無防備少女
「おはよ、ユージン。……まだその姿のままなのね」
「残念ながらな」
部屋に入ってきて、挨拶と共に俺の姿に言及してきたミズホに対して俺はそう答える。
俺の姿が女になったあの日(正確にいうとその前日からなっていたが)、服に関してあれこれしたあの後さすがに怠さに限界を感じ俺は簡単な食事をとった後眠ることにし解散した。その後二人がどうしたかは知らないが、あの日は他にやれることもなかったしまぁ帰ったんだろうと思う。
それからすでに二日が経っていた。──が、今ミズホに答えた通り、俺の姿はいまだ少女のままだ。
「体調の方は大丈夫なの?」
「ああ、だるさはもうほぼ消えた。唯一の異常を除けば異常なしだな……それよりも」
「うん?」
俺は、この事務所に姿を現した彼女に対して、疑問に思った事を言う。
「今日は何の用件だ?」
今日は彼女がここにやってくる必要がないはずだった。
エルネストでは、精霊使いは試合日明けの二日間は完全休養日だった。なので昨日は俺一人だったし、今日もレオはこちらにはやってきていない。特に今日はメンテナンススタッフも殆ど休みのはずなので、事務所に顔を出す意味が見当たらない。
そんな俺の問いに、ミズホはハンドバッグを机の上に置きながらフフッと笑いながら答える。
「ユージンが退屈してると思ってさ。本当は昨日も来たかったんだけど、仕事があってねー」
「別に退屈はしていないが……」
正確にいえば昨日は退屈していたがそれはまだ体がだるくて大部分寝ていたからであって、彼女が来ていたとしても殆ど顔は合わさなかっただろう。そして起きていられるなら、やることがないわけではない。
俺は別にこちらの世界に遊びに来ているわけではないので、普段でもこっちに来てやっていることはトレーニングかデータや対戦相手の分析辺りだ。今の状況だとトレーニングはやれそうにないが、もう一つの方は問題なくできる。実際今も自分の端末で試合の映像を確認していたところである。むしろ普段は日本側で仕事していてできない事をできてありがたいくらいだ。ただその分向こうでの仕事のスケジュールは不安になってくるが……前倒しに進めてたのでまだ大丈夫なはずだ──後1、2日くらいは。
……今週中に戻らなかったらマジどうしよう。
「……どうしたの? なんか暗い顔してるけど」
「いや、うん、なんでもない。なんでもない」
来週の事は来週そうなってから考えよう。うん、それがいい。それがいい。これは逃避ではない。思考のリソースの効率的な活用をするだけだ。
「そんなことより、お前昨日も仕事だったんなら今日はちゃんと休んだ方がいいんじゃないのか?」
彼女は精霊使いの副業としてモデルも行っている。本人曰く「本業にするつもりはない」とのことでそれほど予定は詰めていないようだが、それでも精霊使いとしては完全フリーになる休養日は仕事が入っている場合が多い。今日が完全に空き時間になるようなら、それこそもっと有意義な時間の過ごし方があると思うんだが。
「今日は特に用事もないし、出かけたい場所もなかったからいーの」
まぁ本人がそういうなら、俺がとやかく言う訳でもないんだが。
「それより、ユージンは何してたの? なにやら熱心に画面見てたけど。エッチな奴?」
「んなわけねーだろ。こないだウチが負けたクレギオンとの試合の映像だよ」
クレギオンは今シーズン前半9試合を無敗で駆け抜けた今季C1リーグトップのチーム名だ。当然うちも負けている。C1で優勝を目指すには勿論最低でも後半倒さなければならない相手であり、単純な実力は向こうが上な以上詳細な分析は必須事項だった。
「成程ね。ねぇ、アタシもその映像見せてもらっていいかしら?」
「構わないぞ。大型ディスプレイに映すか?」
「お願い」
「わかった」
ミズホに向けて頷いて、俺は椅子を下りると机を挟んで彼女の反対側に回る。彼女の机の向かい側の空き机の上にディスプレイの表示を切り替える装置があるのだ。
俺は腕を伸ばし、その装置に──届かねえ!
そうか、全体的にサイズが縮んでいるからか。仕方ないのでつま先立ちになり机の上に乗り出すようにして全身を伸ばし、なんとか装置のスイッチを押す。
「ふう……やれやれ」
いつもとサイズが違うといろいろ面倒だなと思いつつ俺が体勢を戻し顔を上げると、なぜかミズホが真顔でずっとこっちを見ていた。
「……どうした?」
「ねえユージン。貴女その格好で人に会ったり表出たりした?」
突然の質問に、俺は頭に?マークを浮かべながらも答える。
「昨日は日中ほぼ寝てたから誰とも会ってないな。夜はちょっとだけ買い物に出たけど……」
「その格好で!?」
えらい剣幕でミズホがバァンと自分の机に手を叩きつけ、こちらに向けて体を乗り出してきた。その勢いと圧に若干引きながらも俺は首を振る。
「さすがに不味いと思って着たよ、アレを……」
「アレ? あーあーあー、アレね。自撮り写真ある?」
「ある訳ないだろ!?」
「そっかー……」
なんかすごい悲しそうな顔された。あまりにアレ過ぎて申し訳なくなるくらいだが、真面目に考えると俺が悪い所何もないよな? うん、ない。というか。
「いきなりなんだよ、妙な事聞いてきて」
「ああ、うん。えっと、貴女ちょっと無防備すぎるのよ」
「は?」
「そのだぶだぶの服で、前傾姿勢になったらどうなると思う?」
前傾……ああ。
彼女が何を言いたいのか気づき、俺はちょっと襟元を手で引き寄せながら聞き返す。
「見えてた?」
コクリと頷かれた。
確かにあんな体勢取ればそりゃ見えますね。でも、
「別に仮の体だしなぁ。見られたところで別に」
「だーめーでーすー!」
強い調子で否定された。
「自分の体大事にしなさい。それに男の人に自分の胸ガン見されたいの?」
「ああ、それは確かにちょっと……」
「それと下着買って来たのになんで付けてないの?」
「……つける事に抵抗がな」
今の自分の姿を考えればおかしなことではないのは分かってるんだが、どうにも女装をしている感じがしてしまって微妙な気分になる(俺にはそういう趣味はないので)。更には着ている最中に本来の自分の姿と今着替えている姿を重ね合わせてしまって猶更だ。それでも洋服に関して言えば”仮装”と思えばまだいけるが、下着まで行くと超えてはいけないラインをどうしても超える気がしてしまうのだ。
「え、じゃぁ下もまた履いてないの」
「いや、そっちはさすがに……」
下は逆に履いてないとどうしても落ち着かなかったので履いた。履く時に非常に悪い事をする気になって、なんだかよくわからん多方面に対して心の中で謝罪しまくっていた気がする。ちなみに一回履いたら気にならなくなった。ラインを超えてしまった気がする。
「まぁ下着はともかくとして動きは気を付けるよ。今はミズホしかいないから別にいいだろうけど」
「そうね、今は別にいいわ。リラックスして過ごして頂戴。今日は人もほぼいないだろうし、買い物必要なら私が行けばいいしね。今何か欲しいものある?」
「……いや、今は」
少し考えてから特にないと答えようとして、俺は何か音が聞こえる事に気づき言葉を込めた。
これは──電話の音か?
俺のものではないし、ミズホのものでもない。というかこの部屋で鳴っているにしては音が遠い──これは、下の階で鳴っている?
「下で代表電話なってないか? これ」
「え? ……あー、うん本当だ」
下の階には総務・経理系スタッフの事務室があり、そこに外部向けの代表電話が置かれている。そこの電話が鳴っているようだ。だが今日はエルネストは休業日で下にも人はいないハズ。
「しゃーない、出に行くか」
「あー、いい、いい。私が行くわ……あれ、止まった」
鳴り響いていた音が止まった。相手方が切ったか、誰かが出たかだが……代表電話はハンガーの方でも出れるのでメカニックの誰かが出たのかもしれない。
どちらにせよ、切れたのなら後は俺達が気にしてもしょうがないな。そう考えて俺は動画を流すために席に戻り椅子に腰を降ろす。
「最初から流すか?」
「そうね。でも交戦開始までは飛ばしていいわ」
「了解」
マウスを操作して動画のウィンドウを全画面化し、シークバーをミズホの指定の位置まで操作する。そして再生のボタンを押そうとした時、再び電話が鳴った。
今度は俺のスマホだった。




