伊勢侵攻
俺の名は岩原新之助。
最近、この挨拶を忘れていたうっかり者だ。
しっかりしなければ。
そんなふうに反省しつつ、俺は美濃で与えられた屋敷というかマンションの一室で休暇を楽しんでいた。
クーラーを全開にしながら大きくて柔らかいクッションに体を預け、昼間っからキンキンに冷えた缶ビールを飲む。
くぅー……ぷはぁ~。
いいね。
夏はこうでなくては。
まあ、まだ一回しかこんな夏は経験してないけど細かい話はしないでおこう。
もう少しまったりしたら、作りかけのガ●プラを完成させる予定。
仮り組みしてる段階で上洛するって話になったから、放置しちゃってたんだよなー。
上洛で長期間、戻れないのは予想できたから、下塗りまでは終わらせときたかった。
その後、なんやかんや仕事があって半年ほど放置している。
だが、この休暇の間に完成させてみせる。
量産型だからって三体も買っちゃったけど、できるはずだ。
いや、やってみせる。
それが俺の使命!
そう思った瞬間……
「岩原殿ぉっ!!」
声と共に玄関の扉が強くノックされた。
「殿が来ていませんか!」
この声は上総介殿の小姓だな。
名はたしか……堀だったかな。
上総介殿が来ていないか?
来てないぞ。
まあ、声だけで信用はしてくれないだろう。
俺は缶ビールの残りを一気に飲んでから、扉を開けに向かった。
上総介殿が行方不明だそうだ。
なるほど。
一大事だな。
しかし、それならどうして俺のところに来る?
「岩原殿のところに来ているのではと思いまして」
来てないよ。
部屋の中を調べたからわかると思うけど、隠れてもいない。
休暇だからと朝、頑張って掃除した部屋がぐちゃぐちゃだ。
ああ、洗濯物を畳むのはこっちでやるから、ひっかき回した押し入れを元に戻しておいて。
ガ●プラには触らないように。
「触りませんよ。
それで、殿の行き先に心当たりはありませんか?」
そう言われてもな……スマホで連絡は?
「何度もかけましたが、留守電になります」
ふむ。
メモとかは?
「残っていませんでした」
つまり、誘拐の可能性も……ある?
「それが……」
ないのか?
「愛用のサンダルがなかったので、自分の足で出かけたかと」
愛用のサンダルって、屋敷の軒下に隠してある?
「そう、それです。
誘拐されたなら、わざわざそんな場所のサンダルを持っていかないでしょう」
そうだな。
「それに、愛車もありませんでした」
愛車というと、自動車?
「いえ、ママチャリのほうです」
ママチャリ……自転車のほうかぁ。
誘拐の線はなくなったな。
誘拐なら自転車を持っていく理由がない。
「そうですよね」
上総介殿がよく行く店とかは、チェックしたのか?
「サ●ゼもガ●トも行きましたが、居ませんでした。
マ●ドもモ●、ロッ●リアもです。
何軒かのコンビニも回りましたが、本コーナーで立ち読みもしていませんでした」
漫画喫茶は?
「いませんでした」
カラオケは?
「いませんでした」
映画館は?
「いませんでした」
むう。
お手上げだな。
「はい。
それで、家臣の家に転がり込んでいる可能性を考え、こうして出動しています」
俺のところに来たのが、ちょっとだけ理解できた。
「一番居そうな場所に、某が」
納得はしないが。
俺、家臣の家臣だぞ。
「殿と岩原殿は、妙に気が合っていましたから」
むう。
悪い気はしない。
しかし、居場所の心当たりはすでに尽きている。
「わかりませんか?」
そう言われてもな……
上総介殿が最後に確認できたのは?
「朝は屋敷にいました」
変なところは?
「ここしばらくは、お疲れでしたが……」
俺が休暇をもらう前から、そうだったな。
原因は明確。
新将軍の義昭だ。
義昭は将軍になったので、約束というか上総介殿の指示通りに各地の借金を整理した。
いくつかは新将軍誕生のご祝儀と称して踏み倒したが、尾張や美濃の商人やお寺相手の借金はちゃんと支払ってくれた。
ここまでは問題ない。
問題なのは、その後の将軍としての活動。
将軍の大事な仕事の一つに、武家間の揉め事の調停がある。
武家の棟梁として、どっちが悪いや、その後の処分などを決めることだ。
正直、こういった仕事は前例に従って判決を出していれば大きく揉めないのだが、将軍になるべく教育を受けたわけでもない義昭はそういったことを嫌った。
自分の判断というか、好き嫌いで判決を出していった。
義昭を支える幕臣も似たようなもの。
好き嫌いに加え、自分の利益になるような判決を出していった。
当然、判決に不満のある者は文句を言う。
言う相手は、まだまともな数人の善良な幕臣。
しかし、まともで善良な幕臣は、義昭に嫌われている。
口うるさく、正論を言ってくるから。
義昭になかなか取り合ってもらえない。
まともで善良な幕臣では駄目だと判断され、次に言う先は織田家との連絡役として京にいる俺の主。
俺の主は、織田家家臣になるからね。
それなりの発言力はある……はず。
まあ、織田家の家臣になる前は義昭の世話になっていたので遠慮があるというか、権威に弱いところがあるからなぁ。
主は上総介殿に報告するのが精一杯。
そうなると、次に頼られるのは六角家。
六角家は京に近い場所にあって、それなりの勢力を誇る。
史実では織田家に滅ぼされているけど、上総介殿は六角家を滅ぼしていない。
善意ではない。
滅ぼさなかったのは、こういった事態で尾張美濃の壁にするためだ。
その目論見通り、義昭の文句は六角家で止められている。
しかし、その壁も限界のようだ。
朝廷が、新将軍をなんとかしろと六角家を通り越して織田家に文句を言ってくるようになった。
朝廷所有の荘園が、新将軍によって横領されたとかなんとか。
それに対し、上総介殿は……
「将軍には将軍のお考えがあるのでしょうから、私ごときが将軍に意見するなどおこがましい行いです」
と返した。
要約すると「文句は将軍に言え。俺に言うな」だ。
だが、さすがに朝廷からのクレームをそのまま放置しては問題が大きくなると、京の周囲の勢力に朝廷を助けるように要請した。
具体的には摂津の三好家や本願寺、大和の松永家や筒井家、伊勢の北畠家、紀伊の畠山家。
まあ、どこも動かなかったけど。
擁護すると、松永家は動こうとはしたけど、筒井家が松永家の隙を狙っているので動けなかったそうだ。
そう謝罪する手紙が上総介殿のところに来てた。
一応、上総介殿が一番期待していたのが伊勢の北畠家。
あそこ、公家でもあるからね。
朝廷の苦難を放置するとは思えなかった。
しかし、返ってきた言葉は「北伊勢が不穏で動けん」とのこと。
北畠が実効支配しているのは伊勢の中部。
北や南は大小無数の国人の支配地域。
一応、北畠家に従う姿勢を見せてはいるが、国人同士での戦はよくあることである。
だったら、その国人がいなければなんとかなるなと、上総介殿は軍を編成。
北畠家に臣従していない伊勢の国人を下し、北畠家に臣従するように動いた。
北畠家は伊勢を完全支配し、大和から京に登る道筋ができた。
さあ、行け。
天下に北畠家の名を轟かせるのだ!
だが、駄目だった。
北畠家に臣従させた国人たちが謀反を興し、織田家に寝返った。
「従うなら、強いほうがいいです」
頷ける理由だ。
だが、なぜ北畠家を攻めた?
そして潰した?
「いままでの恨みです」
北畠家は、公家であることを鼻にかけていたからなぁ。
納得したくないけど、納得できてしまった。
そして、上総介殿は望まないのに、織田家が伊勢を支配することになってしまった。
支配地域が増えると、当然ながら面倒事も増える。
ゲームのように簡単に年貢が入ってくることもない。
まともに年貢が取れるようになるまで数年はかかるだろう。
支配地域の拡大など、織田家では誰も望んでいないのだ。
だが、結果的に支配したのだから、頑張った。
織田家の官僚は頑張った。
上総介殿も頑張った。
俺も巻き込まれたけど、俺も頑張った。
新将軍の義昭から「伊勢でのやり方、ひどくない?」と文句が来たとき、織田家の心は殺意で一つになった。
面倒が増えるから、実行はしないけど。
一応、三ヵ月ぐらいで伊勢の支配に目途がつき、上総介殿も俺も解放。
俺は休暇をもらった。
上総介殿も休んでいるのだろうと思ったけど、行方不明かぁ。
心配だな。
そんなふうに考えていると、新たな小姓がやってきた。
おかまいできませんが、どうぞ。
どうしました?
「岩原殿、堀殿。
新事実が発覚しました」
ん?
新事実?
「はい。
殿の書斎に、このような書状が」
小姓が見せたのは六角家からの書状。
内容は……
六角家の当主、前当主が「海賊王に俺はなる!」と言って逐電?
逐電って逃げたってことだよな?
え?
どういうこと?
「書状を読みますと、当主と前当主の二人がいなくなった六角家は織田家のお世話になりたい……違うな。
お世話になるという断固たる覚悟のある内容ですね」
つまり?
「六角家の支配地域である南近江が織田家の支配地域になったということです」
……
………………
「岩原殿。
休暇は取りやめのようです」
そのようだな。
「それで、殿ですが……」
その書状を読んで行方を眩ましたとなると……
まさかな。
上総介殿、美濃から尾張に移動する道中で発見。
「海賊王になるのはワシだー!」
上総介殿の目的地は伊勢だろう。
伊勢の九鬼水軍を率いて、外海に出ようとする計画だったはずだ。
まあ、なんにせよ、移動に自転車を使ったのが上総介殿の敗因。
こっちは遠慮なく自動車を使った。
「ぐぬぬ……」
しかし上総介殿。
いくら道が舗装されているからって、美濃から伊勢までを自転車で移動って、三十代のすることじゃないと思いますよ。
「ふんっ。
ワシの愛車ならばそれぐらい駆けてみせるわ!」
はいはい。
それじゃあ、仕事に戻りますよ。
小姓たちや、官僚たちが準備してますから。
「……くっ。
是非に及ばず。
あ、愛車は持って帰るぞ」
わかってます。
自転車は自動車の屋根に括りつけた。
「屋根に自転車があると、自転車レースのサポートカーみたいでかっこいいな」
同意。
ママチャリでもかっこいい。
まあ、俺は自転車に乗れないけど。
「え?
乗れないの?
教えてやるぞ」
仕事が先です。
ほら、自動車に乗ってください。
自動車の運転もできないので、運転は小姓の堀殿が頑張る。
おまけ
尾張、美濃、伊勢、南近江が織田家の支配地域になった。
北近江、大和、摂津、播磨、三河が 支配下に入りたそうにこちらを見ている。
……
織田家は見ないふりをした。
堀 「殿。なぜ自動車でなく、自転車だったのです?」
信長「自動車だと、GPSで場所がバレるだろうが」
堀 「あ、そっか。スマホの位置情報を調べればよかった」
信長「ふっ。甘いわ。スマホは屋敷に置いてある」
小姓「勝手に書状を持ち出したことをお詫びし、職を辞する覚悟です」
堀 「一人だけ逃げる気か! 絶対に辞めさせん!」
感想、ありがとうございます。
これからも頑張ります。




