平坦な日常
「先輩、美味しいですか?」
「んっ……うん」
こちらの方をにこにことして見ながらそう聞いてくる後輩──二宮ちゃんに、俺は口の中にあるものを飲み込んでから頷きを返す。こっちでも俺は飯食ってるところよく見られてるなーと思いつつ。やはりはたから見ると美味そうに食ってるんだろうなぁ。
──週の半ばの水曜日。すでに陽は落ちたその時間に、俺たちは会社よりやや離れた飲食店で夕食を取っていた。
一緒にいるのは鳴瀬さんと二宮ちゃん。ようするに会社の同僚だ。
ここ最近……いや、最近というかこの姿になってからは割とだけど、こうやって会社の同僚と業務終了後に食事を取ることがある。
以前から二宮ちゃんや鳴瀬さんには自分ではよくわからんけど必要なもの──衣類とかスキンケア用品とかだな、そういったものを買うときには付き合ってもらってるんだが、さすがにそういうことには付き合ってもらっておいて食事の誘いは断るのはあまりにあまりなので、付き合うようになった。
まぁ金曜日は外してもらってるし、平日だから基本的にはお酒も無しなので特に問題もないしな。定時上がりできれば飯食ってその後しばらく話してから解散してもいって8時くらいだし、俺(というか二宮ちゃんや鳴瀬さんも)電車で30分以内の駅なので極端に遅くなることもないので安心だ。時間的にも家に帰って飯作って食べる事を考えたらそれほど変わらんし。
ちなみに会社の側にも飲食店はいくつか存在するが、その辺は毎回外されている。理由はアレだ、余計なのが混じってこようとしたりするので。男子社員の一部だな。なので、毎回少し離れた店に来てるわけ。今日は二宮ちゃんが見つけてきた新規の店だ。
参加メンバーは毎回流動的だけど、俺が参加するときは基本鳴瀬さんと二宮ちゃんは参加してるかな? 後は本社勤務の面子が参加したり、出向の人が戻ってきて参加したりだ、参加するのは女性陣だけだけど。
……これ、女子会って奴なのかな? 女子会の基準がどういうもんなのかわからんけど。女子だけで集まってればそうなのだろうか。
うん、なんかね。先日向こうでもちょっと話題に出たけど、本当に今の俺男との付き合い薄いわ。もちろん恋人的な話ではなく日常付き合い的な面で見てもな。
こっちの世界の交友関係、正直なところ今はこの女子会(?)くらいしかない。なんで仕事上の付き合いと会社全体での飲み会を除けば、ほぼ男との関わりなしだ。
いやな、何度か誘われたりはしたけど。でかい規模の飲み会ならともかく、少人数の飲みや食事となると……うん、別に一部のアレな奴を除けば別にうざいことしてくるとかセクハラかましてくるとかじゃないんだけど。明らかに一定の気を使われているというか……特に会社の連中は元の男としての付き合い方を知っているせいか違和感バリバリでな。結果としてこっちもなんか気疲れしちゃう感じがしていかなくなった。
後明らかに女性社員がガードに入ってくるのよね。彼女達曰く
「有人ちゃんはガードが甘い」
……まぁ、これはミズホたちにも言われてるからな。以前は男の距離感で接してしまっていたところもあるし。最近は大分マシになってきたとは思うんだが。
「男のあしらい方がなっていない」
そりゃ慣れてるわけねーですわ。こっちはまだ女性歴2年未満ですわよ。
「ま も ら ね ば」
……サイズと、女性的な知識の欠如により時たま抜けた行動をしてしまうのと、こっちでは言動を比較的抑えめにしてるせいで、相変わらず会社ではそういう対象でみられてる節があるんだよなぁ……とりあえずたまに膝の上に乗せようとするのは断固拒否るが。元が男云々の前に成人なんだよ。そもそも小柄といってもそこまで小さくねぇ。少なくとも小学校高学年の平均くらいはある。
「お待ち帰りされそう」
やめてくれ。
「むしろお持ち帰りしていい?」
これ言う時マジ顔でいうのやめてほしい。……冗談だよな?
とまぁ、いまだそんな扱いだ……というかこの扱いで固定されてしまった感じがある。
とはいえ、距離感としてはあくまで同僚か、友人程度の距離感であるとは思う。だから、大事にしたい関係だ。
なにせ、日本サイドのほぼ唯一の人間関係ともいえるからな!
俺は両親は既に亡くしているし、両親亡き後学校卒業まで面倒見てくれた叔母は今は海外だ(もともと旦那と海外在住で、俺の面倒を見るために一時帰国してくれていた)。地元の友人とは会えば面倒なことになりそうなので完全に疎遠だし。え、今の住んであるあたりの知人周りって? 21からほぼ週末アキツに行ってる俺にそんな知り合い作る余裕あるわけないでしょ。
サヤカと秋葉ちゃん達は、アキツ繋がりの友人なのでノーカウント。
いあや、こう見ると俺もう日本側に残ってる意味合いほぼないよなぁ。こっちの世界でしてるのってほぼ仕事と家事、トレーニングくらいだし。むしろこっちを残しているせいでワーカホリックみたいなスケジュールになっている。
人間関係はもはやアキツ側の方が圧倒的に濃い。外見少女で中身は男っていうのを向こうの人間は知っているからその点で苦労する点はない。本来であればもはやこっちは引き払ってアキツへ移住を選ぶべきなんだろう。
──向こうでの俺の知名度がアホみたいなことになってなければな!
いや無理ですよ、あっちの世界で毎日暮らすとか。いつも街に出るとき変装して外出してるんですよ? いやだよ、毎日そんな生活するの。
最近はたまに向こうでの生活を考える事がなかったわけではない。正直このままミズホやサヤカと同棲生活もちょっと考えた。けど考えた結果やめた。俺には日本が必要だ。
だが、向こうでずっと生活してたら多分俺の心が死ぬ。人には休息が必要だ、心の。
ビバ日本ですよ。こっちでも多少目を引くのは確かだけど、アキツ側とは比べ物にならんし。こうやって店の中で飯食ってても視線を集める事もない。向こうだとたまにこないだみたいな──
「先輩!? 先輩!? なんか急に動き止めて死んだ目になりましたけども、何か変なモノ入ってました!?」
余計なことを思い出して一気に気分が沈んだ俺をみてあげられた二宮ちゃんの声に、店員がぎょっとした顔で目を見開いてこっちを見た。
「んーっ……!」
俺は慌てて口の中に入っていたパスタを飲み込むと、ぶるぶると店員の方に首を振る。それを見て店員は安堵の息を吐き、俺も同様に安堵の息を吐く。
「どうしたの?」
「いや、ちょっと余計な事を思い出しただけで……」
「余計な事?」
「あ……いや、ちょっと家で切れてるものがあって、帰りに買って帰らなくちゃなーって」
正面に座っていた鳴瀬さんが心配気に聞いてきたので、俺は適当にごまかして答える。アキツの事とか言えるわけないし、アキツの事を隠して起きたことを話すにしても、隠し子疑惑をネタにされてますとか言えるわけがない。
駄目だ、今は向こうの事を考えてはいけない。今は癒しの時間、ここにいる俺はユージンではなくただの一般市民村雨有人だ。落ち着け落ち着け。
レモンティーのグラスを取り、ストローを口に含む。ガムシロップを入れているのでちょっと甘めの冷たい液体が口の中に広がった。おいしい。
ふう。今はまだ週末じゃない。今週末はまだ試合じゃないし、向こうの事で考えなくちゃいけないこともない、むしろ考えてはいけないことがある。余計なことを考えずに今は料理を楽しむのだ。
そんなことを考えつつ、俺はふと窓の外へ目をやり──
見覚えのある金髪碧眼と目が合った。
ぷぴっ。
「きゃあっ、先輩どうしましたかっ!?」
慌てて俺が噴出した紅茶を拭きつつ声をかけてくる二宮ちゃんに、だが俺は答えを返せず固まっていた。
なんでサヤカがこんなところにいるんだ!?




