一夜明けて
翌日。
ここ数日で見慣れた天井──事務所の仮眠室で俺は目を覚ました(あの後悲しそうな顔のミズホに事務所まで送らせた)。
一晩ぐっすり眠ったせいか、或いはミズホに劇薬をぶち込まれたせいか、混乱は落ち着いていた。
とりあえず服を着替え、顔を洗い、買い置きしていた朝食を食べて。ルーチンともいえる一連の動きを終える事には、問題の切り分けが出来る程度には頭が回るようになっていた。
そしてそれから一時間後。
「……マジ大変だと思うッスけど、俺に出来る事があったら言って欲しいっス!」
「チームとしても出来うる限りのサポートはさせてもらうわ」
「……ありがとうございます」
3日ぶりに事務所にやって来たレオと、ハンガーから来てもらったナナオさんに事情を説明すると、二人は困惑を見せつつも最終的にはそう言ってくれた。
その二人に対して俺は頭を下げる。
話したのは昨日セラス局長から聞いた一連の事、そして"この世界で"これから俺がどうしていくかという事だった。
前者に関しては、事実を淡々と話しただけだ。二人は酷く驚いたが地球の方と違い、こちらの世界はこういう常識外れの事態の発生が普通に許容されている世界だ。事実自体はあっさりと受け入れられた。
後者に関してはなんてことはない、これからも何も変わらずやっていくというだけの話だ。
昨日話を聞いた後、地球人としては想像もしなかった状況に酷く混乱して自分自身に関する何もかもが変わってしまう気がしてしまっていたのだが、これは勘違いだった。
俺は、こちらの世界で"男として"やりたいことは何もないのだ。俺がこちらの世界で望んでいるのは精霊使いとしての活動だけだ。そして精霊使いとして精霊機装に乗ることに身体能力は殆ど影響はない(ゼロとはいわないが)。さらにこうやって姿が変わってしまったことに関しても、こちらの世界の住人はあり得ることとして認識している。しばらくは興味を引くだろうし鬱陶しい視線を感じることはあるだろうが、俺が起きてしまった事実を受け入れさえすればこの世界では大きな支障はないのだ。
勿論、受け入れる事自体は単純ではない。24年間男として生きていたのだ、これから女として生きていくとそう簡単に覚悟できるわけがない。だが、これに関しては俺は思考を放棄しつつあった。どうせ受け入れようが受け入れまいが生活に関する部分は女としてやっていくしかないわけだし、それ以外の事に関しては逆に急いで何かを決める必要がない。
例えばの話、戸籍上は男として生きていくと決めて結婚するとしたらそれはそれで可能であり(そしてそうしようとしたらあっさり相手は得られる。本当にそいつでいいのかは置いておいて)、職業はすでに決まっている、人付き合いだって別に今から新たに構築する必要がないのだ。であればもう必要に応じて考える事にして今は考えるのをやめよう──そう考え始めていた。
こちらの世界に関しては。
問題は日本側の話だった。
向こう側では、アキツの事は他言禁止だ(というか他言しようとした場合、記憶改ざんが強制的に行われると言われている。恐い)。なので当然自分の姿がこうなったという説明はできないのだ。だから俺が村雨 有人であることを認識してもらうことができないし、もし認識されたとしたらそれは大騒ぎになってしまう事だった。
これに関しては、論理解析局からの連絡待ちだった。
実は俺には記憶がないのだが(聞かされた内容に思考が停止していたのだと思う)同席していたミズホ曰く日本側の事に関しては何とかするとセラス局長は言っていたらしい。ただその内容がわからないので方針の決めようがなかった。
考えられるのは日本での別の戸籍を準備するということだった。こちら側から向こう側へスカウトを送り込んでいるのを考えれば、新しい戸籍や住居の確保に関する手段はあるハズだ。だがもしそれを提案されるのであれば、俺は断るつもりだった。今の村雨 有人の全てを失い別の人間として生きていくくらいであれば、生活基盤を全てこちらに移してしまった方がましだった。ただそれでも何とかして仕事の引継ぎくらいはやりたいが……こんな状態でも仕事の事を心配している自分に少し笑いが出た。まぁ社畜ということではなく会社の同僚たちに迷惑をかけるのが嫌なだけだ。
「日本側の件、向こうから連絡するっていってたんだよな?」
今は俺の横に座りおとなしくしているミズホにそう確認すると、彼女はコクリと頷き
「今日明日には連絡するって言ってたわ」
そう言いつつ、ミズホは身を寄せぺたりと貼りついてきた。
「おい」
「いいじゃない、もう話は終わったでしょ?」
「職場やぞ」
「じゃあ後で職場じゃないところでくっついていい?」
コイツ……
昨日ド派手なカミングアウトをかましたこの女は、もはやそういったものを隠すつもりもないらしく、今日朝早く事務所にやってきてからはずっとこんな感じだった。その後にやってきたレオにしばらく無言でガン見されたくらいだ。
「それにこれくらいならユージンも悪い感じじゃないでしょ」
コ・イ・ツ!
微妙に図星をさしてきやがる。
そう、ミズホは美しい女性だ、スタイルもいい。そして俺は今は女の子になっているとはいえ中身は健康な男だ。彼女の柔らかく暖かい体を押し付けられることに正直心地よさを感じてしまうのは男としては否定できない所である。
しかもミズホ、くっついては来るものの変な所を触ってくるとかそういう事はないので、はたから見れば仲がいい、或いはミズホが単純に可愛いもの好きでべたべたしているだけに見えなくもないのだ。
そんな俺達の姿を見て、ナナオさんが怪訝そうな目を向けてくる。
「あんた達……ここ2、3日の間に何かあった?」
「何もないけど、ありました」
「どっちよ」
「関係性は変わらないけど、コイツが俺を見る目は変わりました、後俺がコイツを見る目も」
「あっ、ふーん……」
そう言ってミズホにジト目を向けただけで悟ってくれるのは助かる。
一方レオの方に関しては今日俺達の初めて来た時と同様に、俺達の事を真顔でガン見していた。ピクリとも動かないけど脳の活動が停止しているのだろうか? まぁ数日前まで男だった同僚が少女の姿になってて目の前でいちゃつかれてれば(いちゃついてないけど)思考は停止するかもなぁ。
このままレオを停止させているわけにもいかないし、説明も終わったからとっととデータ分析に回りたいのもあって俺は身を寄せてくるミズホの体を両手で押す。
「ほれ、離れろ。レオが停止しちゃったじゃないか」
「あ、いいっス。続けて続けて」
は?
「いや続けてって……」
「俺の事は気にしないでいいっス。むしろ尊みを感じるというか」
「尊み?」
レオはコクリと頷く。
「俺今決めたっスよ、御二方がいる限りエルネストにこの身を捧げていくっス」
「お、おう。どうしたいきなり」
「まさか職場でこんな素晴らしい光景が見れるとは思わなかったッス!」
「素晴らしい光景?」
「女性同士がイチャイチャしているの美しいっスよね。なんで俺の事は気にせずいくらでもどうぞ!」
……
……ええっと。
「ナナオさん! このチームアレな奴しかいねぇ!」
「それだとユージンも同じ扱いにならない?」
数日前に青年男性から少女に変態した奴はアレな奴な扱いでいいよ。
ナナオさんは目を瞑ってこめかみを人差し指でくりくりやってから、目をゆっくりと開いて笑った。
「ユージン! レオもチームに残ってくれる事だしこれから頑張って上を目指そうね!」
そう言ってサムズアップ。あ、面倒くさそうだと思って逃げたなコレ!? 逃がすものか!
そう思って俺がミズホを押しのけ立ち上がろうとした時だった。
「賑やかですね」
俺達の誰のものでもない、鈴を転がすような声が聞こえた。




