かえる王子とわるい魔女(1/3)
——私は王子である。
そう言うと皆、ふんと鼻で笑い飛ばすか、世にも気の毒なものを見るような視線を向けてくる。だが、それは紛れもなく事実なのである。
嘘だと思うのなら、我が国の系図を紐解いて見れば良い。
私の先祖を遡っていけば、素手で獅子と戦いを挑んだ(うえで戦死したと言われる、ある意味で)有名な獅子王や、国を大きく羽ばたかせたい(などとわけの解らない事を言って)白鳥を第五王妃に迎えた白鳥王にぶつかるはずだ。もっとも、系図を紐解くことが許されているのは一握りの人間だけ。実のところ、私も開いたことはない。
「そりゃ、カエルがどうやって系図を開くって言うのよ」
美しい声とともに現れたのは、この屋敷の主であるアリスさまだった。
くるりんとカールした見事な金髪に、大きな瞳にはめ込まれた宝石のように透明な青。真珠色の肌はどこまでもなめらかで、薔薇色の唇は形を変えるたびに見るものの視線を釘付ける。完璧なまでに美しい容貌はまるで人形のようであるが、彼女には人形には決して出せない香りたつような魅力があった。何度見ても見飽きる事の無いお姿である。
さすがはアリスさま。相変わらずお美しい。
「フローは相変わらずカエルなのね」
間髪いれずに返って来た冷たい言葉に、私は立ち上がった。後ろ足だけで器用に立つと、アリスさまに向かって両手——両前足?——を広げる。
えぇえぇ、相変わらずかえるですとも。しかし、信じられないかもしれませんが、これでも一年前には立派に王子をやっていたのですよ? 自分で言うのもなんですがそれはそれは賢く美しい王子でしてね。誕生日を迎えるたびに王宮の外まで求婚者が列を成していたくらいだったのですよ。
わるい魔女にこの姿に変えられるまでは、ね。
「わるい魔女っていうのは、もしかしてわたしのことかしら?」
他に誰がいるというのでしょう。
見た目は無邪気で美しい少女にしか見えない彼女だが、何年前、何十年前から、いや何百年以上も前から同じ姿をしていると噂されている。そして私は一年前、彼女の不興を買って姿を変えられた哀れな王子だった。今は随分とサイズが縮んでしまっているが、一年前は彼女よりも大きな体を持っていた。やろうと思えばいくらでも彼女を押し倒す事が出来たのだ——って、おっと口が滑った。
「わたしはやろうと思えばいつでもフローを押し潰す事が出来るわよ?」
きゃー、潰れる潰れる潰れる本当に潰れますってアリスさま。
そのへんの虫と同じように踏みつけないでくださいまし! 鬼! 悪魔! 暴力反対!
「魔女だからって悪魔だなんて心外だわ。人間はいつまで経っても偏見と差別から卒業できないのね」
かえるの姿に変えられた挙句、潰されそうになっておいて、偏見も何もない。
そう言うと、アリスさまはにっこりと笑顔を見せてくれた。悪魔が裸足で逃げ出すほどに威力のある、美しい笑みである。恐怖と恍惚が同時にくる完璧な笑みに思わず見惚れていると、彼女は薔薇色の唇を開き、天使のような声を出す。
「あぁ、そうね。フローは人間じゃなくカエルだものね」
言葉は声ほどに天使ではない、と私は思う。
だいたい、人の事をかえるかえるかえるかえると言わないで貰いたい。フローというのも親愛の情を込めた愛称かと思いきや——最初に呼ばれた時にちょっと喜んだのは内緒である——実はフロッグ(かえる)からとっているのだ。私だって傷つく時は傷つくのである。特に、かえるはないのではないかと思う。
「でも、今までで一番、似合ってるわよ?」
かえるが?
それも本気でショックである。こののっぺりべっとりとした青い肌。くりくりとした黒い瞳。我ながら可愛くないとは言わないが、これならまだ、砂ねずみだったときの方がマシであった。ガラガラガラガラと無限に回る筒の中に入れられてずっと同じところを走っていても、まだ両生類ではなかったのだ。ちゃんとふさふさの毛も持っていた。
鶏だった時には——飛べはしなかったが——立派な白い羽根だってあった。まあ、実のところ、いつローストチキンにされるのかとビクビクしていたのだが、今だっていつ踏まれて潰されるかとビクビクしているのだから、さほど変わりはない。
「毛がないのが嫌なら、毛虫に変えてあげましょうか」
止めてー。あんな刺々しい毛を持つくらいなら、のっぺりの方がマシです。ちょっと、その忌々しいステッキをこっちに向けないで。きゃー!
「でも、喋る毛虫って気持ち悪いわよね。いくら心の広い優しいわたしでも、思わず踏み潰したくなりそうだわ」
そう思うのなら、その棒の先をこちらに向けないでくださいまし、アリスさま。 屋敷中を飛び回り、私は今日も何とか、かえるの姿を死守する事に成功した。