異世界での穏やかな日常はもう戻らない
〇有人視点
ぷぴっ
紅茶を吹き出した。
そして俺は慌てて口の中に入ってる残りを飲み干そうとする。
むせた。
「げほっ、げほっ!」
「だ、大丈夫ですか!?」
慌てた様子で秋葉ちゃんが心配そうに声をかけてくる。
「あらあらいけませんねぇ」
落ち着いた仕草で紙ナプキンを取ると、俺が噴き出したものを拭い取っていく金守さん。
俺はなんとか咳を止めると、そんな金守さんの方へ視線を向ける。
「あれ、どこで見たの……?」
「アトレアビルの電子広告で大きく表示されているのを撮影したものがネットで流れてましたよ」
俺は机に突っ伏した。
「村雨さん!?」
そっかー、そうだよねー。そこに広告出すっていってたもんね。もう出てたんだー、そっかー。
ウチの事務所の近くで見かけてないのは、ちゃんと約束は守ってくれたんだね。
「あと聞いた話ですけど、夕方の報道関連番組でもがっつり映されて放映されたらしいです」
追撃やめて。
というかがっつり企業の広告映していいもんなの?
「村雨さん!? 村雨さん!?」
……とりあえず秋葉ちゃんが心配そうに何度も声をかけてくるので体を起こそう。こっちの世界でまで無駄に注目を浴びたくないし。
顔を上げたら秋葉ちゃんと目があった。
「大丈夫ですか?」
「うん大丈夫」
忘れていたことを思い出してメンタルにダメージは負ったけど。……思い出したくなかったなぁ。
というかネットに流されてるのか。この姿になってから見るのが恐くて向こうのSNSとかは殆ど見てないんだけどどうなってるんだろうなぁ……ははは。
改めて当面向こうのネットは見ない事を心に決める。あの広告が人前に晒されるのは分かっていたことだ。自分の目に入らなければそれでいい、それでいいのだ。自分が認識しなければあの撮影とかも思い出す事ないし──
「後こないだの仮設事務局にも貼ってありましたよね、秋葉ちゃん」
「うん、あったね」
「なんで!?」
リーグ戦事務局の施設って事務局職員と精霊使い及びチームの人間、それにメディア関係者しか入れないからそこに広告出しても意味ないだろ!?
「仮設、ですよ村雨さん」
「あ……」
仮設、ということは民間施設を一時的に借り上げてるから、そこに元々掲示されているのはそのままなのか……
いや盲点過ぎるだろ。そんなところまで思い浮かばんわ。……今更撤去してくれとはいえないよな、掲示期間がどれくらいかはわからないが、とにかくその広告が掲示されている間にその会場で試合にならないことを祈ろう。
「あのあの。でもすごく良かったです! 大人っぽくて綺麗なオーゼンセさんと可愛らしい村雨さんで丁度いいコントラストになってて、私ちょっと見とれちゃいましたもん!」
「あ、うん。ありがと……」
フォローしてくれる気持ちはありがたいんだけどね、秋葉ちゃん。俺は別に可愛いとか言われたい訳じゃないんだ……というか、秋葉ちゃん俺が元は男だったってこと忘れてない? ちゃんと覚えている? 俺身体は女の子になったけど心は男のままだからね?
「私も良かったと思いますよ、村雨さん。これでまた人気が上がってしまいますねぇ。今の内にサインもらっておきましょうか?」
金守さん、君は完全に俺の内心まで分かって言ってるよね!
ジト目で見返してやると、クスクスと笑って流された。くそう……さっき秋葉ちゃんをちょっとだけ揶揄った事を代わりに反撃してきたってことだろうか。でもさっきから俺の方が散々揶揄われている気がするんですけどね……なんか今日一日で君へのイメージ大分かわったんだけど?
そんな感じの金守さんの方を見ながら秋葉ちゃんはうんうんと頷き、
「そうだよね。ウチのチームの人も村雨さんそのうちアイドルデビューするかもって話してたし」
ちょっと待って何その話俺知らない。
「何の話!?」
「あ、はい。アイドルチームのフェアリスのオーナーさんが獲得を希望してるらしくて」
あー……
あのチームの件か。というか他のチームの人間が知ってるってことは公言してんのかよ。
秋葉ちゃんの言葉に俺が思わず目を細めた微妙な笑みを浮かべてしまうと、その表情を見た金守さんが
「……もしかして、すでにオファーが来てます?」
「企業秘密です」
「答えてますよ、それ」
……やっべ。
「……とりあえず俺がアイドルになることは絶対にないということは言っておく。それとさすがに漏らしたのは不味い気がするのでこの件はここだけの話で」
秋葉ちゃんはこくこくと頷き、金守さんはコクリと一度だけ小さく頷いた。
今の俺の状況──異世界に漂流し、巨大ロボットのパイロットになり、気が付いたら女の子になっていた──
どれ一つとってもそれまでの人生の中で想像したこともなかった事態になっているが、アイドルにだけはなることはない。ありえない。絶対にない。(自己暗示)
そもそも異世界漂流や女の子への変化と違って、アイドルは俺が望まなければ勝手になるものじゃないだろう。
いくらなんでも論理崩壊で気が付いたらアイドルになるなんてことはないだろう……ないよな? 論理崩壊が精神面に影響するとか──ないと言い切れないな。
うん、この事考えるのやめよう。はいやめやめ。
その後、リーグ戦のことやこっちの世界でのことなどで他愛ない会話をして、1時間ほどで解散した。
レジの店員が俺が代金払うのを見てちょっと驚いてたな。最年少に見えてたのかなやっぱり。
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●三人称視点
憎い。
憎い。
憎い。
以前はそこまでの感情は抱いていなかった。嫌悪感は抱いていたが、単細胞な連中と違いそれを表に出すデメリットは理解していたので、それを人に悟らせるようなことはなかった。腹の中に黒いモノを隠したまま人と付き合うのは子供の事からしていたことだ、何の問題もない。
だが、最近は嫌悪感がより強くなり隠し通すのが難しくなってきた。
嫌悪感──いや、もはや憎悪となったこの感情はどんどん強くなったのはいつからだろうか? 思い出せない。
まあそんなことはどうでもいい。
もう少し。もう少しだけこの感情は隠さないといけない。先日感情を噴出させてトラブルを起こした男がいたが、そいつはしばらく謹慎を指示しておいた。
運命の日までは後少し、そこまでに余計な問題を起こすわけにはいかない。
そう、あと少し──
「準備は順調に進んでいるんだろうな?」
男は目の前に立つ女に声を掛ける。
胸に論理解析局の職員証を付けた女は、その言葉にコクリと頷いた。
「万事抜かりなく」
「あの女の予定は?」
「スケジュールに変化はありませんわ」
その答えを聞いて、男は口に笑みを浮かべる。
計画に問題はない。
あと少し、あと少しで、この不快感から解放されるのだ。
「それではこのまま計画を進めてくれ」
「承知しましたわ」
女が頷くのを確認し、男は身を翻す。まだ、もう少しの間だけはこの感情を腹の中に隠し、仮面をかぶって生活しよう。ゴールが見えているから、我慢できる。
男は、女に背を向けて歩み去っていく。
その背中を眺めながら、女はその口の端を吊り上げて笑った。
男の憎悪に濁った瞳では、女の瞳の奥にある闇の存在に気づかない。




