論理崩壊注意報
「ユージン、すき」
アイリは再び言葉を、それも好意を示す言葉を紡ぎ、そしてにこーっと笑ってからまた胸もとにぐりぐりと顔をこすりつけてくる。
ナニコレ、この可愛い生物。あと本当にいつも胸にぐりぐりしてくるけどそこまでおっぱいすき? いや単純に身長の高さでその辺りになるんだろうけど。身長差、30cmほどあるし。
……でも、こっちが座ってる時でも一緒だったな。なんだろう、母性的なモノを求めているのだろうか。
なんにしろ相手がずっと小さい女の子なので、胸に執着されてもさすがに不快感を抱く事はない。さすがに吸わせてはあげないけどな? 相変わらずこうされるとちょっと妙な感覚はあるけど。
とりあえずその小さな体を抱き寄せてあげると、アイリもそれを返すようにぐりぐりをやめて背中に回した腕に力を込めてきた。……結構力強いな、苦しいって程でもないけど。
まぁでもおとなしくなった。なので俺は顔を上げると職員さんの方を見た。
その視線の意図をくみ取ってくれた職員さんが口を開く。
「──丁度、昨日からいくつかの言葉を喋り始めたんですよ。まだ文章的なものは無理で、あくまで単語がいくつかだけですけど」
「単語自体はみなさんが教えているのですか?」
「ええ、とりあえずいくつかすぐに使いそうなものを教えました」
成程、それで俺の名前とかもすでに知ってるのか。好きっていうのは、好き嫌いを示させるために教えたのかな。
「アイリちゃんは飲み込みがすごく早いので、多分すぐにこちらの言葉は覚えてくれると思います」
「そんな優秀なんですか?」
問うと、職員の女性はコクリと頷く。
確かにこれまでもいろいろな事を吸収して学んでいく速度は凄まじかったけど。卵から出てきた時点である程度成長した姿だったのもあり、種族特性なんだろうなこの学習能力。
後、言葉は元の世界の言語を知らないのも有効に働いているのかもしれない。一度言語覚えてから別の言語覚えるより、覚えやすいだろ。
何にしろ、言葉を覚えてくれるのは助かるね。意志の疎通がしやすくなる。言葉が通じない上に相手がここまで幼いと、意志の疎通はなかなか難しいからな。
でもって、それから。
俺はぴっとりとへばりつくアイリを抱きかかえたまま、職員のお姉さんから改めてアイリの件に関して説明を受けた。
ひとまずアイリの面倒は当面論理解析局の方で見てくれるそうだ。
通常は彷徨い人はアキツに関する教育や様々な保護を行いつつも自活できるようにしていくのだが、アイリのように幼い存在の場合は一人で生活させるわけにもいかないので、今回のように当面の間は局や局との契約施設で面倒を見る。その後は主にロスティア方面の家庭の養子になったり、場合によっては解析局の職員の養子になったりするのがよくあるパターンらしい。
その辺の身の振り方は今後ゆっくり検討されていくそうだが、アイリ自体が刷り込みのせいで俺に懐きまくっているので、ある程度の協力を求められた。あくまで無理のない範囲でだが。
まず前述の養子の件に関しては、俺の養子にするなんてことは局の方でも一切考えてないそうだ。そもそも俺はこの世界にいるのは週の3分の1にも満たないしな。それに親族もいないし。何よりこっちの世界での俺は非常に多忙だ。その辺は勿論論理解析局も理解してくれている。
アイリの方も精神面が成長するにつれかなり物わかりのいい子になっており、無理に俺にへばりつこうとはしてこない。ただやはり我慢しているようで言葉を喋れるようになってからは俺に会いたい旨を何度も伝えてきているそうだ。
なので、定期的に会ってあげて欲しいとのこと。
論理解析局の事務所に俺が頻繁に出向くのは時間の余裕がないので、向こうからエルネストの方へ出向いてくる。またその際にスタッフが付き添い、基本的にはそっちで面倒を見てくれるらしい。空き時間とかにある程度相手してくれてればいいとの事。そんなに構わなくても、アイリは俺の事を見ているだけで割と満足げにしているそうだ。
まぁ、その程度なら……比較的距離の近い親戚の子とか近所に住んでいて懐いてくる女の子くらいの感覚で済みそうだなという感じだ。そんな子を相手にした記憶も過去にはほぼないけどな!
当然のごとく俺にはアイリの面倒を見る義務なんてものはなくあくまで要請ですとのことだったが、俺としても刷り込みによるものとはいえ自分に懐いてくる幼い少女を無下にもできなかったので了承した。
ありがとうございますと頭を下げた職員さんの喜び方、義務的なものではなかったのでアイリがちゃんと可愛がられているのが見て取れてよい。
「ああ、そういえば伝え忘れてた」
とにかくそんな感じで話はまとまった所でそれじゃ俺等はトレーニングに移るかと席を立とうとした時、ミズホがそう思い出したように口を開いた。
「なんだよ?」
立ち上がる時に素直に離れてくれたアイリの頭を撫でつつ、彼女の方に顔を向ける。
「注意報が出てるのよ」
「注意報?」
「そ。論理崩壊のね」
「論理崩壊の? またどこかで鏡獣でも出そうなのか?」
「そうじゃなくて」
俺の言葉に、ミズホが首を振る。そして言葉を引き継ぐようにレオが説明してくれた。
「鏡獣や彷徨い人が出現しそうな規模のものじゃなくて、小規模の論理崩壊が発生する確率があがったり、発生する範囲が広まってるらしいっスよ。ほら、深淵の後の時みたいな状況っス」
「ああ、成程」
その説明で納得がいった。なるほど、以前俺が無重力状態に陥った時のように、本来は発生しない街の近郊でも論理崩壊が発生してるのか。
「先週のアレの影響ですか?」
職員さんの方に視線を向けて問うと、彼女はコクリと頷いた。
だよなぁ、よく考えればあんだけ多重発生したんだ、そういった状況に陥ってもおかしくない。
「危険性のある論理崩壊が発生する可能性がある場所には接近禁止の通達が出てる。だが影響の少ない論理崩壊は他の場所でも発生しうるから気を付けて欲しいとチームにも通達がきたらしいぞ」
「了解だ」
サヤカの言葉に俺は頷く。
精霊機装の事務所は郊外にある事が多いし、機体を作動させての動作テストは当然街を離れたところで行われる。論理崩壊は生活圏から離れた人の少ないところほど発生しやすくなるから、そのためわざわざ通知を送ってくれたのだろう。
「そいや、この辺で被害者も出てるのか?」
「出てるわよー。外れの方で農園やってるおじさんとか」
「マジかよ。どうなったんだ?」
「頭がフサフサになったわ」
「ふさふさ」
「ええ、そうよ」
ふさふさ……
ええっと……
「いい事では?」
「生えたの白い動物の毛っぽい奴だったから……今そのおじさんの頭毛玉みたいになってるそうよ」
「毛玉って……」
「頭全体だから。顔にも生えてるそうよ」
「それは……」
命に害は確かになさそうだけどくっそ邪魔そう。
しかし、小規模の論理崩壊かー。深淵の時はピンポイントで発生したのを踏んじゃってるし、アレ地味に側にミズホがいなかったら危なかったから、気を付けておくか。
特に事象系ならまだしも身体に変化が出る効果喰らっちゃった場合は、まーた日本の方へ戻れなくなるしな。いい加減有給も心許ないし、もうそういった理由で休みたくない。
ま、精霊機装の操縦席にいる間は論理崩壊の影響は受けないので、トレーニングとかの際に外れの方まで行かない限りはリスクは低いだろう。むしろスタッフの方に影響がでないか心配だけど……明日でシーズン終了なのはタイミング的には良かったかもしれない。




