魔女は1人で旅をします
魔女旅シリーズ一作目です。
魔女は旅をします。
深い深い森の中。
険しい険しい山脈の峰。
賑やかな港街。
寒さに打ち震える雪国。
夕陽が沈む荒野。
厳しい暑さに涙も蒸発する砂漠。
どんなに大変でも、魔女は旅を続けます。
魔女の魔法を待つ人がいる限り。
魔女の目的を達するために。
そして、生きるために……
「ああっ!
しまった!
馬車の車輪がっ!」
のどかな野道で、頭の禿げ上がったおじさんが声をあげました。
どうやら、馬車が道からずれて、車輪が溝にはまってしまったようです。
「もし、そこのおじ様。
お困りですか?」
「そうなんだよ!
馬車の車輪がはまっちまって!」
おじさんは馬車を見ながら、光る頭に手を置いて、まいったまいったとぼやきます。
「それならば、魔法はいかがでしょう?」
「ああん?」
おじさんはようやく後ろを振り向きます。
そこには、黒いローブを身に纏い、緑色のとんがり帽子をかぶった女の子がいました。
年の頃は16歳ぐらいでしょうか。
優しげな笑みをたたえています。
腰まである長い真っ白な髪が涼しげに風になびきます。
帽子の下には、夕陽のように鮮やかな、真っ赤な瞳がおじさんを見つめていました。
「おまえさん!
魔女か!」
おじさんは物珍しげに目を見開きました。
「ええ。
魔女です」
女の子は夕日色の瞳が隠れるぐらいににっこりと微笑み、首を傾けました。
「こりゃあ珍しい!
ここらじゃ、もう見かけなくなってしまったよ!」
おじさんは魔女の女の子を嬉しそうに見ています。
「……そうですか」
女の子は少し寂しそうに笑いました。
「あ!そうだ!
魔女なら、この馬車をどうにかしてくれよ!
道に戻してくれるだけでいいからよ!」
「ええ、もちろん」
おじさんの頼みに、魔女の女の子はにっこりと笑い、応えます。
「下がっていてください」
女の子に言われ、おじさんは横に移動しました。
女の子は懐から小さな手鏡を取り出しました。
花の彫り込みがされた木のフレームで囲われた鏡はとても綺麗に磨かれていました。
女の子の手のひらよりも少しだけ大きいその手鏡を、女の子は器用にくるくると回すと、鏡を馬車に向けて、裏側から手鏡を覗きます。
【ひなげしの葉
鏡花の蔓
深緑の針子
糸張りの夢
落転の馬車に一縷の羽を】
女の子が魔法の言葉を唱えると、手鏡に映った馬車に白い羽が生えました。
そして、鏡の中の羽がパタパタと羽ばたきます。
すると、現実の馬車もふわりと浮き上がりました。
そして、元の道に優しく着地したのです。
「車輪はどこも壊れてなさそうですね。
これでもう大丈夫ですよ」
「おお!
助かったよ!
ありがとなぁ!」
女の子がおじさんの方を向いてにっこりと笑うと、おじさんは嬉しそうに笑って、女の子に握手を求めます。
女の子は鏡におじさんと馬車を映してからそれに応じると、鏡に映ったおじさんと馬車から、不思議な淡い光が少しだけ出てきて、女の子に降り注ぎます。
女の子は目を閉じて、それを全身で受け止めました。
少しして、その光が収まると、女の子は目を開けます。
「いえいえ、こちらこそ、ありがとうございました」
女の子はおじさんに向けて、ちょこんと頭を下げます。
「いやいや、お互い様さ!
都の方じゃ、魔女への返礼を拒否して、魔女が大勢いなくなったそうじゃないか!
もうこの辺りにもほとんどいないよ。
俺も久しぶりだったなぁ!
まあ、最近じゃあ、この辺りでも魔女拒絶派の連中が幅を利かせ始めたからな。
あんたも気を付けな!」
「……そうですか。
分かりました」
おじさんの話に、女の子は悲しそうな顔でうつむきました。
その後、おじさんは女の子に何度もお礼を言って、馬車に乗っていきました。
「……」
1人、その場に残った女の子は暖かい春の日差しをしばらくその身に受けたあと、手鏡の代わりに、どこかから箒を取り出すと、それにまたがって宙に浮かび、空を飛びました。
空は暖かい日差しと爽やかな風で、とても気持ちがいいものでした。
女の子は空を飛んだまま、しばらく目をつぶって上を見上げます。
目をつぶっていても、まぶたの裏に強く感じる太陽の光の中で、女の子は都から自分を逃がしてくれた魔女たちのことを思い出します。
「エレナ!
一時的に都の結界に穴を開けたわ!
早くそこから逃げるのよ!」
「今なら魔法も使えるわ!
私が魔法無効化を一身に引き受けたから!」
「で、でも!
そんなことしたら、2人の命が!」
2人の使った魔法は、魔女の命を引き換えにしなければならない、禁忌の魔法でした。
「私たちはもう助からない!
あなたは都で最後の魔女よ!
どうか生き延びて!
そして、仲間を探すのよ!」
「きっとまだ魔女はいるはず!
逃げて、仲間を集めなさい!
魔女拒絶派の魔女狩りが、私たちを狩り尽くす前に!」
「……で、でも!」
「「行きなさい!」」
「うっ……うわーーー!!」
そうして、エレナと呼ばれた魔女の女の子は都から逃げ出し、まだ魔女狩りの手の及んでいない地で、仲間となる魔女を探すことにしたのです。
「……」
エレナは閉じていた目を開くと、眼下に広がる草原を見つめます。
雲間からの風景はあまりよく見えません。
でも、これぐらい高く飛ばないと、魔女狩りをしている者たちに見つかってしまうのです。
エレナは、昔は低く飛んで、草や水の匂いを感じるのが大好きでしたが、今ではもうそれが出来ません。
「……行こう」
エレナはいつの間にか頬をつたっていた雫を袖で拭うと、スピードを上げて、飛んでいきました。
都から出来るだけ遠く。
まだ、魔女狩りが行われていない場所。
仲間の魔女がいる場所へ。
都の魔女は、仲間を集めて魔女狩りに復讐するよう言っていましたが、エレナの目的は復讐ではありません。
エレナは自分の目的が達せられれば、復讐なんてしなくていいと思っていました。
その目的が達せられれば、そのあとはもう、人目につかない所でゆっくりと過ごしていこうと思っていました。
エレナは自分の目的のために飛んでいきます。
自分が最後の魔女ではないと確認するために。
魔女エレナ