千手千眼観音
「細かい説明をするより、まずは見せた方が早いさね」
気絶させた5人を縛り上げ男子トイレの中に転がしてから、ホールへ向かい急いで足を進める途中。浦部さんはそう言うと、ガウルの懐からくすねてきた指輪を右手の人差し指にはめた。
そしてその手を前に突き出すと、告げる。
「クロ、融合」
その言葉と同時、彼女の肩に捕まっていた黒い犬型の精霊が彼女の伸ばした腕を伝って走り、──そして、指輪の宝石へと吸い込まれるように消えた。
その光景に、目を見開いた秋葉ちゃんが呟いた。
「これって……」
「そう、精霊機装の操縦宝珠と一緒、というか操縦宝珠と核宝珠の両方の機能を併せ持つ道具だね。──50年前、精霊機装が生み出される前に精霊の力を行使するために用いられていたものさね」
「え、でも精霊機装なしにどうやって使うんスか?」
「単純さ、全開駆動の時と同様のことが出来る。要するに、魔術士になれるのさ」
「あれが生身で使えるのか!?」
思わず大きな声を出してしまい俺は慌てて口を押える。今ので気づかれてたらマジで土下座ものだが……進む俺達の進行方向から足音や怒声が聞こえてくることはない、大丈夫だったようだ。
なので俺は改めて、今度は小声で浦部さんに問いかける。
「マジであの魔術が生身のままで使えるんですか?」
「ああ。当然危険物なんでどこかで厳重に管理されていたハズなんだが、一体連中どこから持ち出してきたのかねぇ」
そういいつつ彼女は自らの精霊が今宿っているであろう宝石を、反対の指で撫でる。
「ま、とにかくこれを使えばあんな素人集団はどうにでもなるさね」
「……だとしたら婆さん、まだそれ数があったよな? 俺にも貸してくれ」
これまで俺の手を申し訳なさそうな顔でやたらとちらちらみて来ていたラムサスさんが、ようやく俺の方から目を離して浦部さんの方へ手を伸ばす。ってあれ、何か違和感。
ああ、そうか喋り方か。ラムサスさん普段そんな喋り方なのね。というかじゃあなんで俺に対してはあんなガチガチの敬語なの。精霊使いの格的にも年齢的にもラムサスさんの方が上なんだけど……
そんな俺の考えは関係なく、ラムサスさんは言葉を続ける。
「俺の魔術なら人質や皆を守るのに役立つはずだ」
その言葉に、だが浦部さんは首を振る。
「やめといた方がいいさね、コイツは扱いが難しい。初めて使うんじゃ暴発させて事故る可能性が高いからねぇ。その点アタシは昔使ったことがある」
「昔って……婆さんがそれを使ったのは50年以上前だろ」
「馬鹿だね、アタシは天才だよ? その程度のブランク何も問題ないさね」
復帰僅か数年でトップリーグに上り詰め、今現在最強として君臨している人間にそう断言されてしまうと否定しづらい。ラムサスさんも諦めて伸ばしていた手を引っ込めた。そして代わりに彼は足音を立てない動きで先行する。進行先の安全を確認するためだろう。
そのままの隊列でしばらく突き進むと、廊下に喧騒が響いてきた。ホールが近い。
やがて、ホールの入り口のにつながる通路の手前まで来たところで、浦部さんが足を止めた。
「ここでいい。魔術を使うよ」
「ここで?」
この位置ではまだ声は聞こえるだけで、内部の詳細はわからない。
だがそんな俺の疑念は関係なしに、彼女はその場で片膝をつく。
「クロ──【千手千眼観音】」
彼女の口から紡がれたのはこちらではなく日本側の言葉だった。千手観音の別名。浦部さんは指輪を付けた手を床に置きながら、その名を呼ぶ。
だが、何も変化は起きない。発動ミスか?
「大丈夫ですか?」
そう小声で問いかけると、彼女は俺に向けて左手の人差し指を口に当てた。静かにしろということだ。
ということは彼女の魔術は発動しているのか?
とりあえず彼女に従い黙っていると、唐突に彼女が立ち上がった。
「もう大丈夫さね」
そう言って無造作に彼女はホールの前につながる正面の通路へと足を進めていく。
「ちょ……!」
慌てて後を追う俺達に、説明してくれたのはラムサスさんだった。
「ユージンちゃん、彼女の【千手千眼観音】の効果を知っていますか?」
映像ではあるが何度か見たことがあり知っているので、俺は答える。
「霊力による無数の手を生み出して相手を打撃したり動きを封じたりする能力ですよね」
「はい、その通りです。が、あの力にはもう一つの能力があるんですよ」
「もう一つの能力?」
「はい。──あの手には感覚があり、触れた物の感触を術士に伝えます。すなわち、見えないところからでも攻撃できるのですよ」
つまり
「彼女が大丈夫だというなら、もう制圧は終わっています」
浦辺さんを追って通路を曲がった俺たちの前には、その言葉通りの光景が広がっていた。
銃器を持った襲撃者達は、軒並みうっすらとみえる半透明の何かに包まれて廊下に倒れ伏していた。じたばた動こうともがいているがどうにもならず、その手からは銃器を取り落としているものが大半だ。
そしてその間を悠然と歩きながら浦部さんはホールの入り口に立ちこういった。
「待たせたね」
歓声が上がった。
その声を押さえるように手を前に差し出してから、彼女はニカッと笑い言葉を続ける。
「このままずっとは流石にしんどいから拘束するのを手伝ってくれないかね。後外はまだ安全じゃないから出ないように」
その言葉と共に、ホールから人が溢れ出した。何人もが倒れている男たちに覆い被さり押さえつけていく。明らかに数名その際に男たちをどついている奴がいたが──まぁ気持ちはわかるしやりすぎないうちは放っておいていいだろう。
他何人かは通路をかけていった。拘束用の道具を取りに行くのだろうか?あ、何人かはトイレですね。
そんな連中を見送りながら俺たちもホールの中に入ると、外に出ようとしていた人影とぶつかりそうになった。
慌てて立ち止まったその姿は見慣れた顔。
「ミズホ、無事だったか」
「ゆぅじぃぃぃぃん」
俺が安堵の息を吐くと同時、同様に俺の姿を認めたミズホがその美しい顔をくしゃっと歪めて鼻声のような声と共に俺に勢いよく抱きついてきた。
その結果、
「いででででででででで!」
衝撃で左手に痛みが走り俺の口から悲鳴が漏れる。
「えっえっ、ユージン怪我したの!? 撃たれた? どこ!?」
「大丈夫大丈夫、撃たれてない。警棒で一回左手殴られただけ」
悲鳴に驚きぱっと離れたミズホに、俺は涙目になりながらも答える。
「多分折れてもいないから心配すんな」
「でも、でも、病院に行かないと」
「そうさせてやりたい所はやまやまなんだが、まだ表に精霊機装がいるからねぇ」
俺の肩を心配そうに掴んでくるミズホの後ろで、そう言ってきたのは浦部さんだった。融合を解除したらしく、彼女の精霊である黒い犬はその足元に寄りそうように立っている。そして当の彼女は──少々足元がおぼつかないらしく、よろけると背後の壁に寄りかかった。
「浦部さん!?」
「大丈夫、ちょいと疲れただけさね。まさかこの程度で疲労するとはね、私も耄碌したもんだ。このまま外の精霊機装もぶん殴ってやろうかと思ったんだが、さすがに無理そうだねぇ」
「生身で戦うのは無茶過ぎますよ……」
「そうさねぇ。しかしそうなると事態は膠着状態になるが……」
壁に寄りかかったまま腕を組む彼女の言葉は、最後までは俺の耳に届かなかった。
次の瞬間、再びトイレの時と同じような爆音と振動が俺達を襲ったのだ。




