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かえる王子と王様いぐあな(2/3)

 

 あられもない姿を見あげて、私はなんとも言えない気分になった。


 白い壁に黄色の腹を見せて貼り付けられている間抜けなとかげの姿に、初めこそ笑いが止まらなかったのだが、ひとしきり笑った後になんとなく自分の腹を押さえた。アリスさまの浴室を覗こうとするなど万死に値する行為ではあるが、実際には未遂ですらなかったらしい。ちょろちょろと天井を這って浴室に向かっているところでアリスさまに見つかり、昆虫標本のように壁に糊で貼り付けられているのだ。


 両手両足の甲を糊で壁に貼られ、完全に体の表面を晒したとかげ。全裸の中年男が壁に四肢を広げて拘束されている光景を想像してしまい、私は自分の妄想力を呪った。


 ちらりと、明日は我が身だという言葉が浮かび、ぶんぶんと首を横に振る。


 冴えない中年魔法使いとかげに裸を盗み見られるなど、アリス様でなくとも世界中の女性という女性が耐えられまい。だが、美しい王子である私が女性の下着姿を愛でようと、一糸纏わぬ姿を堪能しようと、不快に思われるはずがない。なんなら罰として私の鍛え抜かれた美しい全裸が晒されたところで、世の女性たちを感動させるだけだ。


「うるさいわね、ダーツの的にするわよ」


 刺すようなアリスさまの言葉に、私は思わず飛び上がる。


 だが、彼女の視線は私ではなく、壁のとかげに向いていた。とかげは貼り付けられたままずっと『おろしてくれえ』と叫び続けていたのだ。とかげはぱくぱく口を開けてから、声を出す。


『ですがアリスさ——』


 すとん、とダーツがとかげの顔をかすめるようにして壁に突き立った。


 私はきゅぅと体を縮める。ぱくぱくと口を開けたのは今度は私だった。凍りついたように固まるとかげと、その顔の横に突き立った鋭いダーツの針を見てから、私は恐る恐るアリスさまを見上げる。


 木製のロッキングチェアで微かに揺れながら読書をしているアリスさまのお姿は、まさしく絵画から飛び出してきたかのようだった。くるりと巻いている金色の髪は、横で緩く一つに束ねられている。暖かそうな茶色のひざ掛けに、柔らかい毛糸で編まれた白のセーター。見ているだけで、その感触に触れたくて触れたくてたまらなくなる。ああ、華奢なその体をふわふわの服と一緒にぎゅっと抱きしめたい。


 ——のだが、いかんせん彼女はペン回しのようにダーツをくるくると回していた。どうしたってあれの針の先が、かえるの腹を刺す想像しかできやしない。


 なんとも言えない気分で黙っていると、下で物音がした。誰かがやってきたのだろうか。玄関をノックするような音も聞こえて、私は首を傾げたし、アリスさまも同じように首を傾げた。


「誰かまた道に迷ったのかしら」


 ちらりと外を見ると、吹雪のような雪が窓に打ち付けている。もしかしたら誰かが遭難しているのかもしれないと私は思ったし、アリスさまもそう思ったのだろう。彼女は椅子から立ち上がると、ばたんとドアを閉めて出ていった。


 止める間もない。相手が危険人物だったらどうするのだろうと思ったが、相手が魔法使いだろうが人間だろうが彼女の敵はいないだろう。私はアリスさまが階段を降りる音を聞きながら、アリスさまに出会って恋に落ちたあの夜のことを思い出していた。




 他ではない私も、こうした大雪の日に遭難していたのだ。


 視界が真っ暗で真っ白だったのは、すっかり日が暮れたせいか、重く垂れ込めた雲と吹き荒れる吹雪のせいか。時間の間隔も場所の感覚も、凍える寒さに体の感覚もなくなっている中で、ぽかりと灯ったこの屋敷の灯りを見たときには、本当に泣きそうになった。


 その時のアリスさまは、とてもとてもとてもお優しかった。


 見ず知らずの男を躊躇うことなく家にあげてくれ、凍えていた私を暖炉の前まで案内してから毛布をかけ、温かいスープまで与えてくれた。涙が出るほど美味しいそれを飲んでいるうちに、私のために暖かいベッドまで準備してくれていたのだ。どうせ雪が止むまで帰れないだろうからと言って、にっこり笑ったアリスさまは、本物の女神にしか見えなかった。


 森の奥の屋敷に住む魔女の恐ろしい評判を聞いてはいたが、そんなものはすべてただの噂なのだと思った。——もしくは彼女が私を騙していたとしても、眠っているうちに彼女に食べられてしまうのだとしても、それでも良いとすら思ってしまったのだ。


 その時に彼女を押し倒さなかった私の理性を褒めて欲しい。


 あまりに美しくて優しくて神々しいアリスさまの雰囲気に、のまれてしまったというのはある。だが、どうしても私は彼女が欲しくなってしまったのだ。一夜の戯れだとか、体の繋がりとか、そんな軽々しいものでなく、心の底からアリスさまに受け入れてもらいたかった。


 悶々として眠れぬ夜を過ごし、朝になると彼女に迫って迫って迫りまくった。


 結果としてアリスさまに子豚に変えられた——その頃はまだかえるではなかった——のだが、彼女は本来なら私を帰すつもりだったはずだ。


 アリスさまのことを、ひと目見ると生きては帰れない恐ろしい魔女と噂するものもいたが、その時の彼女は本当にただ見返りもなく食事と暖を与えてくれただけだったのだ。彼女は夜が白み、雪がやんだ外の景色を見て私に微笑みかけてきた。「まだ積雪は残りますから、気をつけて帰られてくださいね」と、玄関の戸を開けてくれた彼女が、人を喰らう悪い魔女のはずがない。


 

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