邪魔なモノ
体を前に大きく倒し、息を整える。そこかしこから溢れ出す汗が、ぽたぽたと床へと落ちて行く。高めの位置で纏めたポニーテールが顔の横に垂れ下がり、呼吸に合わせて小さく揺れていた。
「あー、きっつ」
多少呼吸が整ってきたのを感じ、俺は体を起こした。
ベンチに放っておいたタオルを手に取り、汗をさっと拭う。それからペットボトルを手に取り、水分補給。
一口、二口と喉を鳴らしてから、俺は大きく息を吐いた。
時間は土曜日のAM。今俺は、エルネストのトレーニングルームにいる。
周囲に他のメンバーの姿はない。今日は皆が諸々用事があるようで、全員集合は昼食の時間の後になっていた。
俺自身は大体いつもくらい──10時前には到着していたので、一人でトレーニングしていたのである。
他の精霊使いに比べると俺は明らかにトレーニングに取れる時間が少ない。平日は仕事があるからね。仕事前に走ってから仕事に行くのは朝強くない俺には無理だし、夜は正直あまり外に出たくない。
お巡りさんとかに声かけられるので。後変なおっさんに声かけられたりとか、ウザい事この上ない。
一応体が女ということで、人目が無い所には夜遅い時間にはいかないようにはしてる。すると結果としてそうなってしまうのだ。なので平日は基本的には部屋の中でトレーニング程度である。
霊力の少ない俺のような人間はそれこそ他の精霊使いよりも体力に関するトレーニングが必要なんだけどな……だからでこうやって空いてる時間は率先してトレーニングをやらないといけない。データ分析や戦術に関しては他のメンバーがいる時の方が都合がいいし、時間帯もあまり選ばずできる。
……うし、汗も止まって来たな。
しかし本当にチームの施設内に立派なジムがあるのは助かるな。夏の炎天下の下ロードワークに出るのはさすがにしんどい。しかもそのまま他の行動に移行できるから、時間ギリギリまでトレーニングをしていることができる。時間が有効活用できるわけだ。まぁ今日はこの後はシャワー浴びて昼飯食べる予定なのでそろそろ切り上げる予定だけど。
俺はベンチにゆっくり腰を降ろす。
そして、ふと自分の体を眺めてみた。
半袖のトレーニングウェアから伸びる腕は白く、細い。触ってみればふにふにと柔らかい。俺の腕力や握力は一般成人男性を多少上回る程度にはあるが、とてもそんな力を発揮するとはいえない少女の腕だ。自身の体だが、本当に出鱈目な体である。
ちなみにこうしてトレーニングに関しては(忙しくなって以前より量は減ったものの)ずっと続けているわけだが、この白いぷにぷにの腕に筋肉が付く気配は全くない。
それは腕だけではなく、ほかの部位もそうだ。太腿の太さも変わらずだし、腹筋が割れてくる事もない。それでいて能力的には成長している感じはあってほんと謎。
とりあえず解っているのはこの先どんなに鍛えても、俺がマッチョになるということは叶えられそうにないということだ。
別にそんな夢は持ってないけど。
体重に関しては多少の変動は見られるものの、身長に関しては一切の成長が見受けられなかった。やはり俺の成長は完全にもう止まっているらしい。
ただバストに関してはほんのわずかだが成長が見られた。なんでだよそこはいらねえんだよ、むしろ萎めよ。世の中にはそういったことでコンプレックスを感じているお嬢様方がいるんだから、そっちいってやれよ。
以前も言った気がするけど、本当に胸邪魔なんだよ! あれは人についているものを見る物であって、自分に着けるものではない。
この体になってサイズが縮んだりいくつか体質に変化が見られたりと困った事は何個かあったが、その中でも一番アレなのが胸だ。
ほんとマジいらねぇ……激しく動くと揺れるし、場合によってはそれで痛いし、谷間の汗が鬱陶しいし、ブラ付けなきゃいけないし、鬱陶しい男の視線が集まるし!
こちとらそんな視線はいらないし、子供を作る気もないから胸があるメリットなんて何一つないんよ。自分の見て喜ぶ程あれじゃないし。そもそも授乳に関しては胸のサイズあまり関係ないらしいけど。
とにかく自分の胸元に存在する意味が何一つないんだよな。邪魔オブ邪魔。体自体はこんな幼い感じになってるなら本来断崖絶壁になっているべきだというのに、なんでこう無駄に膨らんでいるのか。
たまにちょっと胸元が寂しいお姉さんに、恨みがましそうな目で見られてたりするし。ぼく何にも悪い事してないよ……
とまぁこの姿になってから数十回以上考えた事を今更また考えたところでどうなるものでもなく。手術的な事すればなくせるのかもしれないけど、さすがにそこまでする気はない。親から貰った体にメスを入れ……いやこれ親から貰った体っていっていいんだろうか? 外見上は名残すらないぞ?
ちなみに、胸の件を置いておけば元の姿に戻りたいという気持ちは0ではないが今はもうそれほどない。当初の時点で諦めさせられてるし、今はもうなんだかんだで慣れてしまったからな。無意識に出る仕草とかも大分女性的にはなりつつあるようで、なんというか今男の姿に戻ったらかなりアレな状態になるだろう。数ヶ月もすれば元には戻るだろうけど。
「はぁ……」
一つ大きなため息をついて、体の向きを変えてベンチに身を投げ出す。
トレーニングルームは空調が効いてるから、火照った体を包む空気が心地よい。汗もほぼ引いた。
胸元を見ればその邪魔な双丘が目に入る。それを見てもっかいため息。
そういや俺の人生がカオスったのもこれが出来てからだなぁ、などと独り言ちる。
まぁそもそも異世界に週末通ってる時点で一般人の目から見てもカオスっているんだけど、ここ一年のカオスっぷりが半端ない。
ここまで起きたことを単純にあげつらっても体が幼女にという開幕とんでもない事からスタートして、そこから深淵の一件、彷徨い人との遭遇、スタンピード、漂流の調査団に巻き込まれる、そしてこないだの謎の人物だか組織だかに狙われるという一件を経て今度は王子様のエスコートと来た。
そこまで派手な出来事じゃないのも入れれば、CM撮影とか普通なら一生経験しないようなのも含まれる。
一個一個の出来事が普通に考えれば大事で、元々はただの一介のサラリーマンでしかなかった俺が1年とそこらで経験するようなことじゃないのは明白だ。
ま、前半部分に関しては別に俺個人に対してどうのってわけじゃないけどな。多分少女の姿になったことが直接的に影響しているのは深淵の一件くらいだろう。あの時、俺元の姿のままだったら気にもされなかったんじゃねぇの? と思う。
他の事柄の中で俺個人特定で巻き込まれてるのは、体の問題というよりは界滅武装が原因だと思うし。
……そういう意味では胸よりも界滅武装の方が邪魔か。俺はヒーローになりたいわけじゃなかったからな。
とはいえ役に立つ場面がある以上捨てる訳にはいかない。他の誰かに譲れればいいんだが、それもかなわない。
はぁ、とまた大きく三度目のため息。
いろいろと愚痴って来たけど、なんだかんだで覚悟は決まってる。だってこういうカオスな状況から逃げ出したいなら簡単な方法があるんだ。アキツにもう来ないようにすればいい。俺達日本人は別にアキツに行く義務があるわけではないので(いやチームに雇われているという義務はあるけど、これも契約解除すればいい)、なのにあちらの世界に行っているという事は、それだけアキツが魅力的なのだ。
「よっと」
腹筋に力を入れて体を起こす。他愛ない思考を巡らすのはこれで終わりだ。時計を見たらもういい時間だった。そろそろシャワーを浴びよう。これから合流するうちの二人はユージンが汗でベタベタだろうと関係なく引っ付いてくるから。
ぶっちゃけた話すると冒頭の所書きたかっただけです。
当作品は脇道にそれまくりでお送りしています。




