お抱え運転手?
「ユージン、着いたわよ。……ユージン?」
掛けられる声と共に体が押される感覚に、朧気だった意識が覚醒する。
「おはよ、ユージン」
「ああ……わりぃ、うとうとしてたわ」
開いた視界に飛び込んで来た車のフロントガラス、その外の光景は記憶の最後にあるような流れる景色ではなく、見慣れた景色が静止画像として映し出されていた。
試合と会見を終えた後一度チームの皆と本拠に戻った後ミズホの車で転送施設まで送ってもらったのだが、その途中でどうも眠ってしまったらしい。
「お疲れみたいだったし、仕方ないわね」
「精神的にな……」
試合自体は圧勝だったので、これまでにないくらい疲労は少なかったのになんでだろうな?
「いやでもマジに助かったよ」
「いえいえ」
シートベルトを外しながら礼を言う俺に、ミズホはふふと小さく笑みを浮かべる。
送迎は、ミズホの方から申し出てくれたことだった。
行きの時の有様から、少なくとも今回に関しては電車で帰るという選択肢はありえなかったのでタクシーの連絡先を聞いたところ、「だったらアタシが送るわよ」と提案してきた。
とはいえ彼女の家の方角という訳でもなく、そして彼女自身それほど暇ではない(何せ副業的なものとはいえモデルと2足の草鞋だ。一般的な精霊使いと比べてもフリーの時間は限られている)のを知っている俺は一度は断った。が、彼女自身が「貴女と一緒にいる方がアタシは回復するから」とかスカした男が口説くようなことを言ってきた──いや、そもそも一回結婚しようとか言ってきたことあるし口説きの一環か? これ。まぁいいか、結局その言葉に甘える事にした。
ただおかげ様で帰路は視線等を気にせずのんびりすることが出来た。というかこの状態で電車に乗ってたら寝過ごしてたかな──そもそも寝れる状況にはならない気もするが。
「それじゃ、来週朝また迎えに来るわね」
扉を開き助手席から降りる俺の背中に、ミズホがそう声をかけてくる。
俺は地面に足を降ろしてから振り返るとそれに対して言葉を返した。
「さすがに悪い、来週はタクシーで」
「とりあえず私は迎えに来るから、そうされるとアタシ無駄足になっちゃうなぁ」
最後まで言わせる必要はないとばかりに俺の言葉に言葉を被せてきたミズホは、そう言い切ると「ね?」と首をわずかに傾けた。
……そこまで言われてしまうと、断りづらい。実際問題として暫く電車通勤は厳しそうなのは事実なのだ。
「……わかった、頼むわ」
「はいな。とりあえずそこいらのカフェか何かで待ってるからついたら連絡頂戴」
「ああ。……いろいろ助かるよ」
ミズホは俺がこの姿になって以降おかしな言動は増えたものの、それをおいといて見ればいろいろ細かいフォローをしてくれている。恐らくこの姿になって以降一番世話になっているのは彼女だろう。レオもフォローはしてくれるが、やはり今は同性ということもあってミズホの方がフォローは細やかだ。セクハラ的な視線とやたらとべたべたしてくるのはアレだが前者は過去に露骨ではないとは言えそういう視線を彼女に向けてしまっていたという負い目があるし、後者に関しては体を押し付けてきたりはするもののこちら側の妙な所を触ってくるとかはしてこないし、柔らかい体を押し付けられるのは正直……うん。俺も健全な男だからね、今女だけど。あれでもこれミズホは俺の意識は明確な男なのは分かってるんだから、これ色仕掛けなのでは?
──いやまぁ、こんな感じの事を男の時にこの銀髪の美女にやられつつ求婚されてたらあっさり受けてたかもな。ただし男の姿だったらミズホはそんなことはしてこないし求婚もしてこないが。
何にせよ、この姿になって3週間。こちらで過ごした日数自体は長くはないとはいえ本当に助かってるのは事実だ。
「そのうち何か礼をしないとな」
「じゃあ結婚しよ?」
「それ以外で」
「冗談よ。いや結婚したいのは冗談じゃないけど。……今日に関してはお礼はもう貰ったわよ?」
「……寝てる間に妙なことしてないだろうな?」
「まさか。可愛い寝顔を見せてもらっただけよ」
ぐ……。だがこれは寝た俺が悪いか。それに別に同僚に寝顔を見られたくらいは何ともない。見知らぬ男とかにまじまじと見られてたとか言われたらゾワゾワしてきてしまうだろうが。
「あーでも」
「でも?」
「お礼したいってなら、ミズホさん欲しいものがあるなぁ~」
その言葉に、何を言われるのかと思わず身構えてしまう。が、彼女が言い出したのはそれほど無茶な事ではなかった。
「感謝の言葉が欲しいっ!」
「ありがとう?」
「”お姉ちゃんありがとう”がいいなー、上目使い気味で。はいリピートアフターミー、”お姉ちゃんありがとう”」
「お姉ちゃんありがとう」
「う´っ」
「……お前言わせといて何だその反応」
「いや普通に言ってくれるとは思わなくて」
他人の視線もないし、別にただ呼び方を変えるだけのおふざけのようなものだったから言ってやったのに……
「お姉さん満足です。これで一週間幸せに過ごせます」
「幸せ安すぎないか?」
後俺の方が年上だ。
正直この程度であればいうのは別に構わないんだが。ただエスカレートされるのも面倒なので伝えるのは止めておこう。それにそろそろ時間だ。
「んじゃそろそろ行くわ」
「ああ、人待たせてるんだっけ。了解、それじゃまた次の土曜日に」
「またなー」
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「そういえば今すごい人気みたいですね、村雨さん──なんですか、フレーメン反応中の猫みたいな顔して」
「いや、金守さんから話題を振られた事が記憶になかったので……」
この姿に変わって以降、金守さんの俺に対する応対が少し柔らかくなった気がするし(やはり一回り近く年の離れている男だったから警戒されていたのだろうか?)、俺と秋葉ちゃんの会話に自分から混ざってくる回数も増えたが彼女が自分から話を振ってくるということはなかったので、思わず妙な反応をしてしまった。
空は夕暮れ時。尾瀬さんのマンションを離れ、楽しそうに歓談しながら歩く二人の後ろをぼんやりと歩いていたら急に振り向いてさっきのセリフだ。驚いても仕方ないと思うのだが。
「試合終了後の帰り道に秋葉ちゃんと一緒に拝見させてもらいました」
「アレ見たんだ……」
「あはは、すごい記者さんの数でしたねぇ」
「ウンソウダネ」
知り合いの10歳近く年下の女の子にあんな情けない姿見られたのか……正直顔を隠してこのまま走り去りたい。そんな俺の気持ちに気づいたのか金守さんは多分間違いなく過去にないレベルの優しい顔を俺に向け、穏やかな口調で言った。
「もっと人気者になって、人々の注目を集めてくださいね?」
「いやだよ!?」
もっと優しい労わるような言葉が来るのかと思ったら全然想定しないものが来たので、間髪いれず突っ込んでしまった。
「村雨さんのおかげか、今週はこちらの注目が減っていた気がするのですよね。なのでもっと頑張ってください」
「完全に人身御供じゃん!?」
「可愛い後輩の為に一肌脱いでいただけると私と秋葉ちゃんが幸せになります」
「あはは……」
秋葉ちゃんが乾いた笑い声をあげる。
この二人、本格的な参戦は現シーズンの前期からなのに所属チームはB1のリーグのトップ走ってるし、外見も可愛らしいし確かにデビュー以来頻繁に話題に上がっている。今回俺があっているような状況に似た事もあったんだろう、大変なんだな……というのは今は実感を持ってわかる。
わかるし大変だとは思うが、その大変を俺が背負い込むのは勘弁だなぁ!
結局その後も金守さんはにこやかな笑みを浮かべながら期待してますよ、といって分かれ道を去って行った。秋葉ちゃんは恐らく自分の相棒は冗談を言っているのと思っていたっぽかったが、金守さんあれ完全な本心だろ、なんか圧を感じたし。
いやでも申し訳ないけどマジで勘弁ですわ。幸いこっちはC1リーグ、今は珍獣扱いで注目を集めているが暫くしたら落ち着いて注目は彼女達の元へ戻るだろう。何せあっちは恐らく来期はAリーグに昇格するだろうし、しかも俺みたいな紛い物ではない天然の美少女だしな、その時はまた大変だろうが頑張ってくれ……




