エニウェア社懇親会
外見のスペックが高めなせいか、街を歩いているとちょくちょく視線を感じる。だがそれは大抵の場合すれ違う際にちょっと視線で追われる程度のものだ。たまに夜の街を歩いているとある制服の方に見つめられて声をかけられたりするが、印籠……じゃないや、免許証を出せばそれで解決する。
いやぁー、日本っていいなぁ!
異世界アキツとの二重生活を始めてから約3年。毎回日曜の夜こちらに戻ってきたときに思うことは早く週末がこないかなということだったが、今週頭にこっちに戻って来た時は安堵のため息を思わず吐いてしまった。そんなことはこれまでで初めてだったし、これで1週間は落ち着いて過ごせるなんてことを考えたのも初めてだ。
……だって向こうの世界、今エルネスト以外のどこにいても視線を感じるんだもん。疲れるよ……
後期リーグ戦初戦より大体2週間、当然その間には土日を挟んでいる為先週も向こうには行ったんだが、状況はよくなっているどころか悪化していた。というのも全てはあの記者会見のせいだ。その前の週のエニシングの出演の際はその視聴者とネットに流れた画像を見た人間までの知名度だったが、あの記者会見は完全に全国ネットで視聴者も多いニュース番組なども混じっており、ネット等をあまりみない方々の元にまで俺の姿が流されることとなった。その結果、老若男女から視線を集める羽目になっているのである。
それに比べればこちらで感じる視線など些細なものだ。尤もこの店に入っていく時はそれなりの視線を感じたがそれは仕方ない、ちょっと作業のクローズが遅れて一人で入ってきたしな。
「「「カンパーイ!」」」
それなりの広さを持つ店舗の中、数十人の重なった掛け声が響く。続けてグラスをぶつけ合う甲高い音がそこら中で鳴り響いた。
居酒屋喜楽。俺が勤務している会社エニウェアから徒歩数分の場所にある、うちの会社御用達の店。今日はその店舗の中がウチの社員だけで埋め尽くされていた。貸し切りでの懇親会という奴である。
ウチの会社は年に二回ほどこういった懇親会を行う。外部出向してほぼ本社には戻ってこない連中も多いため、こういう機会でもないとほぼ顔を合わせない奴が出てくるからだろう。普段飲みとかには全く参加しない俺だが、さすがにこれだけは参加するようにしている(費用会社持ちのタダメシだしな)
因みに後で面倒な事になるのもいやだったんで店舗入った直後に免許証掲示済みなんで、グラスの中身はビールです。最後にこっちで飲んだのいつだっけ、去年の忘年会?
とりあえず一気にジョッキ開けると注がれそうなので口を付ける程度にしてジョッキを置く。次はソフトドリンク頼もう、家事は片付けてきてあるから家に帰ったら風呂入って寝るだけとはいえ、飲み過ぎると明日に響く。
「いやー、いつ見てもなんか悪い事している気がするわねぇ」
俺の正面に座る女性が自らはジョッキの半分を一気に明けながらそう笑う。うん、初めて見る光景なのは間違いないんだけど、彼女達の記憶の中ではそういう事になるように辻褄合わせが起きたのだろう。
今回の懇親会に来るのにあたって、一つだけ懸念していた事があった。
それは果たして俺が女という認識が万全かという事だ。セラス局長が来て以降俺はずっと本社にいたためこれまでは問題なかったが、今日この懇親会には普段顔を合わせない出向組が二十数名来ている。その面子に対して局長からもらった指輪や記憶改変ウィルス(そう呼ぶことにした)が効果を発揮していなければいろいろ面倒な事に──
なんて事を思ったが、結論から言えば特に問題はなかった。久々に会った連中は軒並み俺の事を元から女と認識していて、怪訝そうな様子を見せるやつは皆無だった。そう今目の前に座っている彼女達のように。
今俺の座っている席は6人掛けのテーブルで、そこに座っているのは俺も含め全員女性だ。左右は二宮さんと鳴瀬さんで固められ、正面は出向組の二人と経理の戸松さんという女性で固められている。
最初俺は男時代に比較的社内では仲良くしていた連中のいる席に向おうとしたんだが、その途中で鳴瀬さんに拉致られた形だ。
ちなみにその後例の卯之原が物おじせず空いていた一席に座ろうとしたが、その当初向かおうとしていた席の連中がインターセプトした上で戸松さんを送り込んできた。お前等イケメンかよ、尚そいつらの席に女性社員は一人もいない。まぁがっついた連中じゃないし気にしてないだろうが。
「先輩何見てるんですか?」
「いやなんでも……あ、神宮司さんお酒注ぎます?」
「よろー」
ちょっと視線を外している間に残りの半分も無くなってるのおかしくない? と思いつつも正面の神宮司女史のジョッキにビールを注いでいく。まぁこの人蟒蛇だし心配はしないけど。
「先輩、そういうのは私が」
「気にしない気にしない、ウチの会社そういう年功序列的な事気にする会社じゃないし。後俺この後飲まないからこれくらいはね?」
「あ、そーなんです?」
「明日も朝から出かけるからね、翌日に酔いが残るのはちょっと」
会話の流れの中から、自然に周囲に釘をさす。これで酒に関しては心配いらないかな、少なくともこのテーブルの面子に無理に飲ませてくるような人はいないし。後は適当に食べ物つまみつつ注ぐ側に回ってればいいや。
「そいや二宮ちゃんはどうなの? 得意じゃないなら無理に飲まなくてもいいんだよ?」
「そこそこいける口だとは思うので大丈夫です」
鳴瀬さんも強いハズだし酒に強い人間しかいないなこのテーブルと思いつつ、自分もビールに口を付ける。俺自身は20過ぎてちょっとした後からは向こうからの2重生活が始まったせいで、それ程飲酒経験多くないんだよな、嫌いではないんだけど。
「ところでさ村雨ちゃん、この格好ってもうしないの?」
この格好?
俺は神宮司さんが差し出してきたスマホに視線を向け──
「ブッフォ!」
むせた。しかもビールに口を付けてたもんだから飛沫が飛び散って大惨事だ。
「ゲホッ! ゲホッ!」
「あわわ先輩大丈夫ですか!?」
二宮さんが咳き込む俺の手からビールのジョッキを回収し、鳴瀬さんが飛び散ったりこぼれたりしたビールを拭いてくれる。
「ケホッ……ごめん、鳴瀬さん二宮さん服にかからなかった?」
「私は大丈夫ですけど先輩のデニムが」
あー、少しこぼれてるな。まぁでもこの程度なら大丈夫か、濡れてるのが目立たない色合いでよかった。
「先輩、口元が……ちょっと動かないでくださいね?」
「え、何……うぷっ」
聞く前に口元にハンカチが押し当てられた。そして柔らかい手つきで拭われていく。自分でやるのにと思ったが無理につかんで止めるわけにもいかず結局なすがままになっていると
カシャ
「むぐっ……いや何撮ってんの!?」
「拭かれてる姿が可愛かったのでつい」
つい、じゃねーんだわ。というかだ、
「そもそもさっきの写真何よ!?」
先程差し出された神宮司さんのスマホに映ったのは性別変化後の初出社写真、すなわちロリータワンピース姿の俺だった。
「えー何々どんな写真?」
「これこれ」
「見せんでいいっ!」
隣に座る藤峰さんにスマホの画面を見せようとする神宮司さんに身を乗り出して手を伸ばすが、届かない。
「ひゃー、可愛いーっ。うそうそ、この格好で仕事に来たの?」
「来たらしいわよ。本社組羨ましすぎない?」
「羨ましいわね。ねぇ村雨ちゃん、うちに妹に来ない? もっと可愛い服着せて上げるわよ?」
「要りませんよっ! そもそも俺24ですよ!?」
「アタシ29歳だし何の問題もなくない?」
問題だらけだよ、だいたい妹に来ないってどういう日本語だ。




