079 二人の般若
ダンジョン13階。枯れた草木しか生えていない荒れ果てた丘の上で、到達深度一行は夜を過ごしている。
この丘は通称「風の丘」とも呼ばれている安全地帯で見渡しが良く、冒険者によく利用されているキャンプ地だ。しかし高所MAPのせいか気温が低く、冷たい風が吹き付けてくるので非常に肌寒い。
持って来たパーカーを羽織り、すっかり冷たくなった手を焚火にかざして温める。こうして寒風に吹かれながら雑魚寝をする生徒は一般庶民の俺と、Cクラスの面々だけである。
貴族のみで構成されているAクラスとBクラスは、丘のてっぺんにお付きが持ってきた簡易組み立てハウスを建て、そこに寝泊まりしている。空調や灯りの魔道具も完備されており非常に快適そうだ。元の世界ではあんな物は無かったので構造や内装がどうなっているのか興味をそそられる。
そんな静まり返った夜の丘に、少女の声が木霊した。
「しかし兄上っ、私はまだいけます!」
Cクラスの到達深度グループを指揮する物部芽衣子ちゃんだ。話しかけている相手はボロボロのマントに傷だらけの黒い鎧、真っ黒い牙の生えた般若の仮面という、夜道で出会ってしまったらチビってしまうこと間違いなしの不気味な男。芽衣子ちゃんのお兄さんだという。
遠目からは粗末な装備に見えるが、よく見てみれば身に着けているもの全てに魔法が付与されており、そこらの冒険者と一線を画している。特にあの般若の仮面は複数アビリティが付いたユニークアイテムであろう。あんなモノを一体どこで手に入れたんだか。Cクラスの助っ人として来たようだけど、こんな化け物みたいな男を寄こしてくるとは、鷹村君に自重という単語を教えてやりたい。
その化け物お兄さんは低い声で諭すように言い返す。
「……お前の仲間の状態はどうだ。人を率いる身ならよく見定めなければならない」
「くっ……」
Cクラスの到達深度グループの平均レベルは12から13ほど。クラスでも実力者だけで構成されており、この13階でも十分に戦えるレベルではある。しかし今は疲労のため早々に寝込んでしまっている。
物理攻撃が通じないレイス対策をするために魔法系ジョブを何人も連れて来たようだが、不運にも連戦となり何度かMPを切らしてしまった。一度MP切れを起こすと疲労困憊となってしまうため、リーダーである芽衣子ちゃんが戦闘タイミングや引き際を見極め、後衛のMPを管理すべきだったと言っているのだ。
「でも、兄上が来てくれたのなら進めますっ」
「俺は手伝わない。お前らの成長を見守るために来ただけだ。進みたいならもっと強くなれ」
確かにこの人が手助けしてくれるなら20階にでも行けてしまうだろう。だけど手伝う気は全くないようで、妹の頼みをあっさりと拒否してしまう。大切なのはAクラスに上がることではなく強さを手に入れること。手段と目的を履き違えるなと厳しい言葉を投げる。芽衣子ちゃんは涙目だ。
とはいえお兄さんが言うことも一理ある。冒険者大学進学を目指しているならともかく、一流の冒険者を目指すなら強さこそが正義だろう。これ以上進めないと言うのならレベルを上げて経験を積み、強くなってから再挑戦すればいい。
だが一切手伝わず、妹を見守るという理由だけでこんなところまで出向くとは……さてはシスコンだな。
温かい茶を飲みつつそんな兄妹の会話に聞き耳を立てていると、芽衣子ちゃんは「もういいですっ!」と言って不貞寝してしまった。Cクラスの仲間の前では気丈な姿を見せていたものの、お兄さんの前では可愛い妹になるのは中々ポイントが高い。一体どういう教育をしてきたのか、参考にしたいところだ。
「……悪いな、変なところを見せてしまって」
「あ、いえ」
見張りは般若のお兄さんがやってくれると言うので俺も遠慮なく寝ようかと考えていると突然ぼそりと話しかけてきた。この薄暗い中でもその仮面を外さないのは怖いんですけど。
「成海といったか。どうしてお前ほどの奴が荷物持ちなんてしてるんだ」
「お貴族様に頼まれまして……って。お前ほどとは?」
どういう意味だろう。この人の前では一度も強さなんて見せていないし、《フェイク》だって見破られた形跡もない。装備だってうちの店でホコリをかぶっていたお古の豚革鎧だ。もしかしてこの俺の溢れ出るスター要素を見抜いてしまったとか。
「この階のモンスターを見てもお前の瞳にゃ恐れが全く見えなかった。それに俺の勘が……お前は只者ではないと言ってくるんだ」
「はぁ」
モンスターは常時弱い《オーラ》を垂れ流している状態なので、普通であるならば格上モンスターを見ただけでも恐れおののくものだという。そういえば俺も初めて格上のオークロードを見たときはチビりかけた記憶がある。これからは怖がるフリくらいはしておくべきだろうか。
クックックと喉を鳴らしながら「冒険者学校のEクラスにゃたまに出るんだよ、真正の天才が」などと独り言ちる。なんでもEクラスにはカラーズのリーダーである田里虎太郎のように定期的に天才が出てくるそうだ。でも俺は天才なんてものではなく、ゲーム知識チートを使ってズルしているだけである。
「今後も貴族からちょっかいを出されるだろうが、お前ならどうとでもなりそうだな。ということで俺んとこに来てみねーか?」
「……俺んとことは?」
「俺のいるクランだ。リーダーもお前を受け止める器は十分あると思うぜ。まぁ気が向いたら考えておいてくれ」
何を言っているのだろうか。くノ一レッドのようにキャッキャウフフができそうなクランならば考えなくもないが、こんな不気味な男がいるクランなど正直行きたくはない。メンバーでこれならクランリーダーは間違いなく妖怪か何かの類であろう。
さてと。明日も早いというし俺もさっさと寝袋に入るとしよう。
*・・*・・*・・*・・*・・*
「――おい、起きろ」
コツンと頭を叩かれたので目を開けてみると、何人もの黒服が俺を見下ろしていた。何事だろう。眠い目で時計を見てみれば……まだ真夜中の1時じゃないか。
「ボスがお呼びだ。今すぐに来い」
ボスって誰だと思ったけど俺を見下ろしていた全員が黒服で、胸には“天”というマークが付けられていることから、天摩家の執事達だと分かる。執事長でも来ているのだろうか。
こんな真夜中の呼び出し。しかも不愛想に睨みつけて起こしてくるとは嫌な予感がヒシヒシとするぞ。といっても断れそうな雰囲気でもないので仕方がなく付いていくことにした。
冷たい夜風に吹かれつつ執事の後を数分ほど歩いてついていくと、十人ほどの黒ずくめ執事達が椅子を輪のように並べて座っているところに案内される。その中央には黒いワンピースに大きなフリル付きの白いエプロン、黒髪にカチューシャと、これぞメイドというような女の子が足を組んで座っていた。
彼女以外は男女共に全員黒服のスーツを着ているというのに、一人だけメイド姿なのでこれまでの道中でも目立っていた。どうやらこの方がこの執事達を取り仕切るボスらしい。
「よくぬけぬけと顔を出せたな、小僧」
「え? え~と……」
仇敵をみるかのように憎々し気にこちらを睨みつけているメイドさん。俺の知っている彼女と違う人なのだろうか。
ゲームでは天摩さんを攻略し恋人関係になると、セットで仲良くなれる天摩さん専属のメイドがいた。よく気が利き、いつも笑顔を絶やさず甲斐甲斐しく主人公の世話をしてくれるので、他のヒロイン達に並ぶほど人気のあるキャラだった。ダンエク運営にも攻略させてくれと多くの要望が寄せられたほどだ。
だというのにこの態度と言葉遣い……そして狂暴な表情。さては双子のお姉さんとかいうパターンだな。顔の作りは似ていても同一人物とは思えない。
「目的は何だ。正直に答えろ」
「目的とは?」
「巧みな話を持ちだしてお嬢様に近づいただろう!」
周りの黒ずくめ執事達も一緒になってギロギロと睨みつけてくる。巧みな話って、ダイエットのことだろうか。
天摩さんは天摩財閥グループ総帥の一人娘でとても可愛がられており、執事達からの信頼も厚い。そこに得体のしれない男が近づいてきたら警戒くらいはするか。
「別に他意なんてないですよ。天摩さんとは友達として話していただけです」
「と、と……友達だとぉ? き、貴様ぁ!」
突如、般若のような形相になって怒り狂いだす。見ていた周りの執事達もさすがに危ないと思ったのかメイドさんの腕を掴んで止めに入ってくれた。あまり馴れ馴れしい事は言わないほうがいいかもしれない。
「分かっているとは思うがお嬢様に指一本でも触れてたら……お前は即あの世行きだからな」
「ええ、分かってますよ」
「お嬢様を泣かせたらただではすまさんからなっ!」
「誠心誠意努力しますとも」
このメイドさんや執事達がどれほど天摩さんを愛しているのか、プレイヤーなら知っている。目の前にいる彼らは貴族やクランの対立、抗争などで追われたり行き場をなくしていた元冒険者達。それを天摩家直属のボディーガードとして黒服を与え囲ったのが天摩さんなのだ。窮地を救った上に保護までしてくれた天摩さんと天摩家に対する忠誠心は揺るぎないというのは分かるけど、ちょっと過保護すぎやしませんかね。
「それと……あの男と何を話していた」
ガルルと牙をむくように威嚇したと思ったら、急に真剣な表情になるメイドさん。一人で焚火を眺めている般若のお面をした男を指差して言う。俺もあの人のことはよく知らないのだけど誰なんですかね。
「世間話というか。まぁ大した話ではないです。どういった方なんですか?」
「アイツが人と話すとは珍しい……いや、何もないならいい」
メイドさんは一瞬酷く真剣な顔で思案したと思ったら、お前はもう用済みだと言わんばかりにシッシと手で払いのけてくる。思ったよりあっさりと解放してくれたのは助かったけど次回からはもう少しお手柔らかにお願いしますよ。
うぅ、冷えてしまった。さっさと戻って寝袋に包まるとしよう。
*・・*・・*・・*・・*・・*
翌日。14階へと続くメインストリートを歩いていると、隣にいた天摩さんがおどけながら言ってくる。
『あんな凄い人が助っ人に来たっていうのに帰っちゃったねー。ウチのクラスでもヤバいかもって声が出てたんだけど』
そう。Cクラスがこの13階でリタイアすると言って来たのだ。芽衣子ちゃんは不本意な顔をしていたものの、後ろにいるメンバーの顔を見るに疲れが抜けきっておらず、お兄さんの助力も得られないとなればリタイアせざるを得ないだろう。この悔しさをバネにした彼女がどう成長するのか、楽しみでもある。
ということで俺も便乗してリタイアしたいと伝えにいったのだけど、予想通り荷物運びを続行しろと強要されてしまった。なんでもAクラスとBクラスの話し合いにより20階まで行って同時優勝にしようと決まったそうで、恩着せがましく「荷物持ちをするならそこまでタダで連れてってやる」と言ってきたのだ。
AクラスもBクラスも1位を狙うために高レベルの助っ人を大勢連れてきたはいいけど、そのせいで危険な21階以降まで勝負がもつれ込むことが確定的となってしまっていた。このままでは大事な家来である助っ人達に被害が出かねず、20階で手打ちにしたというわけだ。
問題はそれを言いだしたのが周防だということ。ライバルである世良さんや普段見下しているEクラスと仲良く同時優勝しようだなんて、ゲームの周防を知ってる俺からしてみたら裏があるとしか思えない。謀略の可能性が疑われる。
それでもAクラスやその助っ人達には手練れも多く、これだけの人に囲まれていれば周防が策を弄したところで成功するとも思えない。天摩さんも執事達の危険を回避できるならと手打ちを支持したようだ。
俺としてはこれ以上Bクラスの戯言に付き合う気など無かったのだけど、同率1位が取れるなら大きく出遅れているEクラスに堂々と貢献できる言い訳も立つ。
(それに……天摩さんもいるしな)
隣ではフルプレートメイルを着た天摩さんが鼻唄を歌いながら軽やかなステップで歩いている。Aクラスのお仲間とは打ち解けていないようだけど、俺とは気兼ねなく話してくれてとても楽しいのだ。そんな彼女が一緒に行こうと誘ってくれたから、行ってもいいかなという気持ちになったわけだ。
それでもあまり近づくと後ろの離れたところから監視してるメイドさんや黒執事に睨まれるので、距離には注意しないといけない。
『でも成海クン。“黒歯”と色々と話してたようだけど、知り合いだったの?』
「こくし?」
『うん。称号……二つ名のようなものだね』
なんでもあの般若のお兄さんは日本最大の攻略クラン“十羅刹”の大幹部だとか。芽衣子ちゃんは鷹村君のお付きだったしそのお兄さんも十羅刹の関係者とは思っていたが、まさか幹部だったとは。
十羅刹は貴族やクランとも度々衝突するなど抗争の絶えない超武闘派クランだ。彼はそんな幾多の抗争の中で敵対する幹部や組織を次々と滅ぼして頭角を現し、二十歳そこそこで巨大組織の幹部に抜擢された超アブナイ奴なのだそうだ。
話していてもPKと相対しているような感覚はあったし、かなりの数を殺めている気もしていた。ゲームでは十羅刹の名前だけはよく登場していたものの、実際にどこかと戦っていたり幹部が出てくるようなシーンはなく、俺も大した情報は持ち合わせていない。
『あそこはおかしなのが多いけど黒歯は特に危険な奴だねー。大貴族の豪邸に単身で乗り込んで百人いた護衛を皆殺しにしたって話も聞いたし。ウチの執事達も神経を使ってたよ』
血祭りにあげた者は数知れず。あの般若の仮面を見ただけで震え上がる貴族も多い。そんな人物がこのクラス対抗戦に姿を現したときは、AクラスやBクラスの助っ人達にも緊張が走ったほどだという。メイドさんもそれで気になって俺に聞いてきたのだろう。
(貴族と揉めるだなんて御免だし、できれば近づきたくはないものだな)
相手が誰だろうと厭わず武力衝突を繰り返してきたせいで周りは敵だらけ。最近も大きな抗争があったばかりだという。どんな主義主張のために戦っているのかは知らないけど、そんな危険な組織とは距離を取っておくに越したことはない。ま、今後会うことも無いだろうしどうでもいいか。
到達深度一行は緩やかな勾配の道をゆっくりと歩いてなおも移動する。時々アンデッドが出没するので長閑な場所とは言えないけど、大集団の中にいる限りは戦闘なんてする必要もなく、こうして話に花を咲かせながら進めている。気楽な道中である。
問題があるとすれば、その大集団の中に久我さんが紛れ込んでいることくらいだ。