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あおむし王子とわるい魔女(3/3)


 ステッキが振られると、急に部屋が小さくなった。


 思わず自分の体を見下ろすと、目に明るい白が飛び込んできた。それは服だと気づいた時に、自分の手が人間のものになっていることに気づく。大きな五本指を握って開いてから、恐る恐るアリスさまを見る。


 かえるが見上げるほどに大きなアリスさまは、今は小さくて華奢な体をベッドのヘッドボードに預けて、こちらを見ていた。ゆるりと肩に流れる金髪と青い瞳と赤い唇と白い肌が、かえるの瞳で見るときよりもずっと色彩豊かに見える。


「……アリスさま、これは?」


 前に人間に戻された時には、好きに出ていけば良いと言われた。もしかしたらまた、私のことが邪魔になって人間に戻されたのではないかと——屋敷を出ていけということかと怯えたのだが、アリスさまの表情からはどういう感情も読み取れない。


「喉が渇いたし、少しお腹も空いたわ」

「は?」


 私はしばしぽかんと口を開けてから、ようやくアリスさまの言いたいことに気づく。ぱっと顔を輝かせてから、首をうんうんと縦に振った。


「喜んで! しばしお待ちください!」


 私はアリスさまのグラスを掴むと、走って部屋を出て行こうとして、今の自分は王子だったと思い出す。どうもかえるのつもりで大声と大きな身振りで動いてしまうのだが、そんなに首を振らなくとも感情は伝わるだろうし、別に走らなくてもキッチンまでは何歩か歩けば行ける。


 なるべくいそぎながらも優雅な動きでキッチンに向かい、グラスに水を汲む。さささっとアリスさまの部屋に戻ると、それをアリスさまに手渡した。白くて長い指が同じグラスに触れただけで、自分でも驚くほどにどきどきしてしまった。


「すぐに何か食べられそうなものをお持ちします。しばしお待ちください、アリスさま」


 長い睫毛をすぐそばから見下ろしながら言ったが、彼女は目を伏せたままこちらの顔を見上げはしない。ありがとう、と言ってグラスに唇をつける彼女にしばし見惚れてから、すぐにキッチンへと走る。


 キッチンにあった野菜を猛烈な勢いで小さく刻んで火にかけてから、りんごを剥いた。まずはお皿にりんごを並べてアリスさまにお持ちする。


「いまスープを作っておりますが、お腹が空いているようでしたら先にりんごだけでもいかがですか?」


 アリスさまはまじまじとりんごを見下ろしてから、こちらを見上げてきた。青い瞳に私の顔が映っているのが見えてどきりとするが、アリスさまは何故か形の良い眉を寄せる。


「王子のくせに無駄なスキルがあるのね」

「綺麗な薔薇も、アリスさまの前では霞んでしまいますけれどね」


 一口大に切った白いりんごの横には、するすると剥いた赤い皮を使って作った薔薇の花を飾ってある。にっこりとした笑顔を向けると、アリスさまは呆れたような顔をしてから、フォークでりんごを刺す。


「どこのお姫様たちに剥いてあげていたの?」

「アリスさまに食べていただくために練習していたのですよ」

「料理も?」

「もちろん。アリスさまがお望みならフルコースで並べてみせますよ」

「スープだけでいいわ」

「それでは、スープを作ってお持ちしますね。体がお辛いのでしたら横になっていてください。手を貸しましょうか?」


 そう言ってアリスさまの肩に手を伸ばそうとしたのだが、触れる前に「いらない」と冷たく言われてしまった。せっかくかえるでなくなったのだから、少しは頼っていただきたい、とは思うのだが、食い下がって風邪で弱っているアリスさまを怒らせてしまうのも困る。


 優雅に一礼してから、ふたたびキッチンに向かった。


 

 アリスさまは私の作った生姜入りの野菜スープを美味しいと言って飲んでくれたし、私が横になったアリスさまに毛布をかけ、冷たく濡らしたタオルを額に乗せると、ありがとうと言ってくれた。ちょろちょろと動き回っていたとかげやいぐあなやかめ達は、みんな食事代わりの果物と一緒に二階に押し込んでいたし、私は久しぶりにアリスさまと二人きりになれたのだ。しかもアリスさまの寝室で、私は王子の姿で、である。


 熱を出して寝込んでいるアリスさまを見下ろしながら、そしていつになく弱っていて素直なアリスさまを本気で心配しながらも、恋人同士になれたかのような時間に、私は心の底から幸せを感じていた。


 小さな手を握りたくてたまらない——が、アリスさまの眠りを邪魔したくないし、彼女の体に触れて下心があると思われたくもない。


 私は一晩中、アリスさまのそばで過ごしていた。アリスさまのお側について、いつ何時でも動けるようにと起きていたのだが、翌朝になるとさすがに少し眠気が襲ってきた。少しだけ、と目を瞑ったところ、いつのまにか眠ってしまっていたらしい。


 気づけば、部屋のカーテンが開けられていた。明るい光が差し込み、もう夜ではないことがわかる。アリスさまが起きてカーテンを開けられたのだろうか。そう思ってみるが、私は一瞬、自分の居場所を見失う。


 大きすぎるほどに大きな部屋。見慣れた景色のように見えるが、どこか違和感がある。私は王子に戻ったのではなかっただろうか——と思ったが、あれはすべて夢だったのだろうか。


 アリスさまー! お姿が見えないですがご無事ですかー?


 とにかくアリスさまを探して叫ぶ。


「おはよう」


 首が痛くなるほど見上げると、そこにはいつもよりも大きく見えるアリスさまがいる。いつのまにか寝台から降りており、服装も着替えて髪型も整えられている。


 アリスさま、お元気になられましたか?


「お陰様でね」


 それは良かった、と私はぴょんぴょんと飛び回る——つもりだったのだが、全く体は動かなかった。あれれ? なんだかとても体が重いのですが。


 私はそう言って自分の体を見下ろす。が、下には何も見えなかった。自分の手も足も見えない。手を動かそうとすると、うにょんと頭が動いた。


 んんん? アリスさまー、助けてくださいー! 何故か体が動かないのですけれどー!


「そう? ちゃんと動いてるわよ」


 そうでしょうか。手も足も動かないのです。


 私がそう言うと、アリスさまはなんとも言えない顔で机の上から小さな手鏡を取り出した。彼女はそれを黙って私の目の前におく。


 そこに映っていたのは——小さなあおむしだった。


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