ユージンちゃんはお疲れです
「ママっ!」
ミズホにそのまま案内されて飯屋の個室に通されたら、即座に突撃をされた。
その犯人の小さな体を、俺は真正面から受け止める。
犯人──アイリはいつも通り俺に抱き着いてくると、胸に顔をうずめてくる。アイリさんそこ好きよね、実質まだ0歳の赤ん坊だからかな? 身長差的にちょうどその辺りに顔が来るのはわかるし、アイリくらいの女の子に顔をうずめられても別に不快な事なんて何もないから別にいいんだけど、ブラの凹凸とかが顔当たって痛くない? 大丈夫?
まぁ、そんなことよりもだ。
「アイリ、ユージンな」
「ユージンママ」
違う、そうじゃない。
どうやらアイリ、ママという呼び名の響きが気に入ったのか、或いは言葉の意味を知ってそう呼びたいと感じているのか、俺の事をママと呼びたがる。最近は大抵の事は聞き訳がいいのに、そこはなぜか頑ななんだよな。
「……あまり外では呼ばないようにな」
小さい子供にあまり強くいうのもあれだなと妥協の提案をしたら、アイリは俺に抱き着いたままコクコクと頷いたのでよしとした。
それから部屋を見回せば、想定している面子が揃っていた。レオとサヤカ、それにアイリの面倒を見ているいつものお姉さんだ。……正直このお姉さんの方がずっとお母さんっぽいと思うんだけど、アイリはこの人の事はママと呼ばないんだよなぁ……やはり当初の刷り込みの力は強いんだろうか。
「悪い、待たせたな。まだ注文してないの?」
空いている席に腰を降ろしつつ──アイリが膝の上に座りたがったがこれから飯を食べるのに食べづらいので横の椅子に座って貰った──そう座っている面子に問いかける。テーブルの上に飲み物がなかったので。
その問いかけにはサヤカが答えた。
「ユージンがすぐ来そうだったからね、待っていた。まぁ思ったより時間かかったけど」
そういったサヤカはちらりと外へ視線を向けた。
ミズホも窓から見えたっていってたし、サヤカからも見えてたんだろうな。チームの為にファンサしてたんだから見逃しておいて欲しいところだ。
「とりあえずユージンが決まったら、注文しよっか」
「あ、だったらもう呼んでいいぞ、決まってる」
行きつけの店なので、何があるのかは解ってる。他の面子はすでに頼むものは決まっているのだろう、店員呼出ボタンを押してしばし。やってきた店員に6人分の注文を済ませ、出ていく店員を見送ってから最初に口を開いたのはミズホだった。
「ところでユージン、少しお疲れかしら?」
「……わかるか? 顔に出てる?」
「顔に出てるわけじゃないけど……所作に少し出てるかな?」
そんなんでわかるんか……
「まぁ、昨日がいろいろ忙しくてな」
木曜日の朝日本の方へ戻って、シャワーを浴びてからそのまま仕事に行ったんだけど……これが失敗だった。
帰路でほんの少し仮眠を取ったとはいえ車のシートの上、事実上ほぼ完徹で出勤する事になったんだが……正直そんな状態の頭では順調に仕事が進むこともなく、ミスを連発した。しかも結局サヤカの件は聞かれるし。
隣人で、ちょっと借り物をしてて、その詫びで彼女の仕事を少し手伝ったという雑な説明で済ませたけど。まだ聞きたがっている気配はあったが明らかに俺がグロッキーだったので、なんとか引いてもらえた。今後また聞かれるかもしれんが、もうこの件に関してはごり押しでごまかしとおそう。隣人っていうのは嘘じゃないし。
で、その日は周囲にも言われてとっとと定時で帰って早めに布団潜って爆睡した。多分10時間くらいは寝てしまったと思う。なんで眠気はそこで解消したんだが……その翌日がヤバいことになった。
まず前日に回っていない頭で仕事していた部分でヤバい部分のミスをしていたことが発覚、やり直すことになった。結果数時間単位の手戻りが発生したので、結局休んでた方がマシだったという。サヤカの件も結局聞かれることになったわけだし……
まぁでもこっちの方はまだいい。前日の仕事が無駄になったくらいで、その日のうちにリカバリーしなければいけないって話でもなかったから。問題はもう一つの方だ。
別チームのやってるリリース間近のシステムでトラブルが発覚した。すでに外部にリリース周知も出ておりリリース延期はできず、その結果当日本社にいたエンジニアのうち緊急案件持ってない奴総出でリカバリーに回る事になったわけで。しっかり巻き込まれましたよ、ええ。
結果としてなんとかトラブルは解消したが、その頃にはとっくに日が暮れていて。タクシーで家に帰って食事と風呂を済ませたらもう日付変わる時間だった。
悪い事は重なるものって言葉を身に染みて感じたね。しかも今日は朝からちょっと日本側での用事があったので朝遅くまで寝ていられなかったっていうおまけ付き。本当に重なりまくりだ。
水曜の夜と違って睡眠はそこそこちゃんととれたけど、前日脳みそフル回転させていたせいかだるさが抜けきってないんだよな……
「今日はゆっくりすればいいんじゃないかしら? 外部とのやり取りもないしさ」
「だなー、そこは助かった」
一度事務所に行った時に教えてもらったけど、ちょっとだけ今日のスケジュールが変更になっていた。実は今日撮影が絡んだ取材が一つ入っていたんだが、とあるトラブルがあって取りやめ(ウチじゃなくて先方のトラブル)。その代わりに機体の調整が入っていた。先日のトリモチの件でいろいろ整備しなおしたのでそれの最終調整だな。
それ以外は今日は公式ファンクラブ向けのスナップ撮影とか記事にするための質問の回答が入っているけど、これはチーム内の奴でCMや広告の撮影程しゃちほこばったものにはならないから、多少気楽でいられる。
「終わったらとっととミズホの部屋に行ってのんびりしよう。なんなら子守歌を歌ってやるぞ」
「子守歌はいらんけどそうさせてもらうわ……」
「遠慮しないでもいいんだぞー」
しとらんわ。って頬をつついてくるな! ああもうアイリが真似してつついてくるじゃねぇか。
「やめい」
ぺちっと軽くサヤカの手を払うと、サヤカは「おや残念」とつぶやいて手をひっこめた。反対側からアイリがまだ突っついてくるけど、そっちは代わりに頭を撫でてやったら満足そうな顔をして止めてくれた、
ちなみにその光景をレオがいつも通りガン見してたけど、見てたのは俺とサヤカのやり取りだけだったな。子供との絡みは彼の守備範囲外らしい。そこは一安心である。この年齢の子の絡みまで守備範囲内だったら、公園で遊んでいる女の子達ガン見してていつか職務質問されそうだし。身内からそんな人間を出したくないので。うちはスキャンダル皆無で通して来てるんだぞ、俺の女性化とかサヤカの加入とか別の所でインパクトが多いせいでもあるけど。
「本当、今日は外部での撮影とかなくて良かったわね? その状態で撮影とかしんどいでしょ?」
ミズホの言葉に俺は大きく頷く。申し訳ないけど、トラブルで延期になった件は本当にありがたかった。……あ。
「……そういや、トラブルって何があったの?」
事務所で聞いたのは延期になったって事だけだ。皆を待たせてるからって詳細な事は聞いてなかった。
その疑問に答えてくれたのは、レオだった。
「今回の撮影、俺らの他にもう二人モデルがいたらしいっスけど、そのウチの一人に鱗が生えたらしいっスよ」
「鱗……論理崩壊か?」
問い返すと、レオは頷いた。
「なんだ、そのモデル街から離れた場所で撮影でも行ったのか?」
「いや、街から離れてなかったらしいっスよ。郊外にもよってなかったらしいっス」
「え、マジで?」
論理崩壊は基本人の多いところでは発生しないハズ。深淵の一件の後に俺が巻き込まれた事があったが、あれだって場所としては郊外だ。なのに、郊外でもない街の中で発生した? それって非常にヤバい状態なのでは?




