173 穏やかな朝のひと時の裏で
「颯太~カヲルちゃんが来てくれたわよ~」
太くなった腕に制服を通し、想像以上に膨らんだ腹をベルトで締めていると、下からお袋の呼ぶ声が聞こえてくる。迎えに来てくれたようだ。
最近は朝早くから練習にいってしまうことが多かったカヲルだが、今日は久々に一緒に登校できると連絡が来ていたのだ。学校までゆっくり歩いても10分もかからない距離ではあるものの、美人の幼馴染と一緒に歩くというのは心躍るものがある。
この気持ちは“俺”のものなのか、それとも内なる“お前”のものなのかは断定できないが、大事なものだというのに変わりはない。ここのところ厳しい時間を過ごしてきたので、少しくらい穏やかな時間を楽しんでもバチは当たらないだろう。
最後に手鏡で寝ぐせを簡単にチェックし、軋む階段をドシドシと下りていくと、玄関にスポーツバッグを肩に下げた制服姿の幼馴染がお袋と談笑していた。聞くところによれば遅い時間まで訓練をやっていて無理をしていないか心配であったが、やつれてなどおらず、むしろ元気そうである。
そのように顔色を見ていると、カヲルの方も俺を確認するかのようにじっと見てきた。すぐに視線を戻してしまったが。
「では、おば様。いってまいります」
「気を付けていってらっしゃいね~(颯太、ちゃんとエスコートするのよ?)」
こっそりと含み笑いしながら「頑張れ」と言ってくるお袋。カヲルは良い子だし親としても応援したいのだろうが、現実はエスコートどころかこれ以上嫌われないようにするのが精一杯。そんな世知辛い事実を共有するのは酷なので、俺も元気に「いってきます」とだけ言って玄関を潜るのであった。
太陽光が煌々と降り注ぐ7月も真っ只中。まだ朝だというのに蒸し暑い上に風もなく、体感気温がとてつもないことになっている。最近の地球はおかしいという記事をよく見るが、全くの同意だ。
滲み出る汗を拭こうとポケットからハンカチを取り出していると、前を歩いていたカヲルが速度を落として隣に並んできた。何事かと見ればすぐ近くに整った顔があったのでドキリとしてしまう。
「最近の調子はどう?」
「……ボチボチだ。食欲がありすぎてちょっと太ったくらいだな」
そう、俺は太ってしまったのである。東京で死ぬ思いをしてせっかく痩せたというのに、たった1日で元通り。それどころかさらに太ってしまった。
だが悔いはない。極上肉をたらふく食いたいという夢が叶ったし、天摩さんお抱えコックの料理はデザートまで全てが絶品だった。華乃と久我さんの魔の手からいくつもの肉を救いだし、思うがままに喰らい尽くした満足感はストレスで死にかけていたメンタルを潤わせるのに十分だったのだ。
とはいえ、いくら食ったとして1日で30kgも太るものだろうか。この体はおかしすぎる。現に、俺と同じくらい食い散らかしていた華乃や久我さんは腹が膨らむだけで一向に太らなかったし、やはりあのスキルが悪さをしているに違いない――
などと余計な考え事をしている場合ではない。カヲルとの登校時間はとにかく貴重。赤城君を誘って黒崎さんに託すためにもカヲルの協力が必要なのだ。さりげなく情報収集を試みるとしようかね。
「そっちの調子はどうなんだ。遅くまで厳しい特訓をしてるって聞いてるけど、大丈夫なのか?」
「特に問題ないわ」
涼しい顔でそう答えるカヲル。元・第一剣術部部長の館花左近に指導してもらっていると聞いているが、おかげで赤城君パーティーだけじゃなく、同じ練習に参加してるクラスメイト達もずいぶんと実力が上がっているとのこと。これはゲームシナリオにはなかったことだ。
本来のシナリオでは、Eクラスの上級生達が作った第四剣術部に赤城君と共に入部し、夏休みに向けて第二や第三剣術部とバチバチにやり合うイベントが発生する頃。それなのにこれほどゲームシナリオが変わってしまえば、もう剣術部関連のイベントは望めないだろう。
つまり赤城君だけでなく、カヲルの成長する機会すらも奪われてしまっているということだ。こうならないよう俺は断腸の思いでカヲルを遠ざけていたわけだが……まぁ嘆いたところで何かが良くなるわけでもない。
車通りの多い繁華街の歩道をゆっくりと歩きながら次なる質問を考えていると、カヲルの方から別の質問が飛んでくる。
「そういえば颯太は、あの大宮さん新田さんと行動してるようだけど……ちゃんとついていけてるの?」
俺の表情をちらりと窺うように見ながら聞いてくる。その二人とは神聖帝国を相手にちょっとした大立ち回りをしてきたとこだが、クラスメイトからはお情けで組んでもらっていると思われている。カヲルも同様に考えていたものと思っていたが、何かがあると疑っているのだろうか。
「剣を見てもらっている。俺だって冒険者学校に入ったからには昔のままじゃないさ、こう見えてもちょっとはできるようになったんだぜ?」
前方にひとっ飛びして、ひょいひょいと目の前を十字に斬るモーションを見せる。するとカヲルは首を傾げ、意外にもしっかりと観察するように見てきたではないか。適当にやっただけなのであまり真に受けないで欲しいのだが。
「……頑張ってる、のね。なら今日の放課後、私達のパーティーに参加してみる? たまには環境を変えてみるのも刺激になると思うのだけど」
「俺が主人公……赤城君のパーティーに?」
まさか俺をパーティーに誘ってくるとは……思えば最近のカヲルは俺を遠ざけようとする態度が鳴りを潜め、代わりに今みたいに横に並んだり、話を振ってくれることが増えてきた気がする。
これも警戒心を刺激しないよう細心の注意を払ってきた成果だろうか。元々、カヲルは優しい子だしダンエクヒロインになれるくらいの度量もある。無理に距離を縮めず態度を改めればこうして徐々にでも心を開いてくれるのだ。あるいは――
(俺のあまりの変わりようを怪しんでいる可能性もあるか)
だがブタオは俺と人格が入れ替わって別人になったわけではない。共存から融合を経て“新生ブタオ”となったのである。多少怪しまれようと堂々としていればいいのだ。それよりも主人公パーティーに参加できるなら、赤城君とカヲルが現時点でどの程度の力があるのか、普段どんな練習をしているのか偵察を兼ねて探ってみたい。ということでもちろん快諾である。
「なら試しにちょっとだけ、参加させてもらおうかな」
「ええ、ユウマに言っておくわ。ゴム剣とプロテクターは各自で用意。練習内容と待ち合わせ場所はメールで……何かしら」
冒険者学校の入り口付近に差し掛かったところで、遠くに人だかりが見えてくる。冒険者ギルド前の広場がある方向だ。元から多くの人が往来するところだが、今日はお祭りでもやっているかのような多さである。
その場で背伸びして奥を覗こうとしていると、カヲルは一緒に見ようとせず「ゆっくりしてると遅刻するわ」と言い残して先にいってしまった。仕方なく俺もその後ろを追うように足早に教室へ向かうことにした。
Eクラスの教室に到着すると、カヲルは笑顔の赤城君が待つ席に、同じような笑顔を向けて合流する。普段俺には見せない表情なのでちょっぴり胸が痛んでしまう。その姿を見届けながらも気を取り直して、静々と最後方にある席に着く。
クラスメイトと談笑していたサツキがちらりと俺を見るや、目を真ん丸にしていたので軽く頷いて挨拶だけしておこう。1日と見ないうちに俺が丸々と太っていたので驚いているのだろう。まぁ分かるぜ、この太り様には俺も驚いているからな。
鞄を机の横に引っ掛けて椅子の背もたれを軋ませながら寄りかかり、大きく息を吸って呼吸を整える。この土日で地獄を何度も体験してきたせいか、トラブル多発地帯であるEクラスの教室ですら落ち着くのが不思議だ。
俺のメンタルも強くなったもんだと心の中で自画自賛していると、クラスメイト達の興奮気味な話し声が耳に入ってくる。耳を澄ましてみれば、やはり冒険者ギルド前広場の話題でもちきりだった。
「お前見たか。さすがは超大規模攻略クラン、すっげー装備だったぞ」
「えっ、有名冒険者いた?」
「あの羅刹が何人もいたんだって。あーもう、写真撮っとけばよかったー。サインとか頼んだら書いてくれたりしないかな」
聞こえてくるのは“大規模攻略クラン”と“羅刹”という単語。日本には大規模攻略クランはいくつかあるが、羅刹なんて役職があるのは“十羅刹”くらいなものだろう。将来は冒険者大学に進学するより、名のあるクランに入りたいという生徒も多く、十羅刹は憧れのクランなのだ。
だが大規模攻略クランなんてものは頭のおかしな連中ばかりなので接触には注意が必要だ。特に幹部クラスはゲートも使わずにレベル30に到達したり、日ごろから殺し合いをやっていたりと絵に描いたような危険人物揃いである。絶対に近づくべきではないと声を大にして言いたい。
そういえば六路木時雨も十羅刹の幹部だったな。冒険者ギルドの役員も兼任しているので、東京の後始末に忙殺されて右往左往している頃だろう。よって広場で何かをやる余裕などないはず。来ていたのは他の羅刹だろうが、誰であろうと暴れているのでなければ気にすることではないか。
「そういえばさ、2年の貴族が復学するって聞いた?」
「聞いた聞いた。でもEクラススタートになるんでしょ」
「貴族様なのにEクラス? それってちょっとマズいと思うんだけど」
ほとんどのクラスメイトが広場の話題をしていたのに対し、教室中央で椅子を突き合わせた女子達は別の話題をしていた。何やら2年Eクラスに貴族が復学するとのこと。庶民ばかりのEクラスに自尊心の強い貴族が入るとなると、さぞかしやりにくくなるだろう。同情はするがこのクラスに来るわけでもないのでやはり他人事である。でも何か忘れているような気が……はて?
「――また元に戻ってるけど大丈夫なの?」
机に突っ伏してあれでもこれでもないと記憶を探っていると、目の前にひらりとスカートが現れた。このお尻の大きさからいって久我さんではないなと答え合わせに見上げてみれば、眼鏡に陽光を反射させたリサがニコリと微笑んでいた。
「昨日ちょっと食いすぎただけだ。そっちこそ体調はもういいのか?」
「おかげさまで、今朝も食べ過ぎたくらいよ」
頬に手を当て「元気になるとお腹空くのよね~」と同調を求めてくるが、俺の場合は肉の争奪戦に自ら挑んだ結果なので太ったのは自業自得である。お互い元気で何よりだ。それはともかく。
「昨日メール送ったけど見てくれたか?」
「彼を鍛えるって話ね~、私としては天摩さんのクエストはもっと後でもいいと思うのだけど~」
祝賀会で解呪イベントについて話し合ったことは、すでにリサとも共有している。俺とアーサーは天摩さんの解呪クエストを急ぐべきだという考えなのだが、リサは特にリミットのないイベントなので急がず、慎重にいきたいようだ。万全でない赤城君を大精霊に会わせて失敗してしまえば元も子もないという意見も、もっともである。
だがそれを決めるためにもまずは黒崎さんに託して様子を見てみないかと提案すると、リサはその黒崎さんについて聞きたいことがあったようだ。
「そのメイドさんだけど、広場のことは聞いてる~?」
「十羅刹が来てたって話してたな」
「そう、その十羅刹を率いていたのがね――」
リサは同じ寮の生徒達が早朝から騒いでたため、一緒に広場まで見に行ってきたそうだ。するとまさに冒険者の大集団がダンジョンに突入するところだったという。
先陣をきって歩いていたのは仮面で顔を隠した“ゴスロリ”の少女。東京でもゴスロリの服を着た女と出会ったが、同一人物だろうか。そしてその中心で大集団を率いていたのが、見覚えのある“メイド”だったと言う。
「遠目からだったから違うかもしれないけど、でもあれは天摩さんのメイドさんだったと思うの」
「黒崎さんが? あの人は主から離れて勝手にダンジョンには潜らないだろ」
あのメイドはいつでも天摩さんをサポートできるよう学校までついてきて教室の近くに待機しているような人だ。主を放って十羅刹を率い、ダンジョンに入るなどありえない。別人なのは確定だが、リサが見間違えるほど似ているというのは気になる。
動画も撮影してきたとのことなので、早速送ってもらって腕端末で開いてみると……うーん?
カチューシャをした黒髪ロングのメイドが、屈強な冒険者達を周囲に従えてダンジョン入口に向かって歩いている様子が確かに映っていた。遠くからの映像なので拡大しても顔はボヤけて分からないが、メイド服だけでなく、隙のない歩き方や佇まいが黒崎さんとそっくりであった。親戚……いや、双子だろうか。
なら黒崎さんと会ったときに真相を聞けばいい――とはいかない。ダンエクでの黒崎さんは組織から追われて傷だらけで逃げてきたところを、天摩さんに拾われたという辛い過去があったからだ。もしかしたらその組織というのは十羅刹で、この映像に映るメイドと何かがあった可能性も考えられる。
しかし今の黒崎さんは天摩家が公に側近として囲っているので十羅刹といえど容易に手は出せないし、もし手を出すにしてもとっくにやっているはずなので、危険は去ったとみるべきだ。それにこのメイドと黒崎さんの関係性を明らかにしたところで藪蛇にもなりかねない。
「メイド界隈にも色々と事情があるんだろ。現状に支障がないならスルーしたほうが良さそうだ、黒崎さんには機嫌が良いままであって欲しいしな」
「そうよね~……でも十羅刹について私達はあまり情報を持ってないというのも問題かしら。それに私は天摩さんのこともよく知らないし」
ダンエクのストーリーに登場する大規模攻略クランは主に“カラーズ”くらいなもので、十羅刹はほとんど登場する機会がなかった。そのためプレイヤーですら知っているメンツといえば六路木と、クランリーダーの鷹村楓くらいなもの。他にどんな人物や背景があるのか全く掴めていないのである。
加えてリサは天摩さんや黒崎さんについてあまり知らない。何故ならリサは女性キャラでしかプレイしていないため、ダンエクヒロインのイベントには詳しくないからだ。俺がピンクちゃんや立木君などのヒーローイベントに詳しくないのと同じといえばいいか。ここらあたりもしっかりと情報共有しておくべきだろうな。
「いずれにしてもダンジョンは少し騒がしくなりそうね……それに。彼の動向にも注意が必要かしら」
「……ぐ、ぬぅ」
十羅刹の動きについて危惧していると俺の神経を逆なでするような光景が視界に現れ、思わず顔に力が入る。すると何事だと振り返ったリサが察して、ため息を吐いた。
「教室に着いたぞ。おら、さっさと離れろ」
「あん……名残惜しいでございます。それではお昼食のときに……お待ちしています、ダーリン♪」
組んだ腕を離す際に悲しそうに眉を伏せ、紫紺の瞳をウルウルさせる銀髪の美少女、現・生徒会長の世良桔梗。【聖女】の血族であり侯爵位を持つ名家の令嬢でもあるが、そんなステータスなどどうでもよろしい。
俺の最推しヒロインだった彼女が、どうして月嶋なんぞにあんな視線を送るのか。一方の月嶋も、世良さんの好意を煩わしいかのようにぞんざいに扱っているのが、なおのこと腹立たしい。ダンエク主人公の赤城君になら断腸の思いで託そうと思っていたのに……納得がいかない。
しかもBクラスの周防皇紀とも、いまだにつるんでいると聞く。あいつもただの生徒ではなく、大貴族な上にゲームストーリー上のボス格でもあるため、非常に危険な奴なのだ。決闘の後には「これからは大人しくする」と俺に誓ったはずなのに、何も企んでいないと信じる方がおかしいのではないか。やはりあの時に――
「もう。月嶋君のことは私がそれとなく探りを入れておくから、ソウタは赤城君のことを任せてもいい~?」
「……分かった。実は放課後に赤城君とパーティーを組む予定なんだ。この目でどんなものか見てくるとするよ」
これからも腹立たしい光景を何度も見ることになるのかと辟易しながらも、赤城君を無事に黒崎さんに託せるよう頭を切り替えて考える。
主人公パーティーにはダンエクの重要人物がずらりと並ぶ。彼らの成長は解呪イベントだけでなく様々なイベントの成否に直結し、それは俺達の未来をも大きく左右する。
今までカヲルと距離を置くためにこちらからの接触は避けていたが、一時的だとしても俺をパーティーに誘ってくれるくらい気を許してくれるようになった。さらにゲームストーリーが滅茶苦茶になってきて方向転換せざるを得ない事情もある。この機会に大きく踏み込みたい。
そこで赤城君が解呪イベントに耐えられるのか、本当にカヲルをダンエクのように幸せにできるのかを見定めよう。
それでもし、万が一それらを満たせそうにないのであれば、俺は――
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