異世界転移は一泊二日で
翌日。
朝早く、といっても日の出近いという時間でもない、大体8時頃を回ったくらいの時間で俺は家を出た。荷物は財布とスマホ、後は家の鍵のみなのでで実質ほぼ手ぶらだ。何せ向こう側には最低限身に着けている衣類以外は持ち込み不可なので、余計なものを持っていく意味がない。正直鍵以外は何もいらないんだが、まぁ財布とスマホは出かける時はもってないと何となく不安になるのでズボンのポケットの中に突っ込んでおく。
目的の場所は1.5kmほど。車を使うほどの距離でもないので、土曜日の朝方のまだ人気の少ない道を少し足早に歩いて行く。早く着きすぎても待つ時間が長くなるんだが、下手に同行者より遅れて向こうを待たせるようなことはしたくないしな。
この辺りは住宅街で、大きな街道よりも少し離れた道なので車通りもそれほどない。たまに道沿いの家から話し声が聞こえてきたりもするが基本的には静かな道を黙々と歩いていると、丁度道を曲がったところで見知った顔と鉢合わせた。
「村雨さーん」
同じ道に続いている別の通りから姿を現した少女が、まるで犬が尻尾を振るかのように手をブンブンと降ってくる。今日は私服で、やはり俺と同じように手ぶらだ。
「おはよう、秋葉ちゃん」
軽く腕を上げて挨拶をしながら、今日は俺の方から近寄っていく。すると曲がり角の影からもう一つ人影が姿を現した。
「……金守さんもおはよう」
「おはようございます」
秋葉ちゃんの後方に付き従うような位置に現れた少女は素の表情でそういうと、小さく頭を下げた。
彼女の名前は金守 千佳子で、秋葉ちゃんの友人兼、チームメイトだ。年は秋葉ちゃんの一個下で中学3年生、秋葉ちゃんと同様に半年前に知り合ったばかり……なんだが。秋葉ちゃんに比べると明らかに俺に対して距離を持って接してくる。
まぁ年齢的にはほぼ一回り違うわけで、せいぜい週に2回ちょっと短い時間で会う程度の人間に対しての反応としてはそれほどおかしくない気はする。というか秋葉ちゃんが人懐っこすぎる。
そもそもこれでも彼女の俺に対する距離はこれでも以前より縮まっているのだ。実は最初の頃は、彼女は俺に対して笑顔を向けてくることはあった──ひどく他人行儀な。気づかない人間は気づかないと思うが、俺は割とその辺り敏感な方なので気づいてしまった。
最近ようやく気付いたのだが、彼女は心底どうでもいい相手だと表面上に貼り付けた感情だけで対応する。そしてある程度親しくなると、普通に対応してくるのだ。ようするに今の俺はどうでもいいレベルよりは上なわけだ、ただ別に笑顔をわざわざ向けるような感情はないだけで。まぁMAX100レベルのところで0から5に変わったくらいだろうけど。
「それじゃいこっか、千佳ちゃん、村雨さん」
「うん、行こう秋葉ちゃん」
ちなみに秋葉ちゃんに対するレベルは多分80くらい超えてると思われる。今も彼女は並行して歩き出した秋葉ちゃんに対して年相応の屈託のない笑みを向けていた。──あまりじっと見るとジト目で見返されるのですぐ視線は外したが。
そうやって二人で楽し気に談笑する少女たちの後ろをのんびりと歩きつつ、たまに気を使っているのか話をこっちに振ってくる秋葉ちゃんの言葉に答えてたりしている間に、俺達は一つの建物にたどり着いていた。
それは割と新しい6階建てのマンションだった。そしてこれが俺と秋葉ちゃん達の目的の場所だ。俺達はそのままエントランスに入り、丁度停止していたエレベータに乗り込み4階へ向かうとそのフロアで一番奥にある扉へ向かう。
ドア横のインターホンを鳴らすと中からどたどたと音がして扉が開き、中から30歳前後の中肉中背の男性が姿を現した。
「おはようございます、尾瀬さん!」
秋葉ちゃんが元気よく挨拶し、それに続いて俺と金守さんも挨拶をすると男性はその顔に温厚そうな笑みを浮かべて俺達を家の中に招き入れる。
「3人一緒だったんだね。だったらすぐ向こうに行くのでいいかな?」
「お願いします」
尾瀬と呼ばれた男性の言葉に、俺は靴を脱ぎながら頷くと
「お邪魔します。後これ」
廊下に上がりながらズボンのポケットの中から財布とスマホ、それに鍵を差し出す。同様に秋葉ちゃんと金守さんもスマホを取り出し、尾瀬さんに手渡した。
「うん。確かにお預かりしました。それじゃあ僕はこれをちょっとしまってくるから、君たちは先に部屋に行ってもらってていいかな?」
「わかりました」
そう言ってリビングに消えていった彼を見送りつつ、勝手知ったる尾瀬氏宅の奥へ進みそこにある扉に手を掛ける。
何の変哲もない扉をゆっくりと引いて開くとそこにあったのは──
フローリングの床の上には家具も何も設置されておらず、窓に備えつけられたシャッターも降ろされた、まるで生活感のないどころか人が住んでいる家にある部屋とは思えない、薄暗さを感じる部屋だった。
だが、俺達にとっては見慣れた部屋だ。特に示し合わせる事もなく俺達3人はその部屋の真ん中に並んで立つ。
この部屋は、向こう側に行くために準備された部屋だ。何も置いてないのは転移するときに誤って余計なものが転送されないようにするためらしい。
「せめて魔法陣っぽいものでも書いてあれば雰囲気が出るんだけどなぁ」
「うさん臭い所へ飛ばされそうな気がするので私は嫌ですね」
「え、私はそれっぽくていいと思うよ」
いや金守さん俺の方ジト目でみないでよ、今の俺別に何も悪くないでしょ。
11歳も年下の少女の視線のプレッシャーに負けて目を背けると、丁度尾瀬さんが部屋の中に入ってきた。
彼は部屋の扉を閉めてこちらに歩み寄ってくると秋葉ちゃんの正面に立った。俺と金守さんはそれぞれ彼女の斜め横に立っているので、4人で円を作るような形だ。尚この形に深い意味はなく単純に近くに集まっていた方がいいのでそうなっているだけである。
「それじゃ飛ぶよ? 準備はいいかい?」
尾瀬さんの言葉に俺達3人は無言でうなずく。それを確認して彼は手元にある何かを押した。
──何も起こらない。
が、それは想定内だ。毎回毎回これは発動するまで10秒くらいのタイムラグがある。なので俺は心の中で秒数を数える。
今日は、12秒だった。
視界に映っていたマンションの一室の白い壁が、一瞬にしてコンクリート打ちっぱなしの灰色の壁に切り替わる。
転移完了だ。もうここは俺達の世界の向こう側、俗に言う異世界という奴に到着したのである。最初この転移を体験したときはあまりにあっさりしすぎて拍子抜けしたもんだが、もう数十回と経験した今となっては何も感じない。それこそさっきのようにエレベータに乗って降りてくらいの感覚に近い。なので俺達は特に感傷に浸る事もなく部屋を出るといつものように簡単な入国(入界か?)の手続きをすませ、淡々と外に出る。
割と大きい施設である転送施設のビルの外からでると、そこには一台の車が停車していた。迎えの車だ。
その車の助手席に乗り込みながら尾瀬さんは俺の方に振り返り、
「村雨さん、貴方は向こうに戻るのは明日でいいんですよね?」
「はい、いつも通り今日は泊りです」
「わかりました。遅れそうだったら僕宛てに連絡お願いします」
「了解です」
その俺の答えを確認し、尾瀬さんは車の助手席に消えていく。
その彼に続くように車の中に入っていく秋葉ちゃんの背中に向けて俺は声を掛ける。
「明日の試合、頑張ってな」
その言葉に彼女は振り向くと、満面の笑みを浮かべて答える。
「村雨さんも!」
車の扉が閉まり、彼女との間を遮る窓ガラスの向こう側で秋葉ちゃんが手を振る……奥を見たら金守さんも手を振っていた(ものすっごい真顔で)。……LV5から6にアップしたかな?
やがて車は発進し、手を振る秋葉ちゃんの姿が見えなくなる(尚彼女は姿が見えなくなるまで後部座席で後ろを見ながらずっと手を振っていた)のを見届けると、俺は異世界のアスファルトで舗装された道をゆっくりと歩き出した。
「それじゃ俺も駅に向かいますかぁ」