告白
「ねぇユージン、もう少しで着くわよ。このまま向かっちゃっていいのね?」
「……ああ」
運転しながら声を掛けてくれるミズホの言葉に、俺は力ない返事を返す。
帰りの車の中、ミズホは俺に気を使って何度もこうやってくれていたが、俺はその度に力ない返事しか返せない事に申し訳なさを感じてはいたが、今の俺にはそれくらいの反応しか返す事ができないのだ。
頭の中がぐちゃぐちゃになっていた。窓の外を流れる暗くなった街並みも、先程からかけてくれるミズホの言葉も、意識の表層を滑り落ちていくだけで中までは入っていない。
俺の意識は今、セラス局長に聞かされた話がただ渦巻いていた。
物理崩壊。
この世界の人間ですらあまり認識のない言葉だが、稀に発生する特異な事象。
セラス局長によると、その存在を構成する論理が一部破損しそれが元に戻るまで変質する論理崩壊に対し、物理崩壊はその論理──すなわち物質の設計図が変質した体に合わせて書き換わった状態という事だった。
設計図と異なる状態にあり、元に戻ろうとする力の働く論理崩壊に対し。
物理崩壊はすでに設計図通りの正常な状態になっているのだ。だから元に戻る力は働かない。
それが俺の体に起きたことだった。
すなわち、世界から村雨 有人という男性は永久に消え去った。
この世界には今後、村雨 有人という女性しか存在しなくなるのだ。
原因は更に詳細な解析が必要だが、恐らくは複合的な原因だと局長は言った。
一つは元々その場所が論理崩壊の発生区域であったこと。
一つは本来の制限を超えた力の行使による、新たな歪みの発生。
そして最後は人という存在を構成する要素の一つである霊力が、そのタイミングで枯渇したこと。
それらが組み合わさった事により論理崩壊を超えた事象が起きたのではないかと、彼女は予測を立てた。
だとすれば、俺は誰を恨むこともできない。この世界に残る事を決めたのは俺自身で、あの場で限界を超えた力を使う選択をしたのも俺自身だ。全て自分の選択の延長線上にある。唯一恨みをぶつけられる相手はあの巨大トカゲだがそいつはすでに俺が吹っ飛ばしている。
さらにもう一つ悪い情報があった。
これも検査で分かったことだが、俺の肉体は外見こそ子供だが中身は大人のそれだったらしい。元の年齢と同年齢のままなのかまでは判別つかないが、少なくとも二十歳近い年齢であることが確認されたとのことだった。
すなわち、俺の体は今後成長する可能性が低い。この子供のような姿のままこれからずっと生きていかないとならない、ということだった。
もう無茶苦茶だ。いろんな事が頭に浮かんでは、整理もつかずに巡ってゆく。
これから俺はどうして生きて行けばいいのか。
実は今体験しているこれはただの夢なのではないのか。
日本側へもう戻る事はできないのか。担当している仕事はどうすればいいのか。
こんな時でも仕事の事が浮かんでくる自分に対して乾いた笑みが浮かんでくる。そしてこれも何回も繰り返した行為。思考がループしている。
「着いたわよ」
「……え?」
ミズホに肩をゆすられて視線を上げれば、窓の外の景色が静止していた。車が停車したらしい。
だがその景色は俺の知るものではなかった。
「ここは?」
「アタシの住んでるマンション。賃貸だけどね。途中で何度も"アタシの部屋に向かうけどいいわね"って聞いたじゃない」
思い返せば確かにそんなようなことを言っていたような気もするが、ちゃんとした返事をした記憶がない。恐らく別の事を考えていて空返事を返していたのだろう。
「でもどうしてミズホの部屋へ?」
「事務所じゃ環境も良くないでしょ、お風呂だってないし。今多分ユージン頭の中大変だと思うけど、そういう時はお風呂であったまってゆっくり眠った方がいいと思うわ」
……気を使ってくれたのか。今日は本当に一日中世話になってばかりだな。
「ほら、シートベルト外して。部屋に行きましょう」
「……そうだな」
彼女に力ない笑みと共に返事をして車を降りると、ミズホがぎゅっと俺の手を握って来た。そしてそのまま俺の手を引いて歩き始める。
やわらかい手だな──
そんなどうでもいい事が思考のうねりを少しだけ上書きしてくれるのをありがたく感じながら、俺は手を引かれてマンションの中へ足を踏み入れた。
彼女の部屋は8階……この建物の最上階にあった。エレベータから降りても彼女は手を離さず器用に部屋の扉を開け家の中に俺を招き入れる。
「アタシお風呂の支度してくるから。ユージンはそっちのリビングでのんびりしてて」
右手に感じていた温もりが離れたことに少しさびしさを感じつつも、俺は彼女の言葉に従いリビングの方へ足を踏み入れる。
綺麗に整えられた部屋だった。壁には事務所にもあるような大型のテレビが備え付けられ、その前にはガラス製なのか透明なテーブルと、それを囲うように置かれた柔らかそうなソファが並んでいる。俺はそのソファに腰を降ろし体を深く沈めた。
そういや、女性の家に入るのはいつ以来だろうか。少なくとも社会人になってからは一度もない。──そもそも社会人になって仕事に慣れてきたあたりからはずっとアキツと日本の二重生活で、そんな余裕はなかった。
でも充実はしてたけどな、などと考えていると自然と笑みが浮かんできた。
「……どうしたの? 少し落ち着いた?」
これまでの事を思い浮かべていると、ミズホが戻って来た。
「落ち着いた……うん、少し頭の中は落ち着いたかな」
いまだ頭の中の整理は全くついていないが、別の事を考えられるようになったということは少しはマシになってきたのだろう。少なくとも車の中でのように彼女の言葉が頭の中に入ってこないほどではない。
その返事に彼女はそう、と柔らかい笑みを浮かべるとそのままキッチンの方に移動して冷蔵庫を開く。
「……お酒でも飲む?」
「悪酔いしそうだからやめておく」
「そっか。じゃあこっち」
そう言って彼女はペットボトルを一つ放り投げてくる。こっちの世界では知名度の高いスポーツ飲料だった。
「さんきゅ」
そして彼女自身も同じ飲料を手に取ると、俺の横に並ぶようにして腰を降ろす。
そのまましばらく沈黙が訪れた。彼女がこちらを見ている視線は感じるが、俺の方から話しかける言葉は頭に浮かんでこない。そんな状態で数分がたった後だったろうか。
先に口を開いたのはミズホの方だった。
「不安……だよね?」
ストレートな問いだった。
俺はその問いに少しだけ思考を巡らせ、小さく首を振った。そして彼女の方へ向き直り、答える。
「不安……大枠でいえばそうかもしれないが、ちょっと違う。今はともかく、何もわからないんだ。つい数日前までは普通の男だったのに明日から女として生きて行かなくちゃいけないことになって、これからどうすればいいのかわからない」
否定はしたが、結局の所は不安だろう。未来への不安。
「そっか……そうだよね」
ミズホは俺の言葉を噛みしめるように何度か頷きを見せると、それから真摯な表情で俺の事を見つめてきた。
その瞳に決意の光を浮かべて。
その瞳の力に押されるようにわずかに身を引いた俺に、彼女は言う。
「あのね、ユージン」
「……なんだ?」
「アタシは今、貴女の不安を取り除きたい」
伸ばされた腕に両肩を掴まれる。
「アタシはずっと貴女を護っていきたい」
あれ、なんか雲行きおかしくない?
「だから──」
「だから?」
「結婚しよ!」
……はい!?
「あ、不味い感情が高ぶりすぎて欲望が最初に出た!?」
欲望!?




