慌てて視線をずらす。そこには見覚えがあるような、ないような女性の顔があった。


 私が思わずぱくぱくと口を開けていると、彼女は私の胸にそっと身を寄せてくる。温かい肌と肌がぶつかって、というか、胸と胸がぶつかって、思わずくらくらと眩暈がした。上目遣いにこちらの顔を覗き込んでくる顔と、豊満な胸から何とか視線を剥がすと、なるべく何も考えないようにして言った。


「ええと、少し色々と記憶が曖昧で……失礼なことを言ってしまったのだとしたら謝るしかないのだが、あなた……でなく私はどうしてここに?」

「外の廊下で倒れていたところを助けられたそうよ。ずっと行方不明だと聞いて、心配していたの。大丈夫?」

「廊下に裸で?」


 それは嫌だと思ったのだが、彼女はにっこりとした笑顔で見上げてくる。


「寒いってずっと呟いていたから、温めて差し上げようと思って」


 彼女の言葉では私が裸で倒れていたのか、ベッドの上で彼女が脱がしたのか分からない。私は首を捻りながらも、一応、ありがとうと呟いた。


 ぴたりと吸い付くような女性の肌はたしかに温かくて心地よい。


 なるほど王宮はこうしたところだった、と思い出す。美しい女性も、優しい女性も、素敵な女性も、たしかに掃いて捨てるほど——いや捨てるのはもったいない——いる。私は女性たちを愛していたのだし、女性たちも競うようにして私の周囲に群がってくれた。


 たしかに美しい女性はアリスさまだけではない。


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