スタンピード 光の雨
飛び散る臓物、その奥から溢れ出すミミズのような触手たち。
クリスマスの夜に映像で見たものがそのままに、3Dの映像となって目の前で再現された。
一度は見た光景だ。だがこんなところで目にするなんて全く想定なんてしていなかったし、大型モニター全体に広がる生々しい触手に、体に震えが走った後俺の体は凍り付いていた。
『おいなんだ今のすっごい悲鳴!?』
『エルネストの子か!? 何があった!』
『ユージンちゃん、どうしたんですか』
全体通信が騒がしい。聞いたことがない声も聞いたことがある声もたくさんしている気がするが、その言葉の意味が頭には全然入ってこない。
体が動かなくたって、精霊機装は大きな支障もない。最低限操縦宝珠に体のどこかさえ触れていれば、後は考えるだけで機体は動く。
が、今の俺は思考すら凍結していた。目に入るものを認識はしているが、それに対してどうすべきかが頭に全く浮かんでこない。
『そっち誰か救援に向かわせた方がいいさね!?』
『いえ大丈夫です! ユージンのすぐ側に鏡獣が現れたから驚いちゃっただけみたいなんで! 通常の"意識映し"なのでご心配は無用です!』
相変わらず言葉が頭を素通りするなか、ミズホの声だけが頭の中に浸透してきた。どうやら俺の状況を察してくれて、フォローしてくれたらしい。ありがたい。
だが、俺の思考回路は復帰しない。何かしなきゃと考えながら、混乱した頭と体を襲う嫌悪感で思考がまとまらない。
そうこうしている内に、目の前の鏡獣の腹から伸びた触手がこちらへと伸びてくる。
今、俺は精霊機装の操縦席の中だ。霊力が尽きない限りは外部からの物理的な干渉を受ける事はないから、ヌルヌルとした触手が俺に届くことはない。
なのに俺は、その触手から身を守るかのように両手で自分の身を抱きしめてしまった。──操縦宝珠から手を離して。
精霊は、機体を自律して動かすような事は一切ない。あくまで契約した主人の思考を操縦宝珠経由で読み取ることのみで機体を動作させる。だから、それから手を離してしまえば何が起きようとも機体が動くことはない。
触手が機体の腕に絡みつく。更に他の触手が機体のどこかに叩きつけられているらしく、機体が揺れる。
それでも、俺は動けない。恐怖と生理的嫌悪と、何かしなくてはいけないと思っているのに何かが頭に浮かんでいる無力さで視界が歪み、そして──
次の瞬間、最早モニターを完全に覆うような状態になっていた触手が消滅した。
「……ぅえ?」
『大丈夫か、ユージン!?』
通信機からサヤカの声が響く。
「えっ……あっ」
俺の思考を縛っていた触手が消えたことと彼女の声で、ぐちゃぐちゃになっていら思考が急速に纏まっていく。
視界を上下左右へと動かすと、消えたのは絡みついていた触手部分だけではなかった。本体……といってもいいかわからないが、女性部分も消えている。
そしてその消えた向こう側には、サヤカの機体が立っていた。左手に刀を携えて。
その光景を見た俺は口を開こうとし、そこで全体チャンネルのマイクがONのままになっているのを思い出して、マイクを切り替えてから改めて口を開いた。
「サヤカ……お前が倒してくれたのか?」
『ああ。ユージン、大丈夫か? 震えてないか?』
通信機から聞こえる、酷く心配げな声。まるで子供に聞くような感じだが……これクリスマスの事完全に思い出されてるよな。だったら今更否定したってしょうがない。
俺は服の袖で目元を拭ってから答える。
「もう大丈夫。ありがとう、サヤカ」
『そうか、なら良かった』
その言葉と共に、サヤカの機体が身を翻して駆けていく。
その機体の背中を眺めつつ、その周囲に視界を巡らす。
残りの二人──ミズホとレオもすでに交戦状態だった。ミズホは射撃で鏡獣を蜂の巣にし、レオはメイスを叩きつけている。
相手は人型だから酷い絵面になるかと思ったが、すでにその姿は上半身が大きく折れて腹から触手を生やしている状態なので、それほどでもなかった。ゾンビ映画やゲームのようにしか見えない。
『ユージン、どうする!? 貴方は今回休んでてもいいわよ!?』
ミズホがそう声を掛けてくる。茶化すような響きはない、素直に心配してくれている声だ。
『動き遅めだし、俺達だけで何とか出来ると思うっス!』
レオの言う通り、これまで出現した奴に比べると移動速度は多い。──が、数が多い。
サヤカとレオはほぼ近接武装だから接近しないと有効打がないし、ミズホはそろそろ各武装の残弾が心もとないだろう。俺が遊んでいる余裕はないハズだし……これでもプロの精霊使い、そしてこいつらは俺が出現させたようなものだ。仕事をしない訳にはいかない。
戦場は、数十体の触手付きが動き回る、俺にとっては完全な地獄絵図だ。
だけど──うん、
「大丈夫だ。すまん、心配かけて悪かった、今から参戦する」
背筋がゾクゾクするし背中を向けて逃げ出したくはなるけど、距離があれば何とか行ける。
俺はシートの背もたれに押し付けていた体を起こして、操縦宝珠に手を伸ばし……ってあれ?
体になんか不快な感触を覚える。えっと、これは……下半身?
この感触は──あっ。
……
……
「……ふふふ」
『ユージン? どうしたの?』
突然含み笑いを上げた俺に、ミズホが声を掛けてくる。が、俺の口から漏れる含み笑いは止まらない。あれ、さっき拭ったはずなのに再び視界が歪んで来た気がするぞ?
『ちょっと、ユージンてば! 壊れた!? 撤退する?』
「ミズホ。後レオ、サヤカも」
『なんだ?』
「今自分が相手してる奴を倒したら俺の後ろまで下がれ。<<星屑の雨>>で連中を一掃する──全開駆動」
『ちょっとぉ!?』
「なんだ、どうした?」
『いや、ユージンがいきなりどうしたのよ?』
「いきなりも何も、さっき次は出し惜しみなしで行くって言ったろ」
『言ったけど……』
「あとやつらは今すぐこの世界から消失すべきだ」
そう、奴らは絶対に許されるべきではない。
あいつらを生み出したのは俺だし逆恨みが混じってる気もするけど、今すぐ駆逐すべきなのだ。
「【八咫鏡】」
俺は魔術を発動する。
<<星屑の雨>>は【八咫鏡】の使用形態の一つだ。【八咫鏡】は使い道がいくつかあり、味方にその使用用途を知らせるため用途毎に名称を決めてある。<<星屑の雨>>は以前使った上空からの霊力弾の拡散による範囲攻撃だ。
出現した半透明のレンズを、俺は上空へと操作して動かしていく。
その間に、それぞれ相手にしていた鏡獣を撃破した皆の機体が後退してきた。
『ユージン、もしかして何かあった? ちょっと声が震えているわ』
こちらに寄ってくる鏡獣に対して銃撃自体は続けているミズホがそう聞いてきたので、俺は端的に答える。
「なにもないです」
『なんで敬語なんスか?』
「なにもないです」
いやこれ何かがあったって言ってる気がする……ダメだ、さっきとは別の意味で思考が視野狭窄状態になっている気がする。
ええい、それもこれも全部こいつらが悪いんだ!
俺は機体を操作し、奴らの群れの中央部近くの上空に配置した【八咫鏡】を向けてライフルを向ける。
そしてタマモに最大出力を支持し、その引き金を引いた。
「この世から、消えてなくなれ永遠に!」
魂からの叫びと共に放たれた弾丸は、中空に配置された【八咫鏡】へと叩きつけられ。
たった一つの弾丸は、数十──いや、百を超える光の粒となり、雨のように地上へと降り注いだ。




